【人生最期の食事を求めて】変貌と拡張を続ける東京駅で喰らう立ち鮨様式。
2024年6月23日(日)
立鮨 すし横 ヤエチカ店(東京都中央区八重洲)
傘を差すか差さぬか微妙な霧雨がずっと降り続いていた。
日本人なら傘を差すが外国人は一様に傘を差すことがないのは、おそらく文化の中で育まれた習慣だろう。
つまり、彼らは濡れようが濡れまいが多少のことはどうでもよく、そういった自己判断の中に他者の視線を気にするという考慮は微塵もない。
日本橋から東京駅への道程で、開発に次ぐ開発によって次々と巨大なビルが立ち並ぶ。
果たして、この開発によって何が生まれるのか?
すると唐突に“失われた30年”というメディアで言い尽くされたキーワードが浮かんだ。
失われた10年、失われた20年、失われた30年……
失われたものとは果たして何を示唆するのだろうか?
バブル景気の喪失?
バブルとは、所詮は実体の伴い泡に過ぎない。
つまり、失われたのは時間であると同時に、経済を再浮上させる機会を失ったのではないか?
開発中の巨大なビル群は、無言のうちに私にそう言い聞かせているように感じた。
私は経済学には疎いのだが、この巨大な開発中のビル群はオーストリア出身の経済学者ヨーゼフ・シュンペーターを思い出させた。
シュンペーターと言えば“イノベーション理論”だが、それは「価値の創出方法を変革して、その領域に革命をもたらすこと」を意味する。
つまり、“失われた30年”と言うのではなく、製造業に溺れ続け自惚れ続け、単に新しい価値を創造してこなかった“無風の30年”と言ったほうが適切ではないか?
その製造業でさえ今ではどうであろう、と私は握りしめているスマートフォンを一瞥し、車道を過ぎ去る高級外国車を一瞥した。
気がつくと東京駅八重洲口に辿り着いた。
11時前だった。
東京駅はターミナル機能だけでなく、巨大な商業集積地の一つとして凄まじい人々が交錯している。
私は八重洲口の地下に潜り、凄まじい人々を回避するように努めた。
幸いにして昼前ということもあり1階ほどの人混みではないが、それでも百貨店に劣らないショップが軒を連ねて客を待ちわびているようだった。
飲食店の集うエリアの一角にある東京ラーメンストリートには早くも行列の人を覗かせていた。
と言って別段食欲が刺激されることもなく、ひたすら私は歩き続けた。
すると、“江戸前”という踊るような筆文字が私の前に立ちはだかった。
どうやらオープンして間もない寿司店のようであり、しかも“立鮨”とある。
ものは試しとばかりに店に入ると、威勢の良い掛け声が私を通り越して店先にまで響き渡った。
「立っても座っても大丈夫ですよ」
確かに年配客や女性客は座り、若い客は立って食している。
特段見栄を張るわけでもないが、私は立ちスタイルを選んだ。
用紙にネタを書き、カウンター越しの男性の寿司職人にそれを渡す。
その横ではスタッフ同士が話し合っている声が聞こえた。
オープンして間もないばかりにオペレーションや機械の使い方を確認し合っているようだった。
まずは「あら汁」(150円)が届きひと口飲むと、すぐさま「〆さば」(240円)が目の前に置かれた。
ネタの下に横たわるシャリは程良い小粒感で薄っすらと赤酢に染まっているのだが、いざ食すると強く締めたネタが赤酢の薫りを抑え込んでいた。
すぐさま「かんぱち」(400円)が置かれた。
〆さばとは異なり、赤酢の薫りが緩やかに鼻腔をかすめた途端に、「えんがわ」(320円)が訪れた。
それは、独特の深い甘味を携えてそれまでなかった食欲を急激に刺激した。
えんがわをお代わりしようかと思ったその時、「まぐろ」(320円)、「あなご」(240円)、そして「玉子」(160円)が立て続けに置かれていった。
それぞれを難なく食べこなし締めは玉子で終えようとしたものの、もう1品を求めている自分に気づいた。
えんがわにすべきか、それとも別のネタにすべきか、思いあぐねた末に巻物の「葉わさび」(250円)で締めることにした。
それは、北海道の山わさびにも匹敵するほど意想外な辛さを帯びて私の鼻腔を貫き、心なしか涙で瞳が潤むほどであった。
上がりを飲みながら、私は再びシュンペーターのイノベーション理論とこの国の経済について考えた。
加速する高齢化と人口減少を背景に、“成長せよ”と言われても誰が成長すると言うのだろう?
GDPという量的な膨張指標に惑わされることなく、年々その順位を下げようが良いではないか?
成長ではなく発展を。
規模ではなく成熟を。
寿司店が次々と新たなスタイルに変貌しているように、量的成長という呪縛を捨て質的発展という在り方を模索するのが、この国の限られた選択に違いないのではなかろうか?
暑すぎる上がりを飲み干すと、そこで私の思考は途絶えるのだった。……