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【人生最期の食事を求めて】学生街に突如として現れたチャーハンの奇抜。
2024年12月8日(日)
本郷苑(東京都文京区本郷)
冷たく乾いた風が指の先端をかすめた。
動物園を目指す家族連れ、美術館や博物館を巡る老若男女が上野駅に押し寄せ、公園の広場で開催されているイベントには、閑静と騒騒が奇妙な調和を見せている。
公園の広場で開催されているイベントにはけたたましい閑静が、冬の突き抜けるような青空に反響しているかのようだった。
日曜日の上野公園ともなると、この喧騒はむしろ必然と言えるかもしれない。
どの施設も凄まじい行列と入場制限のため、私は美術展を巡る試みをあっさりと断念した。
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人波を避けるように上野恩賜公園から離れ、東京藝術大学の歴史ある校舎の風格に目を留めつつ、落ち着いた住宅街を抜けて緩やかな坂道を登る。
根津を過ぎ、さらに続く坂道を登り詰めると、東京大学本郷キャンパスが視界に現れた。
森鷗外、夏目漱石、樋口一葉といった明治の文豪たちも、この坂道を歩いたのではないか――そう想像するだけで私の胸の奥にひそやかな興奮が目覚め、足取りが少し軽くなるのを感じた。
日曜日の東京大学本郷キャンパスには、学生よりも観光客の姿が目立っていた。
銀杏並木の落葉を拾い集め、宙に放って写真を撮る者たち、あるいは動画撮影に没頭するコスプレ集団。
かつて東大紛争に沸いたこの地を訪れる私は、その時代に生まれた人間として全共闘世代の熱量を直接知ることはない。
それでも、安田講堂に残された事件の痕跡は、“政治の季節”と呼ばれた当時の熱をわずかに伝えていた。
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三四郎坂を抜け、閉ざされた赤門を横目に本郷の坂を下る。
時計を見ると、すでに13時半を過ぎていた。
腹の空腹感が思いのほか強いことに気づき、私はどこで食事を取るべきか考えた。
東大正門近くの飲食店はどれも混雑している。
店の多い白山や後楽園に向かうべきか?
このまま坂を下って御茶ノ水に向かうべきか?
思案しながら道を進むと、不意に腰の高さを超える三角看板が目に入った。
「チャーハンに全部乗せてみた」という言葉が書かれたその看板。
いかにも学生たちの目を惹きつけるコピーライティングだ。
とはいえ、学生向けの大盛町中華の店であるならば、
私の胃袋がそれを許容するかどうか、内心の不安は拭いきれない。
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しかし、チャーハン以外のメニューもあるのではないか?
そんな一縷の望みが、私の足を店内へと向かわせた。
店内へ足を踏み入れると、途端に強面の男性スタッフが私を見据え、
「水はセルフとなっております」
という低く響く声が一瞬空気を裂いた。
通路を奥へと進み、最も端のカウンター席に身を沈めた。
隣席には若い夫婦と小さな子どもがいて、湯気を立てるラーメンの丼を囲み、音を立てて啜る光景が目に入った。
ふと視線を落とすと、テーブル席には今どきの若い女性たちが数人、同じくラーメンを啜っている。
「おいしいね」
と子どもに語りかける若い母親の声が耳をかすめた。
その声に促されるようにして、私は隣の丼を一瞥する。
澄んだスープは確かに期待を抱かせるものがあり、心のどこかで後悔を覚えながら、すでに選び終えた自分のメニューを思い出した。
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「スープです。お熱いのでお気をつけてください。すぐにチャーハンが出来上がりますので」
再び強面の男性スタッフの低く太い声が響いた。
湯気を漂わせて置かれた小ぶりのスープを見つめる間もなく、厨房の奥からいよいよチャーハンが運ばれてきた。
その頂に鎮座する揚げワンタンが誇らしげにそびえ、一握りの刻みネギが散らされた様子は、どこか壮観ですらあった。
それを支えるチャーハンはまるで神輿の上に鎮座する本尊を彷彿とさせた。
揚げたてのワンタンとそれに絡んだネギに齧りつくと、乾いた咀嚼音が耳元にまで届き、衣の香ばしさとネギの瑞々しさが舌の上で混ざり合った。
それに対して、下のチャーハンは驚くほど蛋白な味わいで、どこか控えめに感じるほどだった。
揚げワンタンの攻撃的な味に抗おうとするかのように、チャーハンは意図的にその存在感を薄めたようにさえ感じられた。
しかし、そのボリュームは揚げワンタンに比していささか少なく、物足りなさが胸にわだかまった。
それでも、外の三角看板に描かれていた“チャーハンに全部乗せてみた”という誇張めいた豪勢さを望む気にはなれなかった。
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最後の揚げワンタンの断片と、わずかに残ったチャーハンを口に運ぶと、ようやく皿の底が露わになった。
私が箸を置いたその瞬間、入り口から男性客がひとり店内へと姿を現した。
それに応じるように、再びあの強面の男性スタッフが威厳に満ちた声を響かせた。
私はまだ食欲に余白を残しながら、水道橋へと続く壱岐坂を下ってゆくばかりだった。……