俺の一人卒業旅行(九州ぐるっと反時計)

卒業を間近に控え、1か月のモラトリアムを満喫するべく俺は九州に向かった
みんなは1年も前に社会に飛び立っているから、1か月のモラトリアムに付き合ってくれる人間は誰もいなかった
俺の相棒はバイクだけである
時は2月後半、関西から九州までの道のりは想像通りの過酷さだった
この時期にバイクに長時間乗ると寒気を直で受けて手の感覚がなくなってしまうのだが、さすがは倍の苦しみと書いて、倍苦と呼ぶだけはある
旅行のはずなのに苦行になってしまうのはバイクの醍醐味なのかもしれない

そうは言っても事故もなく今現在は長崎にいる
今回の旅の大目的は離島だったので、行きたいところはほぼ行き尽くしてしまった
後は消化試合である
せっかく九州の西側にいるので、興味の湧く場所に時間の許す限りふらふらと行くことにする

こんな適当な旅程でも、文句の一つも言わずにもくもくと俺を行きたいところに運んでくれる俺の相棒は端的に言って最高である


長崎

長崎ではさてどこに行こうか
悩む

とりあえず長崎ちゃんぽんを食いに行く
現地の人とおしゃべりをするとどうやら長崎のホンモノのちゃんぽんを味わいたければ、商店街の中華街の中にある店で食べないとホンモノとは言えないそうだったので、その言われるがまま中華街でちゃんぽんを食べに行く

正直あまり違いが分からなかったが、まあホンモノの長崎ちゃんぽんを食すことができて、今回の旅の一つの目的を達成することができた

その後はカステラを食う
カステラおいしい
焼き菓子の中でカステラは個人的にかなり上位に挙げられる好きなお菓子である

本場の長崎で絶対食べたいと思ってたものを食べられてご満悦のダイキっちであった


長崎と言えば、何だろうと次はなると思い、次は軍艦島を外目で眺めることにした

すごく遠目に軍艦島が見える

あんな所に数万人暮らしていたのかと思うと、当時の石炭業って勢いがあったんだなと思うよねぇ
しかも今は無人という
それが一世紀経ってない期間くらいの間で起きた出来事というから、ものすごいダイナミックな歴史話だな~と思うのである

いや、数万人からいきなり無人になるって何が起きたん!?ってなる
誰か一人くらい意固地な輩がいてもよさそうなのにな

軍艦島を拝んだので、その後は島原方面へGo

平成の大噴火で有名な雲仙普賢岳を拝みに行く


島原

麓から見た景色は雄大
行ってみて思ったが、裾野が狭すぎて噴火したらどこに逃げたらええねん?ってなる場所であった
ようこんなところに人は住んでいるなぁ

山の中に入ってみると、湯気がモクモクコウコウと立ち上がっており、めっちゃ火山だな~っていうのが見た目からわかりやすすぎてすごくテンションの上がる場所である

道路沿いにも煙が立ち上ってきて視界が悪くなるので、スピードの出し過ぎには注意である

地獄だらけである

泥火山、地学の教科書で見たやつを実物で初めてみた
スケールが小さすぎて正直、なんでこんなのが教科書化してるんだよって突っ込みたくなったが、その辺はまあ、なんか色々あるんだろう

地学民はやっぱり教科書に書いている内容のものを、現地とかに行って自分の目で見て確認、咀嚼しないとほんとに自分の知識として腹落ちしないよなぁというのをこういうのを目てひしひしと感じるのである

地学に大事な素養は「考えるな感じろ」なんだなーと感じる部分である
自分には素養がなかったのでもう地学にはかかわっていないが、学問を研究追及できる人ってすごいよな~と本当しみじみと思うのである
自分にはできない

火山の楽しみと言えば、温泉
普賢岳周辺の温泉はひたすらに安く、さっと湯に浸かってさっと出る

その後は雲仙普賢岳登山である
有料道路を挟むため、学生からするとちょっとやだなと思う出費だが、せっかく来たので行くことにした

ごつごつとした山体が見える
標高はそんなに高くないが、厳しそうな山だなという雰囲気をすごく感じる

とっとことっとこ登る
登っていると、火山地帯で見られる色々な特徴的な岩が見られた

パン皮状火山弾
ぶっちゃけもっといいネーミングあるんちゃうかと思うのだが、こういう愚直でとても面白味に欠ける名前を付けがちなのが地学界隈の残念なところである

しかしこのくらいの岩が火山の時は上から高速で降ってくるというのだから、超恐ろしいものである
しかも噴火中は熱々でマグマが半分溶けている状態だから、ぶつかったら最悪くっついて離れないという地獄のような代物らしい
なんだこの超恐ろしいやつ

