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正油のだべり

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正油のエッセイを収録。作者の思うところとして、マンガよりこっちを読んでほしいとか欲しくないとか
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#現代アート

【美術鑑賞備忘録】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

モネの睡蓮を観た。ゴッホのひまわりを観た。いずれも数々の美術書、それにとどまらず各所の本や雑誌やテレビなど、あまた目にする機会がある。だから、そこまでアイコニックになった絵を目の当たりにしても、「ああ、かの睡蓮だなあ」「かの向日葵だなあ」と、どこかその感慨を昔に置いてきてしまった印象を受ける。 ただ一つ、際立った感覚としてあったのは、特にひまわりの方を観たときで、絵の具をキャンバスにだくだくに盛ってあるために、黄色の渦の中に種を表す黒い渦が出来ていた、そのことへの興味だ。こ

ヒトの視覚体験を問う [作品公開]

《記憶されるオレンジ》(2019)  組写真 作品公開によせて 自分ははっきり見ているはずなのに、人は自分と同じように見たはずのものを覚えていない。逆も然り。 たとえば、服に興味のない自分は、あまりにも流行遅れな服装をしているのは嫌だけれど、街に出て同年代がどういった格好をしているのかを見逃してばかりなので、いざどんな服を買えばいいかわからず、よく困る。そもそも人の服装なんぞ、だいたい似たようなものに見え、メンズはシックな色合いばかりだという印象だ。 ファッション

こんなのどうでしょう [作品を作ってみたい]

ある日の夕方、テレビを観ていたら、漫才師のミルクボーイが出ていた。よくできたネタのフォーマットだなぁとつくづく感心させられる。落語のように何度も聴ける、様式美がある。 ちなみに、初めてテレビで観た時に、内海さんにはデジャヴを覚えた。それはモナカだ、モナカじゃないとひたすら叫ぶ、向かって右手に立つ角刈りの人だ。その内海さんは、なんというか、奇品珍品を辻でひっそり商っていそうな……そうだ、丸尾末広氏の『少女椿』に出てくる山高帽のおじさんっぽい人を想起させる。 いやいや、それは