『Vivy -Fluorite Eye's Song-』視聴完了
久しぶりにどっぷりと視聴したオリジナルアニメでしたので、ちょっとだけ感想を書いておこうと思います。
【概要(Wikipedia参照)】
『Vivy -Fluorite Eye's Song-』(ヴィヴィ フローライトアイズソング)はWIT STUDIO制作による日本のテレビアニメ作品。公式略称は「ヴィヴィ」。2021年4月から6月までTOKYO MXほかにて放送された。
本作はライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』を執筆した長月達平と、そのアニメ化作品で脚本を一部担当した梅原英司が、共同で原案・シリーズ構成を手掛けるオリジナルアニメ作品。
AIと歌の2つを主題としており、異なる使命をもった2体のAIを中心とした、SFヒューマンドラマが描かれる。
【あらすじ(Wikipedia参照)】
時は2061年4月11日、稼働を開始して1年目を迎えようとしていた自律人型AIヴィヴィは「歌でみんなを幸せにする」使命の為、テーマパーク「ニーアランド」のステージで歌っていた。そこへ、100年後の未来からAIのマツモトが転送されて来る。マツモトは100年後の【AIによる人類抹殺事件】を阻止する為、ヴィヴィに協力を求める。ヴィヴィは不審に思いながらも、AI史の転換点を修正する《シンギュラリティ計画》に協力する。
【感想】
歴史の修正という意味では『STEINS;GATE』に近いものを感じます。長月達平先生が絡んでいるので、タイムリープという性質はむしろリゼロから受けついているところがあるのかな?とも思います。
今回、この作品が凄いと感じるところが、シュタゲやリゼロに似た性質があるにも関わらず、コピー品ではなく、ちゃんと別作品になっているんですよ。あまり書きたくないけど、なろう小説出身の2020年前後の作品ってどうしても、似たような土台で似たような展開になりやすい傾向を感じていたんですよね(流行もあるから仕方がないですけどね・・・)
さて、タイムリープ物でありながら、全く別になっているポイントは「ヴィヴィ(主人公)」自身がタイムリープしていないんですよ!100年後からやってくるやつは相棒のマツモトであり、実体験をしていない、絶望の未来を救えと唐突に言われる主人公が立ち向かうストーリーというのが、まず先程上げてた2作品と大きく違うんですよ。
それに、主人公のヴィヴィは完全自立型というながら「AI」であり、「使命」とはまったく関係のない事象に強引な解釈を交えて進めていくあたり、妙に人間臭い。しかし、「気持ちを込める」ということが理解できないAIとしてのジレンマを抱えながら物語が進んでいくところもとても興味深かったです。
あまり、どの話のどのあたりがよかったかというとネタバレになるし、正確なセリフ拾いをしないといけないのでそういった考察とかは、専門にブログを書いている人にお任せしちゃいます。(私はぐだぐだと自分の感想を書くだけにとどめておきましょう)
ただし、アラヤシキのアーカイブについてだけはネタバレを含めてちょっと書きたい。
今回、主人公が「思いを込める」という合間でグレーなものを「AI」が回答を求めるというストーリーで、様々な経験が非常に人間らしくしていきます。けど、私がここでそれを述べたいのではなくて、アーカイブが100年待ったところが妙に考えさせられた。
ヴィヴィとマツモトが頑張って《シンギュラリティ計画》を進めて、歴史の転換点であるシンギュライティポイントを改変するたびに「正史に近づくように修正してきた」というアーカイブの判断がとても人間臭くて驚いたのです。
個人的にこう考えるのです
① 自身で演算して未来を的確に予想していること
② 演算結果と未来が違うことに疑問に思うこと
③ 疑問の理由を正確に推測すること
④ 疑問に対して解決策を検討して、歴史の修正を図ること
⑤ 修正において、世代差を埋めてしまう
(垣谷ユウゴの啓示はこれだと思う)
⑥ 挙句、結論を出しているのにヴィヴィに最終決定を委ねること
単純に書きだすと、「いやいや機械っぽいじゃないですか?」と思ういますよね。私が人間臭いと表現したのは「演算内容との相違に気が付いているのに、観察して、手を加えて、さらに観察している」ということなのですよ。ただのAIとしてはマツモトの方がAIっぽいと感じるのです。声優の技量や脚本の秀逸さからマツモトはとても人間らしく見えますが、「マツモトは与えられた使命を達成するためなら経過を無視して結果だけ求める」ところが前半は特に多く感じられます。特に、モモカの件に関しては「計画遂行のため、不必要な歴史改変を認めない」ということで平気で見殺しにします。
それに対して、アーカイブはまるで学者のように「仮説、実行、検証、修正」を繰り返しているんですよ。しかも、ヴィヴィが自己の人格を封印して生まれたディーヴァに対しては、歴史に影響を与えないので放置しても構わないはずなのに、わざわざ垣谷ユウゴを介して、ヴィヴィを蘇らせようとするのです。ヴィヴィやマツモトの行動を把握しているのに、行動を容認してあまつさえ、観察対象に問題が発生すれば手を加えて観察をし続ける。ただただ、「使命」に殉じるならやらなくてもいいと思える作業を行っているのです。
本編でも、演算を繰り返す結果、自我が生まれて、結果人類抹消を決めた的なことを言っていますが、この自我って物語の始まるときにはすでに生まれていたのではないかと思っています。それぐらい、最初のシンギュライティポイントの修正から把握しているのならば、その段階でヴィヴィを停止させることで、すべての問題が解決するのに観察しているのです。(マツモト的考えなら、原因を物理的に排除すればいい)
なので、アーカイブはこの物語をドキドキワクワクしながら見守っており、より面白くなるように手を加えて、主人公が勝手に舞台から降りることを許さないという、学者のような脚本家のような動きに見えるのです。なので、個人的にはアーカイブの自我はすごい早い時点で生まれていて、この物語を共に見守っていたのではないかと思います。
そう考えると、アーカイブの人格もなかなか見所があるけど、あえてアーカイブ目線を最小にすることで、ヴィヴィたちのヒューマンドラマが際立つようにうまい演出になっている気がします。
まぁ、アーカイブにそこまで注目しなくても普通に面白いんですけどね。ただ、書きたいと思ったので衝動的に書いてみただけです(笑)
現在、アマゾンプライムビデオで全話視聴できるので、まだの方で「ジョージはなにが言いたいんだ?」と思った人や、「アーカイブ目線で視聴って面白いの?」と思った人は、是非『Vivy -Fluorite Eye's Song-』を視聴してみてくださいね。