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【人生最期の食事を求めて】鋭利な異趣が汗を誘う担々麺。

2023年5月18日(木)
「タンタン」(北海道札幌市)

頻発する地震も、北朝鮮の弾道ミサイルも報道の連続性によって、すべては習慣化し日常茶飯事になる。
ヒグマの出没も同様である。
どこか不安と恐怖を自覚しながらもなぜか他人事で、芸能ニュースや天気のような挨拶代わりの話題となり、怖い怖いと言葉を交わすのが新たな日常のようだ。

札幌市西区西野。
穏やかな街の佇まいと緩やかな坂道、その先に新緑の帽子を被った山々が連なる、まさに文字通りの体裁を成す街である。
そんな街に目指してやって来たのは、独特の担々麺を食するという目的達成のためである。

おそらく、人生最期の食事を担々麺で締めようという信念は毛頭ない。
ただ、その評判の味を人生の中に刻もうと訪れた。

果たして、担々麺とは中国四川省をツールした麺料理であるが、日本におけるそれは多様な進化を遂げていて、近年ではいわゆるソーシャル・メディアを意識した華やかさを演出し、それはそれで美味ではあるのだが、インフルエンスへ過剰な迎合に何らかを危惧を抱く。

が、この日目指した担々麺は、インフルエンスへのアンチテーゼのような古風な様相で、11時30分の営業開始とともに掲げらた暖簾もどこか住宅街に溶け込む風情のように思えた。

すると、どこからともなく客が出現したと思うと、電灯に群がる蛾のように店内に吸い込まれてゆく。
それは私も同様だった。

矢継ぎ早に客が吸い込まれていく。

店内に入ると、それなりに年配の店主と女将さんという日本の古き飲食店の姿が出迎えた。
とまれかくまれ、席に着くや否や元祖タンタンメン850円を壁面に見出し、辛さの尺度を知るために普通と中辛の中間をオーダーした。
厨房の奥から四川の熱量を予感させる夾雑音が届いた。
店主の背中越しに見える調理する背中は、年齢を感じさせない躍動感を漂わせ、何か得体の知れないものと闘うような懸命な風情に見えた。


元相と銘打つオリジナリティ。
昭和風情のメニューに哀愁が漂う。

矢継ぎ早に料理が運ばれる。
その中に元祖タンタンメンが目の前に置かれた。
担々麺の風貌を覆すような意表を突くその姿に、まずは目を奪われるしかなかった。
沸々とした熱も溶き卵と挽肉に抑え込まれ、静穏さを装っているかのようだ。
その中に埋もれた麺は、札幌味噌ラーメンでよく見かけはする中太の縮れ麺だが、担々麺にしては珍しさを思えた。

そこに、いわゆる痺れ系の辛味はなければ練り胡麻の風味もない。
どこか清らかなスープながら一度飲むと、鋭利とも言える唐辛子が喉に突き刺さった。その狭間に刻みにんにくが鼻の奥処を駆け抜けて、言い知れぬ斬新な世界に導かれるのだ。
それにも慣れてくると、麺を思いのままに吸い寄せ続ける。
もはや現代の担々麺への挑戦というべきだろうか?

辛さに強い自負がありながらも、目元に夥しい汗の噴出をティッシュで次々と拭うほかなかった。
その辛さの特筆は切れ味の鋭さだ。
途絶えることのない汗を拭いながらも、その辛さに次第に慣れ始めた。
すべてが予定調和のように安穏と完食へと向かった。
そうなのだ、地震の頻発も、弾道ミサイルも、ヒグマの出没も、どんな非日常も慣れてしまえば日常化するのだ。
美味も慣れてしまえば、日常化した末に格別さは喪失する。
その自覚を人生最期の食事まで忘れてはならない。


歯切れ良い縮れ麺と絶妙の辛さに没入してしまう。

会計を済ませ、外に出る。
ファスナーを下ろしたパーカーの下の引きこもった汗を制するように、山から吹き下ろす微風が冷涼のように感じた…

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