【人生最期の食事を求めて】上質な焼肉がもたらす自己解放と実存。
2024年5月14日(火)
炭火焼肉にく式すすきの店(北海道札幌市中央区)
“小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思います”という元プロ野球選手のイチロー氏が残した名言を裏返すと、不摂生の積み重ねが様々な病気を産み出す発端となり得る。
この1年間における私の痛風との格闘は、体質的な特性もあるだろうが不摂生の積み重ねが大きい。
しかも薬を飲み続けていても生じた痛風発作は、私に負の衝撃を与えた。
さらに、極度の寝違えから派生した頚椎症性神経根症による首肩の鈍痛と指の痺れという苦痛は追い打ちをかけた。
年齢を積み重ねるとは、まさに怪我や病気との静かな闘争なのだ。
それぞれの痛みは私の行動を否が応でも制限した。
そして、その不摂生の極みは私の食事をも制限した。
しばしの間、行動と食事の制限を受け入れるほかなかった。
と言って、家電嫌いで料理嫌いにとっての食事制限は案外たやすく、毎日同じものを食してもさほど辛くない。
むしろ行動制限が生を否定されるほどの忌々しい苦痛にほかならない。
5月にしては強い日差しが降り注いだが、駆け抜ける風は心地よい。
そうした天候の推移は、歩く度毎に肩の痛みと指の痺れに苛まれながらも行動制限を緩め、そして自己を解放するように食事制限を緩めた。
18時を過ぎていた。
いつの間にか日が長くなったことに静かな喜びに満たされながら、すすきのの奥処へと足を踏み入れた。
淫靡なネオンと相まってジンギスカンの有名店や焼肉店が犇めきあう中で、焼肉の本流のような店を見出した。
店内は細長く4つのテーブル席を認めることができた。
自己解放の最初の要請はビールだった。
痛風持ちにとってビールは憎むべき相棒のようなものだ。
よく冷えたビールを一気に飲むと、その快感は体内をめくるめくように駆け抜けて前菜のキムチやナムルを催促する。
さらに牛煮込みの美味はすぐさまビールのお替わりを求め、焼肉の到来を忘れさせてしまうほどだった。
それを呼び覚ますかのように「並タンと上タン」が運ばれてきた。
その風貌からして丁寧な包丁さばきが窺える。
並タンと言ってもそれを食した途端に並の領域を超えている。
となると、上タンは食する前から期待を著しく高め、さらに網の上で変貌を遂げるその姿は期待を超越して神々しいほどだ。
口元に迫る肉の臨場感に昂揚しながら、私はそれを噛み締めた。
肉厚の実感、迸る肉汁、咀嚼から導かれる旨味、……あらためて私は食事制限からの解放と快感に酔いながら、にごり酒に口を寄せた。
そこに「上レバー」が置かれた。
天井の照明が当たる表層は鮮度の高さを物語る輝きを放っている。
軽く炙りすぐさま噛みしめると、表層の焼き目から柔和な内奥に至るそのプロセスは至福とも言うべき滑らかさを弄び続けた。
ふと学生の頃を思い返した。焼肉の贅を知らなかった頃、私は哲学書に読み耽り、実存主義に深く傾倒した。デンマークの単独者キェルケゴール、ドイツの超人思想の提唱者ニーチェ、ナチス加担の汚名を背負ったハイデガー、そしてフランスの先駆者サルトル。
けれども、私の中でその思想は次々と変遷し、今は行動制限と食事制限とその解放にこそ実存を見出している。
その実存をさらに確かめるように、「しまちょうとてっぽう」の組み合わせ、さらに「上カルビ」と「カイノミ」、そうして「ハラミ」が運び込まれた。
その一連の肉たちは容赦のない咀嚼を求めたかと思えば、溶け入るような舌触りを残してゆく。
最後に「焼きしゃぶ」が登場した。
薄っすらと焼き、すぐさま濃密な生たまごに浸し飲み込むと、肉の存在は跡形もなく消える。
そこに残された空の皿を、私は芋焼酎のロックをひと口ひと口飲み進めながら眺めた。
『快感とは制約と対をなす』
私の実存はそんな箴言をこぼした。
締めの「コムタンスープ赤」がテーブルに置かれた。
紅色と橙色の混濁したスープと相塗れるなだらかな唐辛子はアルコールを打ち消すように体内に忍び込んだ。
なんという実存の了解だろう。
店を出ると店先まで出てきた店長らしい男性スタッフが見送り続けた。
その対応はきっとあの丁寧な肉さばきにも現れているのだろう。
私の肢体は俄に身震いした。
それは、夜のすすきのに吹き過ぎる風がやけに薄ら寒く感じたからだろうか?
それとも、再び訪れるであろう痛風発作との闘争に備えた武者震いなのだろうか?……。
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