見出し画像

うちの実家の最寄り駅。
母の日にこんな粋なことをしていました。
ナイス。
たしか小学校の同級生の「ほんちゃん」のおじいちゃんが尽力して
ここに駅ができたと言っていたような気がします。(うろ覚え)

さて、相変わらず育休の話が飛び交っていますが、
その中では「キャリア」というキーワードが踊ることが多い。
もちろん男女ともに。
「キャリア」という言葉と、必ずしも直結しているわけではないと思いますが、そこには「出世」という要素が多分に含まれているように感じます。

兼業主夫なんて名乗っているもんで、
「キャリア」という言葉からはちょっと離れているような感覚ですが、
少なくとも「出世」というものとは無縁の生活です。

中高6年間、乗車率200%の総武線で学校に通った経験から、
毎日満員電車に乗る生活はしたくないと思って、
いわゆる会社員にならないことを決意。
以来、一度も企業に務めたことはありません。
その代わり、
スタジオに深夜2時半入りみたいな生活(週に一回ですけど)を
40代でもしていて、それはそれでしんどいんですけど。

僕が企業に務めないことを選んだのは、
満員電車のせいだけではありません。

きっと、幼いころから聞いていた母の言葉が影響していると思います。

うちの両親はちょっと変わっています。
父は普通のサラリーマン。母は最初専業主婦で、途中から働き始めました。
その辺は普通です。
父はまったく家事をせず、母が働くときも
「家のことをおろそかにしないなら」と、
「ザ・昭和」の条件を出していました。
まあそれも当時で考えれば、普通です。

書き出すと普通じゃないことはたくさんあるんですけど、
今回ピックアップする普通じゃないところは、
やたら自分たちの恋愛話をするところです。
それも男兄弟3人にうれしそうに母がする。

もう聞いてられないったらありゃしない。(笑)
いや、そうでもないな。面白いから何回も聞いたな。

父と母の出会いから、付き合い始めるときのこと、
デートの思い出、父がなかなかプロポーズをしなくて、
じいちゃんは「要・不要」と書いて手紙を出そうかと話していたことなど
エピソードが満載です。

その一つが、すごく僕に残っています。
母がなぜ父と結婚したいと思ったか。

「この人は、人を踏み台にしてまでも上へ行こうとしないと思ったから」

まだ、バブルも来ていない高度成長期真っ只中。
きっとほとんどのサラリーマンは必死に働き、
誰かを踏み台にしてでも、出世しようとしていたと思います。
むしろそうじゃないと男としてダメだと思われてしまうような
時代だったと思います。

ドラマなどでもそういう人がいっぱい出てきました。
でも、母からすると、それが魅力的に感じなかったそうです。
むしろはっきりと「そういう人、きらい」って言ってました。

その時は「ふーん、それで?」みたいな感じでしたけど、
今思えば、僕の中に
「バリバリ仕事をして出世して偉くなること」
これだけが正解ではないという価値観がうまれていたのだと思います。

学校に通っていた時はテストの点数で
順位を貼りだされたりしたこともありましたが、
あんまり興味はなかったですね。
その場では、上がった落ちたと一喜一憂したかもしれませんが、
たぶん家に帰るころには忘れていました。

たぶん、僕は競うことがあんまり得意じゃないんだと思います。
そこ、頑張れない。
それより、おいしいご飯を作りたい。
家族に「おいしい」って言われたい。
競争がきつくなると、面白くなくなっちゃう。
そんな自分です。

でもきっと、そういう人間もアリだと思えるのが
当時の時代に逆行した母の考え方だったと思います。

ありがとう、母ちゃん。
では、きょうも僕は家族においしいご飯を作ることを頑張ります。

女子短大で栄養学を学び、栄養士の資格を取ったものの
内定をもらったところが、ほとんど女子だけの職場だとわかり
即断ったという母ちゃん。
おかげで入ることになった会社で父ちゃんと出会ったのだから
その決断に感謝するばかり。

家の食卓では、いつも食材ごとにどんな栄養があるか話してたけど
それ、今めっちゃ役に立ってます。

いいなと思ったら応援しよう!