【人生最期の食事を求めて】札幌味噌ラーメンを代表する双璧的存在。
2023年3月17日(金)
麺屋 彩未(北海道札幌市豊平区)
“パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。”
と書き残したのは、古典文学の傑作のひとつ「ドン・キホーテ」を書いたスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスである。
それを現代の日本人に照らし合わせれば、ラーメンということになるのかもしれない。
さらに付け加えて現代の札幌民に照らし合わせれば、
“味噌ラーメンさえあれば、たいていの寒さは堪えられる。”
と言い換えることが可能かもしれない。
そうは言っても、札幌味噌ラーメンの歴史は短くも幾層にも折り重なる。
通説では1955年の「味の三平」から始まり、様々なラーメン店が乱立と消滅を繰り返し、1964年には創業の「純連」、そして「すみれ」の派生によって札幌ラーメンはその地位を確立。
やがてコンビニエンスストアとのタイアップによる開発は、その再現性の高さから全国的にも知れ渡り、揺るぎない知名度を誇るようにまでなった。
現在では「純連」や「すみれ」で修行して独立した店舗が次々と登場し、いわゆる「純すみ系」と言われる勢力まで登場している。
その中でも「彩未」は2000年の創業以来、群を抜く人気を博し続けている。
その名は全国に知れ渡ったせいか、主な客は地元民よりも観光客と言って良いほどだ。
札幌都心から少し離れた住宅の一角に忽然と現れる店の前は常に行列を成し続け、この店のラーメンを堪能できるかは、どれだけ行列を堪え忍べるかにかかっている。
往々にして大きな雪が舞うことがあっても、もう真冬のような粉雪ではなかった。
午後の日差しは春の予感をはらんでいて、優しげな温もりで全身を包み込んだ。
昼の部が終わる15時15分直前に店の前を訪れると、幸いにも客の姿はなかった。
心なしか安堵を覚えるも閉店直前ゆえに終了ということも考えられた。
店の中に入ると店内で待つ客の姿が見受けられ、カウンター席やテーブル席は満席状態だった。
いつものことだからスープ切れなら潔く諦めよう。
私は諦念を拭い去ることなく、店員に尋ねた。
アルバイト風の若い女性スタッフは、
「大丈夫ですよ」とやけに凹凸のない口調で応えた。
拍子抜けしながらも、私の中で揺らいでいた諦念は春の雪のように舞ってはすぐさま消えていった。
待合用の椅子に座るも、食べ終えた客が次々と会計を済ませ去っていく。
「お待ちのお客様、奥のテーブル席へどうぞ」
私は忙しなく席に座り、悩むことなく「味噌らーめん」(900円)と若い女性スタッフに畳み掛けた。
店内のあちらこちらから麺を啜る音が折り重なり、時に荒々しい怒涛のように、時に不調和で難解な現代クラシック音楽のように、私の耳目は奪われ続けた。
「味噌らーめん、お待たせしました」
凹凸のない口調が突如として麺を啜る音を遮ったかと思うと、丼が私の目の前に置かれた。
湯気を封じたラードの膜の上をチャーシューとおろし生姜が座し、その傍らでネギともやしが黄土色したスープに鮮やかなコントラストを添えている。
レンゲで緩やかにスープを掻き混ぜ、チャーシューの上のおろし生姜をスープに絡めながら沈めた。
それまで我慢していた湯気が一気に湧き上がると同時に、味噌と生姜の香りが私の鼻先を、そして食欲を誘惑してやまなかった。
他の純すみ系よりも安穏とした味噌スープと生姜が私の体内を駆け抜けていったかと思うと、私は勢いにまかせて麺を啜った。
王道である中太の縮れ麺はスープに絡むという紋切り型の表現とは異なる、どこか絶妙な一体感あるいは抱擁感のような感覚が押し寄せてくる。
このスープあってこそ麺は生気に満ち、この麺あってこそスープは際立つ。
さらにチャーシューは欠くべからざる存在として昇華していて、まさに三位一体ならぬ“三味一体”と声高に主張しよう。
濃厚であることに変わりはない。
だが、それを感じさせないほどの行き届いた調和、そして完成度の高さに、私は舌を巻き呆気なくスープを飲み干した。
突如として吹き出してくる汗は止まる気配を見せなかった。
外に出ると夕刻を兆した空が西空に映えていた。
晩冬の余韻が残る冷たい風が私の火照った肌を音もなく駆け抜けてゆく。
春はそこまで来ていた。……
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