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「逃げ場」。

我が子の学校への行き渋り、毎朝戦いであります。

でも、私は親にそういう本心をぶつける経験はなくて、

というかそんなこと言ったら兄弟からの鉄拳制裁がくだるのは目に見えていたから、言えなかった。

兄弟、4ぬほど怖かったんでね(苦笑)。

兄にはふさげて前歯折られたし、姉にはメンタル抉られるようなことを幼少期から延々言われ続けたし。

親は親で忙しい人だったし、言ったところで庇ってもらうより「あんたのそういうところが」と非を指摘されることが怖くて、

私にとって家の中の逃げ場は、祖父母だった。

私の視野を広げるような話(世界の政治や文化の話)を沢山聞かせてくれた祖父と、

私のダメなところも受け止めて目一杯甘えさせてくれた祖母。

学校でいじめられていたことまでは打ち明けられなかったけど、

嫌な思いばかりの毎日にも、ホッと息つける場所があることは、本当に救いだった。

自己肯定感は地を這うほど低い私だけど、自分が自分でいられる場所が、あるとないでは大違いだと思う。

私にとって祖父母という「逃げ場」がなければ、私は自分で自分をどうにかしていたかもしれない。

我が子が「学校で○○の授業が辛い、だから学校に行きたくない」と私に言う。

話誤魔化したり適当な返答したりはしたくないし、「それぐらい我慢しろ、大人はもっと辛いんだ」なんて絶対言いたくないし(それは大人の傲慢な意見、子どもは子どもの世界の中で全力で生きてるんだから)。

でも我が家は義家族同居で、あの人(義家族)達は我が子の自己肯定感をへし折るようなことを平気で言う(無自覚で)。

我が子が目に見える形の病気以外で学校を休ませたら、義家族からの容赦ない暴言で、おそらく我が子のメンタルが病む。

学校を休ませてることなく、でも気持ちを打ち明けてくれた我が子を尊重するにはどうすれば良いのか?

私は毎朝、本気で悩む。

一つでも「逃げ場」があることで人は救われる、私はそのことを体験してきた人間だから。

というか、今現在もそうなんです。

職場は人件費を浮かせたいから、フルタイム勤務ではない私のような人間は要らない方向のようで、肩身は狭まるばかり。

家に帰れば、完全同居のため義家族が当たり前のように台所をつかい、居間から私達の生活を監視、そして嫌味三昧でして。

私の肩を持ってくれる旦那と我が子の存在が、今の私にとっての「逃げ場」だ。

人が生きてく上で「逃げ場」は、絶対必要だと思う。

でも、信用・信頼出来ない相手が「逃げ場」になるわけがない。

私は我が子が本心をぶつけてくれることを、ありがたいとも思っている。

こんな頼りない私でも、信用してくれて嬉しい。

だから私は、本気で悩む。