パン皮状火山弾の見える付近になると、普賢岳の山体が見えてくる
写真で見ると近いのか遠いのかよくわからないが、直接見るとめちゃくちゃすぐ近くにあるように見える
登っちゃいけない場所であるが、柵も何もないから行こうと思えば行ける
ただし、見晴らしが良すぎて絶対一瞬でバレるだろうなという感じである
それと噴火したらまず第一に助からない場所って感じである
あそこに行きたいかと言われるとそこまでのリスクを負っていこうとは思えないなぁと思うのが普通の人の感覚だろうと思う

ちなみに噴火したら撮影ポイントでも余裕でさっきの岩が飛んでくるらしい
逃げ場はないので普通に死ぬな~って感じの場所である

この日は天気が良すぎた
普賢岳のハイキングはめちゃくちゃ気持ちよく初心者向きだな~と思った
温泉もあって、登ったら湯に浸かれると、噴火しなければ火山ってめっちゃいいところだなーと思ったりする


無事下山を済ませて、原城などを見学する

原城は島原天草の一揆で最後まで一揆軍が粘ったところであるが、負けた後に徹底的に壊されて今は見る影もなく、見どころは正直何もなかったので、スルー

ただ、島原天草の一揆も面白い仮説があって、個人的には、その仮説が僕はめちゃくちゃ好きなのだが、その仮説とは、天草四郎、豊臣秀吉の孫だった説である

天草四郎は当時17歳だったはずなのだが、そんな奴が数万人規模の一揆軍を指揮していたというのは結構不自然な点がかなりあると自分も言われて見れば確かにと思う点がある
秀吉の孫であれば、天草四郎に求心力があっても違和感がないなと当然思えるので個人的にはこの説を自分は推している
真実は知らないが、歴史考察って面白いことを考える人が沢山いてやっぱ面白いなと思うのである
そして、その場所に行かないとやっぱり興味が湧いてこないので、現地に行くってのは大事だよなと感じる

原城の見学の後は原城とは対照的に立派な島原城を横目に眺めて、天草諸島に向かう

天草に向かうルートはぐるっと海岸線をひたすらなぞっていく方法(遠い)と、船でショートカットする方法(超早い)があるが、自分は前者の海岸線をひたすらなぞっていく方を選択肢した

というのも、鞠智城のスタンプを押しに行かなければならなかったからだ

ぐるっと回って鞠智城に到着
奈良時代に建てられたお城であり、非常に古いお城の痕跡が九州に残っているというのが非常に印象深いお城だった

この多角形の建物が非常に見ごたえがある
個人的にこういう建物はめっちゃ好きである

鞠智城は大宰府を守る後詰めの城の機能を持っていたそうだが、大宰府が上で、鞠智城が下なので、ちょっと遠すぎやしませんかねと思ったりする
この距離感の連携を7世紀の段階の人類が行えていたのかと思うと古代人を侮ってはいけないなと感じるところである


天草

さて、鞠智城を見たのちはくまモン(熊本城も通全見た後)を通過して天草に行く
熊本に入ると、急に人がめちゃくちゃ優しくなる
なんでなんだろうなと思うくらい旅人に優しい県民性をしている

東北でも秋田はすごく旅人に優しいので、先っちょの一個手前の県は優しい県民性でもあるのかなと思ったりする
ちなみに、岩手や宮崎では感じないので日本海側の法則でもあるのかなと思ったりする
ちなみに、青森と鹿児島は秋田・熊本の逆で人が優しくないので、これもまたなんらかの法則でもあるんかと思ったりする

貧乏旅をするなら熊本、秋田が人のぬくもりに触れられていいよなと思ったりする
ちなみに本当に困窮している場合は別である
自分探しの旅をするなら四国のお遍路さんの方が良い
まあそんな切羽詰まってるやつはこの記事を見てないと思うが

