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【人生最期の食事を求めて】小町通りの片隅で味わうまぐろとしらすの気韻。

2024年10月22日(火)
鎌倉和鮮 小町店(神奈川県鎌倉市)

かの鎌倉は、無論ながら武士の都である。
それに加え、川端康成、高見順、久米正雄、里見弴といった文学者たちがこの地に集い、“鎌倉文士”なる呼称が生まれた所以である。
私は、いつも鎌倉の文化と風土がもたらす独自の空気に遠い憧憬の感情を蘇らせられてしまう。

刻み込まれた古寺の荘厳、坂道の険しさ、路地裏の静寂、潮の香と砂浜の情景、……すべてが透徹した静謐の元にある。
だがそれらも今や国内外の群衆によって掻き乱され、私がこの土地に求める“鎌倉らしさ”は遠ざかってしまったようにさえ感じる。

鎌倉駅からJRを降り、江ノ電へと乗り換えた。
乗客には東アジアからの団体が多く、彼らの喧騒が車内を満たしている。
振り返ると2024年1月の訪問時に感じたよりも彼らの存在感はよりいっそう強くなっているようだ。
窓外に広がる海に誘われては、彼らは窓辺に押しかけ撮影と歓声を止めることはない。
その奔放なふるまいに耐えかね、私は稲村ヶ崎駅で降り立った。

稲村ヶ崎から江の島を望む

砂浜へ降りると、ここにもまた東アジアの観光客たちが点在し、江の島を借景にして飽きることなく撮影を続けていた。
私は流木に腰掛け、遙か沖の波模様を眺めた。
目の前で幾度も打ち寄せ、そして還る波。
その無限に繰り返される単調な音に、かえって心は静まりかえった。

気づけば11時を過ぎ、私は海沿いの道を辿って極楽寺駅を経て鎌倉駅へ戻った。

極楽寺
小町通り
鶴岡八幡宮二の鳥居

正午を越えた小町通りの喧騒は増すばかりだ。
それを避けて参道に入り鶴岡八幡宮を目指したが、修学旅行の生徒たちが行く手を阻んでいる。私の侵入を阻むかのような群衆に嫌気を感じ、私は小町通りの路地裏に足を踏み入れたと、ふと「しらす」と書かれた紫色の幟が目に留まった。
すっかり忘れていた空腹が不用意に頭をもたげた。

店先には焼き立ての海の幸が並び、食べ歩きができる趣向のようだ。
店の奥へと進むと若いスタッフが明るく出向かえ、最も奥のカウンター席へと案内される。
狭小な店内は10席にも満たない。
程なくして男性スタッフが、
「本日のおすすめはひっかき丼です。生しらすをトッピングもできますよ」と勧めに応じ、私は迷うことなくそれに従うことにした。

鎌倉和鮮 小町店

まず運ばれてきたのは海老の風味が香る味噌汁である。
鋭く鼻腔を刺す香ばしさが、満たされぬ胃を否応もなく刺激した。
続いて「ひっかき丼」(1,980円)と「生しらす」(330円)が並べられた。
薄紅色のまぐろと青白い生しらす、その新鮮さが視覚からも伝わり、店のオリジナルだという醤油をさして一切れ口に運ぶ。
瑞々しく繊細に舌を潤すその旨味は瞬く間に消えてゆくが、その余韻が波打ち際で足元を濡らす潮のように私の中に浸透するのだった。

生しらすもまた塵ひとつないような純粋な鮮度で、口内に海の息吹が広がってゆく。
味噌汁を一口すする度毎に海老の香りがまぐろとしらすに劣らず競り合い、ただ一膳のご飯が際限なく恋しくなるほどだ。
この刹那にも時が音を立てて流れ、私は遥か昔に夢見た鎌倉への想いが、遍満する波のように胸に打ち寄せ膨らむのを感じた。
私がずっと夢見ていた鎌倉文士。
文士になれずとも、この地を終の住処にできないだろうか?

人生最期の食事、そして最期の地として私は再びその問いを胸に抱き、鎌倉を背にするのだった。……

ひっかき丼)と生しらす

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