【人生最期の食事を求めて】圧巻の蕎麦を形にする老舗の力量。
2023年7月10日(月)
「手打 入福」(北海道札幌市東区)
禅の教えで、“脚下照顧”というものがある。
端的に言えば、自分自身を見つめ直すという戒めの言葉である。
文字通り、日常においても旅においても、私は長い散歩を日々試みる。
さらに付け加えれば、2022年3月の会社退職以前から意図して長い散歩で出かける。
私にとって歩くとは、自然との接点であり、外界との融合であり、他者の観察であり、自己との対話である。
天候が相当な不順でなければ、四季を問わず私は歩き続ける。
見慣れた光景であろうと、見慣れない景色だろうと。
この地の7月としては日差しは弱いものの、湿気としては不快だった。
頭上に湧き上がる雲が長く日を閉ざしていて、歩くほどに汗が体の四方八方から吹き上がるように感じられた。
だからといって北へ向かおうとしたわけではないのに、その足は北へと導いていった。
札幌の中心部の至るところでビルの再開発や新幹線延伸の工事が行われていて、地を這うような轟音が自動車や列車の擦過音と相俟って、物憂げな騒々しさを拡げて続けている。
碁盤の目で形成されるこの街の中心部を歩けば歩くほどに、この街は無機質さを増しているように思えた。
ふと学生時代に読んだ三島由紀夫が割腹自殺直前の文章を思い出した。
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」
この文章を初めた読んだ時には、すでに三島由紀夫の指摘する国様が始まっていたであろう。
もちろん、私は三島由紀夫の自刃を認めないし、彼の思想には相容れない。
彼は、三島由紀夫としてではなく、本名である平岡公威として自死したのだ、という私的見解は揺るがない。
ただ、その死の直前の憂国的分析が日本の其処此処で行われている再開発と重なってみえてしまうのは何故だろう?
11時前だった。
歩き続けて2時間が過ぎ去ろうとしていた。
古い家屋と高層マンションの佇立するエリアを抜けて、さらに古い家屋が連なるエリアへと歩いた。
白い看板の下で行列を作り始めた人影が見えた。
「入福」という蕎麦屋はこの地で屈指の行列店で、開店早々に賑わう。
中の様子は窺い知れないが、行列を嫌う意に反して最後尾に付く自分に気づいた。
きっと歩き続けた疲労と蕎麦の誘惑に駆られたせいだろう。
一向に行列は全身しない。
その訳は、この店の蕎麦のボリュームとオペレーションに依拠することは想像するに容易い。
後ろに人の気配を感じて振り返ると、最後尾だった私の背後にすでに10人を超える追随者がいたのだ。
それを気にしたところで、何も変わりはしない。
ただ寡黙に立ち尽くし待つしかないのだ。
30分ほどだろうか、ようやくカウンター席に着くことができた。
忙しなく動き回る女性スタッフに、すぐさま「冷たい入福そば」(900円)と口ずさんだ。
入福そばの到来まで時間を要することも受け入れて、私は店内の様子を観察するようにじっと待つことにした。
その他の客と言えば、存在感を主張する蕎麦を黙してすする者か、蕎麦を待つ間スマートフォンに目と指を奪われているかのどちらかだった。
大柄な若大将と3人の女性スタッフは、おそらく家族なのだろう。
黙々と麺を茹で、具材を取り揃え、席の方々に運ぶ光景がループのように繰り広げられている。
およそ10分経った頃だった。
それは突如として目の前のカウンター越しから現れた。
刻み海苔と葱、そしてわさびといった深緑と浅緑の表層と、麺の灰色と黄身の黄色が圧巻のコントラストを描いていて、箸を入れる困難に挑むしかなかった。
繁茂する刻み海苔が離散しないようにゆっくりと慎重に汁を掛け、麺を掬い上げた。
まさに田舎そば風の野太く凄みのある麺を啜った。
塩味の強い汁は黄身を交じることによって次第に優しさを増してゆく。
それに応じて刻み海苔は気だるげに消沈し、歯切れよい葱が心地よい咀嚼を招いた。
店内のあちらこちらから啜った音に呼応するように、私もその野太い麺に負けじと啜った。
まるで本番の演奏を迎える控室で奏でるような不均衡で調律の取れない不協和音。
それすらも心地良いのだが、このボリュームを食べ切ることができるのだろうか?
さらに、食べ進めて蕎麦自体に飽きることはないのだろうか?
そんな心配は杞憂であった。
見る見るうちに麺は消え、最後の仕上げに取り掛かるように濃厚な蕎麦湯を注いだ。
熱く迸る蕎麦湯が喉を通過する。
味の濃い汁と蕎麦湯の融合を飲み干すことで、この唯一無二に等しい蕎麦を制したと言えるのだ。
入口の付近を一瞥すると、サラリーマンの行列がすでに店内で待ちわびていた。
すぐに会計を済ませて外に出ると、その行列は麺のように伸び続けていた。
途方もない満腹感に覆われながら、再び意を決して私は見慣れない道を歩こうと思うのだった……
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