さて、熊本の人の良いおっちゃんの全く聞き取れない熊本弁で接待を受けつつ、天草方面へ足を進める


世界遺産になった天草の教会
すごく立派である

しかし、ここに来るまでのアクセスの悪さはものすごい
この辺の近くに住んでいる人でない限り、相当、国内の色々な場所に旅行に行って来た旅行好きの人がふとそういえば天草行ったことなかったなぁ~いってみよか~となってようやく頑張って一回訪れるか訪れないかとなりそうな場所である
仮にこの地域の観光コンサルをやることになったとして、どうやったらここに普段この地域に来ない人を呼び込めるかを考えさせられたらめっちゃくちゃ苦労しそうだなと思える
いや、無理という結論に至りそうである

さて、天草という、ほんとに日本の辺境と思える場所に来た自分はテンションが上がる
そして、牛深という天草のさきっちょにたどり着いた
すごいところに来てしまったという気分である
どうやって戻ろうと感じるところであった
まあ、船は出てるし、スーパーもあったりいうてそこまで不便でもない場所ではあるが、牛深に来た時のしょっぱなの感想は、とんでもないところに来てしまったよという感想だった

この街に生まれるか、今回の俺みたく社会人になりたくない!みたいな逃避行でたどり着くかしないと一生訪れない街だろうなと感じた

漁師の街という感じで、ご飯が漁師飯だった
海藻てんこ盛りのごはん、これがおいしかった
この海藻なんていうんだろう
コイツなんとも言えない味わい深さがあってすごく好き
もこもこしていて舌触りが非常に面白い料理だった

それにしても、天草の先っちょでも人は優しかった
バイク旅丸わかりの格好をしていたからか、めちゃくちゃ話しかけられる

なんなら家に泊めてくださろうとする方もいて、他の県にはない県民性の人たちだな~と思うところがある
野菜くれたり色々よくしてもらった
熊本はトマトをよく作っているようで沢山もらった
熊本のトマトはおいしい

そして、天草を旅立つ時間がやってくる
今回は船で対岸の鹿児島に脱出する
島沿いぐるっと迂回することも考えたが、特にめっちゃ行きたいところもなかったので、船にて鹿児島にINすることにした

船に乗って長島へ


薩摩半島

長島につくと一気に鹿児島に来たな~という感じがする
畑の感じがめっちゃ芋育ててるからだろうか?
そこかしこが芋畑である
焼酎が飲みたくなってくる気持ちをこらえて先へ進む

途中すっ飛ばして、知覧に到着
知覧城を見に行くために訪れたが、知覧と言えばそういえば、特攻の基地だったなというのを行ってみて思い出した

町全体の雰囲気は良いのに、何か重い空気が漂っている
どんよりとした空の下、知覧城のスタンプを押す

知覧城自体は見学が難しい城だなと思うが、しかし、知覧の武家屋敷は非常に見ごたえがある
剣豪の住処といった雰囲気が非常に色濃く残っていて、どの屋敷も強そうである

車とかも通らないので、当時の時代の雰囲気を感じた散策に没頭できる
おそらく全国的に見てこれだけの規模で武家屋敷に没頭できる場所も他にはないのではないんじゃないのかなと思ったりする
他の場所はやはり車が通ったり、変な標識があったりして、当時の時代に没頭できないし、ブツブツと空間が分断されていたりするが、知覧の武家屋敷はほぼそっくりそのまま残っている
めちゃくちゃ規模がデカい

コレはずっと残ってほしいものだなと個人的に思う

この武家屋敷を見るだけに来るだけでも十分に価値のある場所だった

もちろん特攻会館も見た
本当に狂った時代だなと感じたし、このような歴史が実際にあったというのが虚無感しかない
志願兵のやけくそならまだしも徴兵で特攻させていたというのが非常に度し難い
その上効果もなくただの犬死という結果である
本当に狂っているし、反撃のチカラを失ったらこのような悲惨な末路しかないのかとひしひしと感じる
有事が起こらないのが一番だが、もし有事になっても犬死だけは御免である
有事の際には、敵を徹底的に殲滅出来る反撃のチカラを普段から備えておくことが非常に大事なのだなと感じた

さて、他に知覧は知覧茶もあるし、意外と知覧って色々持ってるよなという感じである
すっごい行きにくい場所だけど、知覧茶はめっちゃ買って飲んでいるので、すごいなじみのある場所である
この旅で、訪れておいて本当によかったなと思う場所である


