![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20220574/rectangle_large_type_2_46255c6fa82c6fff442f0d4f0b39ef34.jpeg?width=1200)
56歳、会社辞めてシルクロードに餃子食べに出かけてみた①▲▲スタンってどこやねん
卒業旅行は中国から列車でカザフスタンに行きたいんだよね
娘は中国に1年ほど留学していたので、その間 中国の辺境地をたびたび旅行していた。
辺境そのものも好きなんだろうけど、留学ビザでは中国国外に出られないため(出たら戻れない)、北朝鮮、ロシア、ミャンマー、タイなどの国と国境を接する街や少数民族の集落をひとりで訪ねていた。
列車の硬座(列車の硬い座席、もちろんリクライニングなんてしない)で長距離を移動したり、舗装されていない山道でバスに揺られたり、ガイドブックのない旅をしていた。
私は…と言えば
海外旅行なんて、女ともだちと呑気に台湾グルメ旅行ぐらいに出かけるのが関の山。旅行先を選ぶときの合言葉は「日本と同じぐらい快適で安くて美味しいとこ」。過酷な旅など無縁なお気楽おばさんだ。
娘の話から、中国の治安の良さは何となく理解していたので一人旅をさせてもいいと思っていたが、列車の中はさておき、着いた先が「スタン」の国となると話は別だ。
なにしろ私はスタンといえば、全部アフガニスタン並みに紛争の絶えない物騒な国だと思っていたのだ。
「女の子が1人で行くの?ボーイフレンドでもいいから一緒に行く人いないの?」
娘は1年留学していたので、すでに大学も5年目。同級生は全員社会人1年生。それに行き先がマニアックすぎる。
「カザフスタンに着いたらどうするの?そこから帰ってくるの?」
「ううん、違う。ウズベキスタンにも行こうと思ってるんだよね」
スタンの国からさらにスタンの国に行こうと言うのだ!
なんて危険な!
心配ばかりする私に娘はサマルカンドの写真を見せた。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20159270/picture_pc_f8b6da9b69790537bfe77baf83aac9a5.jpg?width=1200)
(※写真は後日自分で撮影したものを使用しています)
青いモザイクの美しい建物の数々に私は目を奪われた(なんてありきたりな感想…恥)
しかもどうやらその美しい建物がウズベキスタンにはたくさんあるというじゃないか。こんな綺麗なものを自分の目で見てみたい!
私は娘と一緒に旅行先について調べるうちに、段々自分が行きたくなってきてしまった。
街は美しくても「治安は?衛生状態は?インフラは?旅行はしやすい環境なの?」とまだまだ不安があった私は手始めに織田博子さんのコミックエッセイを読み始めた。
織田さんもウズベキスタンの建物の美しさに魅せられて、旅に出たひとり。
彼女の人柄もあるだろうけど、女性1人でも怖い目に遭うことなく、ほっこりと中央アジアひとり旅をしている様子を読んで「なんか、あたしでも行けるかも?」と私も考えるようになってきた。
しかも彼女は国際寝台列車ではなくバスで中国からカザフへ国境越えというさらに高いハードルをひょいと(に見えた)越えていた。
中央アジアは加藤タキ。
若い人は加藤タキさんの名前を聞いてもピンと来ないよね。(知りたい人はWikipediaへGO)
タモリ氏が「中央アジアの覚え方は加藤タキ」と言っていた。
カザフスタン
トルクメニスタン
ウズベキスタン
タジキスタン
キルギスの5カ国を指す。
私が当初思い浮かべた紛争地帯とはまた別の地域だった。
少しずつ、私はカザフスタンとウズベキスタンについて、現状を理解するようになっていった。とは言え参考になるような書籍も少ない。1番役に立ったのは、実際に行ってきた人の旅行記ブログを読むことだった。
なんか、思ってたより近代的(失礼な奴)
正直、砂漠を旅するラクダに乗った隊商が立ち寄るオアシスの街…みたいなイメージを抱いていたのだが、ウズベキスタンの首都タシケントやカザフスタンのアルマトイには高層ビルが立ち並び、緑も豊かだ。
特に、アルマトイの整然とした街並みの向こうに天山山脈が高くそびえる情景はなんとも旅情を誘うものだった。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20199279/picture_pc_ad4d1126e16e861894634b3c6721e07d.jpg?width=1200)
(※写真は後日自分で撮影したものを使用しています)
どちらの国も旧ソ連。イスラム教徒の国だけれど、ソ連時代に宗教色は弱められたり、ロシア系の住民も多数住むようになり、様々な文化が混ざり合う多民族国家。
ヒジャブを被った女性もいることはいるが、日常的には髪を見せたり化粧してもOK。服装も自由だ。ありがたいことにロシア様のおかげで飲酒もOKな国になっていた。だってロシアといえばウォッカの国だもんね。
公用語はカザフスタンはカザフ語とロシア語、ウズベキスタンはウズベキスタン語とロシア語だ。
ロシア語と言えば、キリル文字。ЖФЩЮこんな謎の文字が並んでいる。どう発音したらいいかまったくわからない。調べていくと英語のアルファベットと同じ形なのに、発音がまるで異なる文字もあるじゃないか!
