【人生最期の食事を求めて】札幌ジンギスカンへの原点回帰。(札幌ジンギスカンを求めて編1)
2023年5月22日(月)
「成吉思汗だるま5.5店」(北海道札幌市)
札幌市民にとってバーバキューといえば、すなわちジンギスカンである。
関東以北最大の歓楽街すすきのにおいても、ジンギスカン専門店が縦横無尽に点在し、どの店もコロナ以前もコロナ禍中もその賑わいと人気は揺るぎない。
ところが、その賑わいと人気は多くの観光客で支えられているのも現状で、それゆえか割高な料金に感じられるのも実情である。
定性的観点ではあるが、おそらく札幌市民の多くは家庭においてもジンギスカンを食する文化を所有しているせいで、中央区の割高なジンギスカンに敢えて足を伸ばす必要性は感じないのかもしれない。
私には所有するという概念が希薄なせいで鍋は持ち合わせておらず、皿も個人が所有するに足る枚数しか有していない。
かてて加えて、“焼肉はひとりで食べるに限る”という独自文化論も有しているため、専らひとりジンギスカンをある種の趣味にしている。
不意にジンギスカンを求めてしまった。
この不意のジンギスカンへの希求はどこから来るだろうか?
しかも、ひとりジンギスカンにふさわしい店の選択肢は狭まる。
思えば、札幌のジンギスカンを初めて堪能した記憶を辿ると、深夜の「成吉思汗だるま本店」であった。
長く続くカウンターと狭隘な隣席との感覚。
衣類に否応ともなく侵入するジンギスカンの臭み。
ジンギスカンへの希求は、その強烈な記憶によって容易に「だるま」へと回帰してゆく。
札幌のジンギスカンの歴史に関しては、「だるま」のホームページに諸説説明されているので、ここでは割愛しよう。
ともあれ、ジンギスカンは人生最期の食事になるであろうか?
そんな命題の中で苦悶しながら、観光客の賑わいが復活しつつあるすすきのを歩いた。
彼方此方のジンギスカン店に目配せしながらも、辿り着いたのは「成吉思汗だるま5.5店」であった。
いつもなら、外にまで大行列を成しているのに、この日はその気配さえない。
そそくさと店に入ると、店の奥に連なる待合席に行列を見つけてしまったものの、スタッフに1名であることを告げて最後尾に加わってしまった。
羊肉を焼く音と夥しい煙を吸い込むダクトの音に塗れて、関西弁や中国語が飛び交う。
その混在に耳を傾けているうちに40分程の時間が流れ去った。
「次のお一人様のお客様」という女性スタッフの覇気のない声音が、店内の混在する音に打ち消されていた。
かろうじて、その声音に気づき席へと辿った。
すでにジンギスカン鍋は灼熱の様相を呈していて、その上に野菜が円を描くように置かれた。
生ビール大ジョッキと生ラム、そしてキムチ、という個人的定番は打ち消しようがない。
銀色のカウンターに置かれたビールの黄金色と臙脂を帯びた肉の赤色、艶のあるキムチの薄紅色、これこそ我がジンギスカンの原風景であった。
それは頑なに、そして確実に、私の最期の食事としての候補に名乗りを挙げる瞬間を脳裡に刻んでゆく。
あえなく大ジョッキからビールが3分の1程なくなっていく間にも、生ラムは輪郭から変容を遂げ、臙脂を帯びた赤色は茶褐色への変貌していった。
ここぞとばかりにこの店独自のタレに漬け込み、思いのままに噛み締める。
すると、過去に食したジンギスカンという記憶が過去から逆走し、たちまちにして人生最期の食事という舞台に立つのであった。
気がつけば大ジョッキは軽量になり、生ラム追加とともに黒ビールを注文した。
『焼肉やジンギスカンにおいては、ライスは不要であり邪道なのだ』とビールの勢いに合わせて嘯く自分に気づいた。
ビールの黒褐色は、また新たな生ラムを滞りなく求めた。
白い肌が焼けた野菜もどれ一つ見逃さずに食べ終え、ハイボールでひとりジンギスカンは終焉を迎えた。
ジンギスカンを漬けた残りのタレにお茶を入れてもらい、ゆっくりと啜りながら最後を締め括る。
満足度の高いジンギスカンは、知らず知らず人間の最後の欲求を満たすものではなかろうか?
そして、仮に人生がここで終焉を迎えたとしても後悔はないのではなかろうか?
5月終盤とはいえ、札幌の夜は暑さを寄せつけない。
すすきのの色鮮やかなネオンさえ寒さに震えているように見えた…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?