【人生最期の食事を求めて】入念と洗練を尽くした焼鳥への想い。
2024年3月22日(金)
炭焼き とりこ(福岡県福岡市中央区)
この国の人口減少問題は今に始まったことではないが、政策が後手に回っているうちに手遅れ感が否めない。
けれども、福岡に関して言えば地理的要因や様々な施策によって、もはや人口増の
を継続しているのはまさにこの街のポテンシャルを活用した結果と言えるだろう。
いざ現地に降り立つとその実感は揺るぎない。
長崎駅から博多駅に到着したのは15時近くだった。
午後の博多駅は人々の交錯は凄まじく、そこから発する活気は東京や大阪とも異なる印象をもたらす。
しかも3月下旬の週末という人の移動の増す季節は、それを助長しているのかもしれない。
そんな博多駅を避けるように地下鉄福岡空港線に乗車した。
地下鉄に乗降客のほとんどが地元住民なのだろうと想像しながら、大濠公園駅で下車した。
振り返ってみると、私にとって旅とは人生最期の食事を求めることであると同時に、終の棲家とも言うべき安住の地を求めることでもある。
いつも『この街に住むならどのエリアにしよう』という意識を持ちながら旅することは何ものにも変え難い愉しみでもあるのだ。
そして福岡に住むなら大濠公園周辺が良い、と妄想しながら湧き上がる愉悦に胸を躍らせながら歩き続けた。
天神や中洲とは異なる雰囲気と風情、歴史と芸術が交差しながらも街と一体となった住環境。
そんな印象を抱きながら歩き続けた。
やがてビルやマンションが建ち並ぶエリアに入った。
庶民的で生活感が溢れる空気を発しつつも、所々に瀟洒な雰囲気の店に出くわす。
その中に民家をリノベーションしたような店を見出した。
従来の焼鳥屋というイメージを払拭するかのようなブランディングを意識した佇まいは店内も同様だった。
カウンター席に座る。
開店したばかりのせいか、カウンター越しの厨房では準備に余念がない。
ビールを運んできた女性スタッフもどことなく落ち着きがなく慌ただしい。
どうやら2階で宴会が執り行われる準備で忙しなさそうだ。
その隨にカウンター席が埋まってゆく。
長居はしないほうが得策だと考え、「とり皮」(150円)、「豚バラ」(200円)、「レバー」(150円)、そして「せせり」(180円)を注文した。
移動の心地よい疲労がビールを急かし、呆気なく飲み干してしまう。
私は次々と入ってくる客に急かされるようにビールを再び求めた。
厨房の慌ただしい様子からして無理もないのは充分に理解しながらも、注文した焼鳥がなかなか現れないことへの焦燥感に駆られ始めた。
そこに訪れたのはレバーだった。
臭みの微塵もない良質な舌触りがビールを煽るのだった。
ハイボールに切り替えたタイミングで豚バラととり皮が現れた。
小粒な外貌ながらもやはり丁寧に調理されていることは、噛み締めることですぐさま実感できる。
と言って次のメニューを注文するにしても、この混雑と渋滞は回避したいと不意に思った。
もしも私がこの街に住むなら、この店の味の奥義を知るために再訪を繰り返すに違いない。
外はまだまだ明るい。
しかもまだまだ飲み足りない。
この街に後ろ髪を引かれながら、私は私を満たすべく余力を保ったまま再び地下鉄に乗車して活気みなぎる街中に自ら投じるのであった…
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