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【人生最期の食事を求めて】洗練空間の中で愉しむたまごサンドの粋。

2024年6月16日(日)
THE COFFEE BAR(岡山県岡山市北区)

前日の広島への突発的な旅の中で、私はとあるコーヒーショップで休憩していると、ある意味で衝撃的な会話を耳にした。
それは、“岡山県民は早起きが苦手ゆえに早朝から営業する店が少ない”という内容である。
果たしてそれ事実なのか?
それとも俗説に過ぎないのか?
その場で私はすかさず様々な検索手段で店を探した。
私の手許のスマートフォンに朝食を提供する店は数店舗浮かび、すぐさま営業時間を確認すると11時営業の店はあるものの、確かに早朝営業のそれは見当たらなかった。
その理由は早起きできない県民性なのか否かはともかく、ある程度事実のように思われた。

そもそも私には朝食を食べる習慣はない。
朝食をしっかり摂ることは健康の礎というのが揺るぎのない通説なのだが、それに反して私は旅以外で朝食を摂る習慣が全くと言って良いほどない。
旅における朝食は習慣を超越したある種特殊なイベントに過ぎず、食べたいという欲求がないとしても“思い出”としてモチベーションが強く働くのだ。
それゆえに、旅先でのご当地でしか愉しむことのできない朝食を食べることができないとなると、心なしか何かをやり残したような喪失感にも苛まれた。
広島から岡山への新幹線の中でも、岡山の名物であるサワラやマダイといった魚を載せた海鮮丼の幻影が夜の車窓に浮かんでは消えてゆく。
その魚たちへの欲求は、小さな漣が波紋を広げてゆくように私の心の波打ち際で泳ぎ続けるのだった。

翌朝の空には薄い雲が張り巡らしているものの、朝の空気は心地よく暑さも感じられなかった。
8時頃だった。
岡山駅まで辿りついても人の往来は少ない。
飛行機の時間まで充分余裕があった。

すると、“岡山県民は早起きが苦手ゆえに早朝から営業する店が少ない”という俗説が私の中で再び芽生え、それを確かめるように岡山駅の中にある「さんすて岡山」という商業施設を巡ることにした。
なるほど、それは事実であることを私は確かめたような気がした。
歩いても歩いても、早朝営業はコンビニエンスストアとテイクアウト専門のコーヒーショップ以外になく、商業施設の中央に設けられたテーブルに人々が集って食する光景以外確かめようもなかった。

岡山駅の西口に足を伸ばした。
バスの往来や巨大なコンベンションセンターやオフィスビルの佇立を目にしたものの、日曜日ということも手伝って人の気配は感じられなかった。
そこに唐突に無機質な雰囲気を宿した店に出くわした。
手書きのボードにはスペシャルティコーヒーとある。
一瞬入るかどうか迷ったが、時間的余裕とコーヒーの欲求に背中を押されてドアを開けた。

THE COFFEE BAR

「おはようございます」
まだアルバイトを初めて間もないと思わえる、初々しい男性スタッフの声が天井高のある空間に響いた。
フードメニューを見ると、トーストやサンドイッチとのセットメニューがある。
少しばかりの空腹感もあり、私は「たまごサンドとコーヒーのセット」(1,350円)を選んだ。
小洒落た印象の店内には、若い男女のカップルやスーツケースを持った女性同士の客、さらに奥の席には男性同士の客の姿が散見された。
私は外が見えるテーブルを選んだのが、外と言ってもビルの外壁しか見えない。

たまごサンドとコーヒーのセット(1,350円)

しばらくすると、初々しい男性スタッフが先にコーヒーを持ってきた。
そのコーヒーは、いわゆる中煎りゆえに酸味の強さが顕著だった。
最近のコーヒーの傾向は、北欧の影響から朝煎りや中煎りが流行しているが、深煎りの苦みの強いコーヒーを好みとする私にとっては、なんともフルーティー過ぎる。
遅れてたまごサンドが訪れた。
大きな皿には存在感を誇示するたまごサンドとそれに劣らぬサラダが盛られていた。
すべて岡山産というサラダから食すると噛み締めるほどにそれぞれ濃密な味が広がり、口腔に残るコーヒーの酸味を洗い尽くした。
たまごサンドはその存在感もさることながら、食パンから溢れるばかりの卵が襲いかかるように私の口内を覆うと、ピクルスのさりげない食感と酸味が卵の深い甘味を引き立たせていた。
私はコーヒーの酸味を再び確認しながら、サラダとたまごサンドの循環を繰り返すことに努めた。
それは酸味と甘味とボリュームとが程よく巡るも、どこか穏やかで優しい。

この朝食はどの旅先でも食することができるであろう、ありふれた日常の断片かもしれない。
そこに旅の空気感を得ることはできないかもしれない。
しかしながら、すべてを食べ終えた時の浮薄ながらの満足感は、のちに“岡山の朝食”という揺るぎない旅の記憶の断片を刻み込んだことなど、この時知る由もなかった。……

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