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【人生最期の食事を求めて】湘南の潮の香りに導かれて。
2022年12月13日(火)
「和彩八倉小町通り店」(神奈川県鎌倉市)
2022年、それは人生の中でも重要な記憶が刻まれた1年であった。
自らの意思を固め覚悟を決めたうえで1月に辞表を提出。
3月末日をもって退職。
そうして、2022年が終わろうとしていた。
人生はあらぬ方向へと進み、意想外な展開や出会いも生まれ、
そこでまた意想外の方向へと、時に志し、時に導かれ、時に流されるものだ。
気がつけば師走の東京を歩き、さらに過去へ回帰するように湘南へ向かった。
電車の両脇を覆うように、無機質な建物が林立するするも、
次第に平坦な風景が車窓を闇雲に流れてゆく。
鎌倉駅に到着したのは、まだ街が活動し始める前の時刻であった。
幸いにして天候も良く、寒さもさほど感じない。
鎌倉を訪れるのは、およそ30年ぶりだろうか?
その頃はこの地への憧憬を抱き、冬の浜辺でひたすら海を眺めたり、
家賃をそれとなく調べたり、街の隅々を歩き巡ったものであった。
歳月は容赦なく過ぎて、再びこの地に足を踏み入れた。
若宮大路の中央の二ノ鳥居を抜け、鶴岡八幡宮に一直線に伸びる参道をひたすら歩く。
やがて三ノ鳥居をくぐり抜け、鶴岡八幡宮が正面に差し迫るように鎮座している。
11世紀に創建された鶴岡八幡宮は、言うまでもなく鎌倉時代の象徴的存在である。
ただ、当時の血なまぐさい武家社会に格別な想いはないのだが、足を伸ばしてみたくなったのだった。
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すると唐突にも空腹に襲われた。
何の予定も組んでいなかった。
そう、敢えて組もうとしなかったのだ。
常にスケジュールに追われ、リスケという奇妙な短縮語に気を揉むのはまっぴらごめんである。
この唐突な空腹の充足も事前に考えたり調べたりすることなく、流れるがままに小町通りに向かった。
そう、それも人生と同じなのだ。
午前中の小町通りは思ったよりも人が疎らだった。
おそらく昼時の到来とともに、人混みは増すばかりであろう。
その前に食事をしなければならない。
そんな強迫観念に襲われた。
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紫色の小さな巻物のような垂れ幕に、“朝獲れ生しらす入荷しました”という白抜きの文字を見出し、否応もなく吸い込まれその店の階段を登った。
そうなのだ。
鎌倉といえばしらすなのだ。
食事をしなければ、という脅迫観念はしらすを食したい、という食欲に、予定調和のように変転していくのは言うまでもなかった。
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席に座って早々にしらす丼を注文しようと試みたが、
「生しらすと釜揚げしらすの二色丼」(1,780円)に目を奪われた。
人は季節限定や数量限定に弱いものだ。
電車と徒歩による移動で疲れているはずなのに、しらすの魅力と期待は立ち所に疲労の所在を不明にさせる。
訪れたそれは、ともあれ期待の域に入ったままだ。
大きなお椀の中の生と釜揚げの香り、その脇を固めるお吸い物、梅干し、ごぼうの胡麻和え、さらに茶碗蒸しといったラインナップにも当然にして好奇の一瞥を投げかけた。
まずは薄灰色の釜揚げしらすに箸を差し向けた。
口内で浮遊するように漂いながら、独特の旨味が四方に散らばるように駆け抜ける。
さらに、銀色に輝く生しらすを頬張ると、凝固した身から釜揚げにはない旨味の凝縮が駆け抜ける。
それは、鮮度が高いからこそ成し得る味としか言いようがなかった。
食べ進める度毎に、湘南の穏やかな海が、海面に輝く日差しの破片が、そして豊かな海の恵みが、口内から全身を飲み込むようだ。
しらすの釜揚げと生の交互の進行、まさしくこの地で食する贅の最右翼に違いないのだ。
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食の贅沢は長くは続かない。
容易に完食し、湘南の海を目指した。
釜揚げしらすのような薄灰色した雲が散り散りに裂けたかと思うと、目前に広がる由比ヶ浜の海面をまばゆいばかりに照らしていた。
海の浅瀬でサーフィンを楽しむ人や釣りを勤しむ人が見受けられた。
その姿は、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」のラストシーンさながら、午後の陽光を浴びて立ち尽くすダッジオのようで、どこか神々しい光を纏っているように見えた。
私はと言えば、悲劇に終わる主人公エッシェンバッハの気分で、もうしばらく浜辺でその姿を眺めることにした…
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