例えば、「ありがとう」という意味のСпасибо
発音的にはSpasiboだ。ローマ字っぽく読もうとしてもまるでダメ(笑)
焦った私はNHK教育テレビで「ロシアゴスキー」という番組を何度か見てみた。
いや、もう全然無理。
「こんにちは」が「ズトラトスタビチェ」なんて何音節もあって長い上に巻き舌とか発音も高難度。
私は諦めてスパシーボとハラショーの2語だけで乗り切ることに決めた。ま、Google翻訳もあるしね。
本やブログでは物足りなくなった私は旅行体験者のイベントに行ってみることにした。
イベントの探し方はFacebookをやっていれば簡単。
自分が最近検索していることと近いキーワードのイベントや広告が表示されるお節介な機能があることは誰しも気づいているだろう。
イラっとしてしまうことの多いこの機能も時に役立つ。
浅草のとあるバーで「キルギスの餃子とラーメンの会」があるというのでさっそく申し込んだ。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20219505/picture_pc_a036aca595988eba4f16f21ebb819c0d.jpg?width=1200)
これが、中央アジアの餃子「マンティ」との出会い。
料理を作ってくれたのは、海外青年協力隊でキルギスに赴任していたSさん。若きイケボ料理人だ。
牛肉と玉ねぎのシンプルな具を手作りの皮で包んだマンティは食べたことのない美味しさだった。味付けは塩だけ。それなのに奥深い味がする。
中央アジアの料理は味付けこそシンプルだが手間暇がかかる。素材の味を最大限引き出した料理はどれも素晴らしく美味しい。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20219843/picture_pc_edea06984ab52d710a52ce29cb1332f5.jpg?width=1200)
その後も私はSさんが料理を作るイベントを追っかけて中央アジアの美味を楽しんだ。私の中央アジアへの期待は彼のおかげでぐんぐん膨らんでいった。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20220164/picture_pc_686a75ec472a0b94ceb4a6e2c2ac3c63.jpg?width=1200)
スメタナという乳製品とディルをかけて食べる餃子は旧ソ連の国々で広く食べられていることを知ったのもSさんのイベントだった。
餃子がシルクロードに沿って各地に伝わり、それぞれの食文化に溶け込んでいることは何となく知っていたが、
シルクロードの餃子を自分で食べ歩くのもいいんじゃない?
私は旅のテーマを餃子に決めた。
世界各国の餃子を調べると、たくさんあるある。
日本の焼き餃子、中国の水餃子、蒸し餃子、台湾の小籠包、韓国のマンドゥはおなじみだ。今回知った中央アジアのマンティ、ロシアのペリメニ、ネパールのモモ、やイタリアのラビオリも餃子の仲間。
ウズベキスタンからカスピ海を渡ったところにあるジョージア(グルジア)にも餃子の仲間がある。しかもヒンカリという名の餃子はジョージアの国民食だと言うじゃないか。
ジョージアに行って餃子を食べねばならない
シルクロードの餃子の旅のゴールはジョージアに決定した。