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【人生最期の食事を求めて】鰯を主役に据えた創意工夫と具現。

2023年10月6日(金)
鰯組(石川県金沢市)

湿気を孕んだ雲の体積が今にも空から落ちて来そうなほど重たげに日本海の空を埋め尽くしていた。

北陸新幹線の開通によって生まれ変わったJR「金沢」駅兼六園口に威風堂々と構える鼓門と雲とのコントラストは、どこか荘厳な風情を称えている。
能楽や加賀宝生といった金沢の伝統芸能をイメージした作られたそれは、迫力のある存在感とは裏腹に繊細な幾何学模様を織り成して、訪れた人々の目を釘付けにする。

JR「金沢」駅鼓門

近江町市場を通り過ぎ、北陸随一の繁華街である片町へと向かった。
繁華街というものは、大なり小なり喧騒も空気感も人種も同類と言える。
その町の路地に伸びる道にその店は静かに佇んでいた。

その名の通り鰯組は鰯料理専門店である。
鰯と聞くと繊細で腐りやすく鮮度を保つことが難しいイメージがつきまとう。
そんな鰯に敢えて挑むとは、この店の矜持と心意気が伺われる。
落ち着きのある店内は、やはりどこか金沢の郷愁を漂わせる。
店は客を育てるのか、客もまたどことなく坦然とした風情であった。

鰯組

まずは生ビールを注文してメニューを俯瞰した。多種多彩な鰯料理が連なる中で、まずは「鰯梅しそ春まき」(880円)、「鰯のフライ」(990円)、そして「鰯つみれ鍋」(990円)に目を奪われるままに注文した。

美しく整われたお通しとビールを味わっていると、鰯梅しそ春まきがそっと置かれた。
その見た目は鰯の小さな身のままに軽くレモンを絞り食すると、レモンの薫りが通り過ぎるや否や、切れ味の良い梅しそと鰯の苦味の融和した味と食感が、私の耳を奪い、鼻腔を撫でるように通り過ぎた。
ビールが春まきの波長に合わせて見る見る消えてゆく。
再びビールを頼むと、鰯のフライが登場した。
まさに鰯の身が透けて見えるほどの衣は優しく、鰯の風味を邪魔をすることなどありえない。癖もないスナック菓子のようにビールと追随してゆく。

鰯梅しそ春まき(880円)
鰯のフライ(990円)

それにしても静かな金沢の夜である。
若年層が集う片町の殷賑と喧騒は嘘のようだ。
すると、外国人観光客の男女ふたりが入ってきた。
隣の席に座るとさっそくメニューを眺め、何を注文するかを相談し合っているドイツ語が聞こえた。
そう言えば、と私は金沢駅から乗ったタクシー運転手の発した言葉を不意に思い出した。
「北陸新幹線が開業してから金沢はかなり変わりましたよ」
と丁寧な口調でタクシー運転手は語った。
「新幹線が開業したらホテルの客室数が名古屋より多くなったんですよ。名古屋のほうが圧倒的に人口が多いのに。その影響で観光客がかなり増えましたね」

その観光客と言っても、京都や大阪を埋め尽くすオーバーツーリズムという状態ではない。
街中を歩いていても見受けられたインバウンドは欧米系が圧倒的に多く、東アジアは非常に少ないように感じられた。

鰯つみれ鍋が満を持して置かれた。
葱、揚げ、豆腐、椎茸の眠る隙間から鰯のつみれが見え隠れしている。
といっても、その味覚は至ってたんぱくでほとんど癖はなく、鰯の長所を引き出す工夫うでも成されているようだ。
敢えて言えば、10月らしい初秋の肌寒さがあればこの鍋の存在は一層格別なものを感じたいに違いなかった。

鰯のフライ(990円)

そこでハイボール、さらに「鯵ばってら寿し」(770円)と北陸の保存食と言われる「こんかいわし」(550円)を追加した。
日本酒という選択肢はもちろんあるのだが、ついハイボールと口走ってしまった。

振り返ると2023年3月から5月にかけて3回に渡る痛風の深夜未明の襲撃は、これまでの私の食生活を全否定した。
大量の水、プリン体摂取の回避、そして薬を飲んでもその痛みは苛烈この上ない。
それでも懲りずに自分で料理しないすることを拒絶し続け、ビールを欲する者としては、旅の醍醐味は、その時々の想いに乗って食する美味なのだ。

ボリューム溢れるばってら寿しは、一見するに昆布が巻かれたように見える。
が、ひと口食するとその背後から仄かな生姜の香りが再びハイボールを誘った。
さらに、こんかいわしを口に運ぶと、これまでの鰯料理にはない濃厚で重厚な塩辛さによって北陸保存食の意地を垣間見た。
だからといって、痛風の恐怖に怯えるのはやめておこう。
尿酸値を下げる強力な薬を味方に、今宵はもう少し金沢とともに過ごそうと思うのだった。……

鯵ばってら寿し(770円)
こんかいわし(550円)

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