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“失われた30年”を“取り戻す30年”にするための決意と試み

ここ数年、耳にする機会が多くなった「失われた30年」という言葉。日本の経済的停滞を象徴するこの言葉は、しかし、どこか抽象的で、実感を伴わない喪失感を含んでいるように思われる。
だが、私にとってそれは単なる社会的現象に留まらず、私自身の個人史としても深く捉え直すべき問題であった。

かつて私は文士を志していた。
だが、経済的理由によりその夢を断念し、無理矢理に広告業界へと足を踏み入れたのである。
コピーライターの端くれとして生活の基盤を何とか築き上げたものの、広告会社に身を置いてからの日々は、まさに苛烈そのものであった。
人々がブラックと呼ぶ業界で、私は経済的な安定と社会的な信用という二つの鎖に縛られていた。
激務に追われ無為に過ぎ去る日々の中、私の心には一つの問いが浮かび上がってきた。
「このままでよいのか?」と。
その問いは、私の魂を鋭く突き刺し、やがて根深い疑問となって心を支配していった。

人生最大の喜びであったはずの読書すらもままならぬ日々が続き、私の精神は時の流れと共に蝕まれていった。
そして、2021年、ついにその重圧に耐えかねて私の肉体も崩壊した。
手術と長期にわたる療養、そして在宅勤務という名の静養期間の間、私は自らの生き方を問い直す決意を固めた。
そして、ついに会社を退職することを選んだのだ。
社会が言う「失われた30年」という言葉は、もはや単なる時代の表現に留まらず、私の人生そのものと重なり合う現実となっていた。
そこで私は自問を繰り返した。

「これからの人生において、私は何を取り戻すべきか?」答えは、三つの大きな主題の復活であった。

まず、読書である。
文学、哲学、そして芸術――これらこそ、私の精神的支柱であり、人類が築き上げてきた叡智に触れることこそが、限られた人生における最大の幸福であることを再確認した。

次に、自由行動。私は独身であり、家族を持たぬゆえに、経済的にも精神的にも自由である。
旅をし、住みたい場所に住む。
自らの判断と意思に従い、瞬時に行動を起こすことができるという自由を享受することこそ、私の存在の証である。

そして、最後に有意義な仕事
ただ経済的基盤を築くことに留まらず、私が真に意義を見出すことのできる仕事に従事すること――それが私の人生に新たな目的を与える。
金銭的報酬を超え、社会や他者に貢献し、胸を張って「自分は成し遂げた」と言える仕事に打ち込むこと。
それこそが、私の人生に深い充実感をもたらすのだ。

この3つの復活を以て、私は「失われた30年」という外的な喪失感に左右されることなく、自らの内なる「失われた30年」を取り戻す決意を固めた。
これからの私の人生は、まさにその埋め合わせの旅である。
残された時間を、これら三つの柱によって満たし新たな道を切り開いていくこと。
それが私にとってのこれからの人生の目的であり、存在意義なのだ。

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