見出し画像

【孤読、すなわち孤高の読書】ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズⅠ・Ⅱ』

世界中の人々の掌にテクノロジー革命をもたらした、天才の光と影。

[読後の印象]
現在のところ、おそらく今世紀最大の発明にして世界中の人々の掌にデジタル革命の具現をもたらしたのは、紛れもなくスティーブ・ジョブズである。

ウォルター・アイザックソンの著作『スティーブ・ジョブズ』は、現代のテクノロジー界における革命児スティーブ・ジョブズという一人の人間を光と影の両面から浮き彫りにした、壮麗なる伝記である。

この書は、ジョブズ自らが唯一公認した作品であり、著者はジョブズとの数十時間に及ぶ直接対話に加え、友人、家族、同僚、そして競争者たちへの膨大なインタビューを通じて、この天才の本質を探り当てている。

著者は、養子としてカリフォルニアの温暖な地に生を受けたジョブズの幼少期から、その生涯の終焉までを余すところなく取材し描き出す。
1970年代、ガレージから始まったアップルの創業、マッキントッシュの開発、そして彼の野心を持て余したがゆえの一時的な追放。
しかしながら、そこからの劇的な復帰とともに、iPod、iPhone、iPadといった、時代を画する製品群の登場は、彼がいかにして歴史に名を刻む存在となったかを示している。

ジョブズという人間を語る上で避けられぬのは、その稀有なる創造性と情熱、そして完璧主義に起因する苛烈な性格である。
彼の「現実歪曲フィールド」と呼ばれる異様な説得力や、細部に宿る美を追求する美学は、まるでまばゆい鋭利なナイフのように人々を魅了し、恐れさえ抱かせた。
だが同時に、その執念は家族や同僚との摩擦を生み、彼の人間性に暗い影を落とすものでもあった。

また、ジョブズのリーダーシップの本質も特筆すべきである。
冷徹な批判と高圧的な態度の裏には、潜在能力を引き出す力が潜み、彼が触れるすべてのプロジェクトは、炎を帯びるが如く熱気を宿していった。
だが、その炎は必ずしも平和の火ではなく、周囲との激しい葛藤の記録でもある。

本書の随所には、ジョブズの人生哲学や価値観が色濃く滲む。
彼が禅に傾倒したことや、製品設計におけるシンプルさと機能美への執着は、その精神性と世界観を象徴するものである。
全てを削ぎ落とし、本質のみを残す美的感覚。
それは、まさに禅の教えに通じる境地であろう。

『スティーブ・ジョブズ』は単なる伝記を超え、現代社会における創造と革新の本質を問う一書である。
栄光と挫折、その相克の中で燃え上がったこの人物の生き様は、読む者に、希望と苦悩、そして孤独の中に宿る美を考えさせる。
ジョブズという名の革命児は、いかなる人間にも内在する光と影を象徴し、その人生は、まるで精緻な絵画のように、鮮烈な印象を読者に残すのである。

[日本との関係性]
スティーブ・ジョブズという一人の革命児の内面を描き出すうえで、日本という存在は彼の精神の中枢に静かに、しかし確実に根を張る要素であった。
禅の教え、侘び寂びの美学、そして日本特有の「間」という感覚――これらはジョブズの思想と創造に深く浸透し、彼をして唯一無二の存在たらしめた。
ジョブズが禅に傾倒したのは、ただの偶然ではなかった。
若き日に彼が師事した曹洞宗の僧乙川弘文は、彼の精神の鋳型を形成する役割を担った人物である。
ジョブズが“生涯の師”と仰いだ乙川弘文を取材した柳田由紀子著『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズ』も実に興味深く内容だったため、参考資料として挙げておこう。

座禅により得た沈黙の中の明晰さ、不要なものを削ぎ落とし、本質だけを追求する態度ーーこれらの教えは、後にアップル製品の設計思想へと昇華された。

ミニマリズムという言葉では片付けられぬその美学は、ジョブズの手によって鋭く研ぎ澄まされ、禅の「無」の思想と見事に結実した。
また、ジョブズの心を捕らえたのは、日本の伝統美そのものであった。
彼は幾度となく京都を訪れ、庭園や茶室、そして簡素ながらも圧倒的な存在感を持つ日本建築に深く心酔した。
侘び寂びという概念に内包される儚さと永遠、静謐と力強さの融合は、彼が求めた「製品に魂を宿らせる」という夢に共鳴したに違いない。

ジョブズが敬愛したもう一つの日本は、テクノロジーと美を融合させたソニーという存在であった。
盛田昭夫や井深大といった経営者たちの哲学は、ジョブズにとって目指すべきモデルであり、その姿勢は彼の「ものづくり」における志に火を灯した。そして彼自身が築き上げた製品群(iPhone、iPad、Mac)は、その火を絶え間なく燃え上がらせ、世界中の人々に日本の美学が持つ普遍性を知らしめる結果となった。
ジョブズにとって、日本は単なる遠い異国の地ではなかった。
それは、彼の精神の奥底で確かに響き合う声であり、彼が生み出した全ての中に、静かに、しかし雄弁に刻まれた存在だったのである。
その生涯を通じて、日本の美意識は彼の創造と人生を支える見えざる骨格となり、彼という天才の輝きの中に確かな陰影を与えたのだ。

[天才性と狂気]
しかしながら、ジョブズの卓越した天才性とその裏に潜む人間的な欠陥、彼の成功の裏に潜む矛盾と複雑さを余すことなく伝えている。
彼は革新者として絶大な成功を収めながらも、同時に常軌を逸した個性を持つ人物であり、その異様性は本書を通じて多面的に描かれている。
ジョブズは、天才であるがゆえの孤独と狂気を持ちながら、その力を持って世界を変えた人物である。
この異様性こそが、彼を単なる成功者ではなく、歴史に残る伝説的存在たらしめているのだ。


いいなと思ったら応援しよう!