さて、その後は南下して、開門岳にジャンプする

周りにさえぎるものがなさ過ぎて雲に浮かんでいる気分になる
もしくは飛行機から写真を撮ったような景色が本当に見れるのが開門岳である

そして、山体がめちゃくちゃ同心円であってその裾野の美しさをよく褒められる山でもある

このあたりをバイクで走っていると開門岳はめちゃくちゃ目立つ、絶対に迷わせないとうい強いメッセージを感じる
ほぼ標高0mスタートとなる山のため、標高の高さのわりに結構登るのがしんどめの山でもある

直登で登る登攀角度がひたすら一定で変わらないので、まあしんどい

そして面白いことに珍事件
俺の大学の後輩と登山道でばったり

どゆこと!?って互いに驚く
何の示し合わせもしてないので、どっちも何でいるの!?ってなる

いやーー、同じ旅好きとして、行きたいところは被るんだなと思ったりした
ちなみに、自分は登り、後輩は下りだったので、すれ違ってそのままお別れ
見知った人との短い再会であった

あったかくなっていたので、少し汗をかいた
汗をかいたら、、、、風呂だ
ということで砂風呂に直行(なんか違う)

砂風呂はなんとも言えないやつだった
1人でいってもおもんないのは間違いない
若い男女でいちゃつきながら入るところだなーという感じだった
砂をかけられてじっと数十分ただ何もせず空を見上げる
おじさんに見られながら

男一人で行くには、チョット落ち着かない場所である


さて、砂蒸しが終わって、鹿児島で色々見ておきたいものはあったが、すべてスルーして、霧島の方に向かう(本当は佐多岬に行きたかった)

霧島神宮はすごく規模がでかく、こちらもパワーを感じるところであった
やはり、神話に出てくる場所はパワーがあるなぁと感じる

しかし今回の目的地は霧島神宮ではなく、霧島連邦の韓国岳だったので、あまり観光できず、また今度行かなきゃという感じである
霧島神宮をスルーしたのはもったいなかったなとちょっと思った

そうは言っても山の方が優先だったこの当時の俺は山に登る
天気が崩れかけだったので、急いで登頂
ガッスガスで何も見えなかった

新燃岳の方は火山の噴火を警戒して入れなかったので、こちらだけで今回の登山は終了となった
一応韓国岳に登ったので、霧島は登頂済みにしようかと思うのだが、うーん正直、霧島はまた来た方が良いのか悩むところである

ちなみに晴れたら景色は抜群にいいらしい
俺も見たことないので知らないが、晴れてほしかった

その後はしぶしぶ志布志にタッチして、そのまま宮崎に向かう
まずは青島を見に行く


九州東部

青島、鬼の洗濯岩
教科書で見てもすごいなと思ったが、実際に見ても面白い場所だなと思う
すごい砂泥互層だ
地学のフィールドワークで地層の走行傾斜を測る実習に最も最適なフィールドじゃんと思ったりするのだった

海岸は海岸で面白いが、中は中で面白い
急にジャングルになる(笑)

そして出てくる社

なんだか不思議な場所である


そして、宮崎では他に佐土原城に行く
お城をやらなかったら絶対に訪れない場所だなと思った

宮崎はひたすら海岸の景色が良かったが、それ以上の感想が難しい県だなと感じた

そして、ひたすら北上
延岡城を見学
青春18切符では1日に1本もしくは2本しか電車がなくて、乗り逃すと延岡で1日放置されるという悲惨な駅という印象しかなかったが、一応見るところは一応あったのだと認識を改めた

この石垣は千人殺しというらしく、この石垣はどこかの要石を抜くと崩れるようになっているらしく、その時の雪崩で1000人をぶち殺せるとのことである
なんとも恐ろしい、というか一撃必殺な防御兵器だなという感じだった

(え?石垣壊したらその後どうするん?って突っ込みはいらないらしい)
(え?千人倒せたとしても、数万人で襲ってこられたら、たった千人しか倒せへんのってならへんんの?とかツッコミも要らないよ)

しかし、石垣は立派である

その後は、また山に行く
祖母山にレッツゴー
この時期、この季節、平日はだーれも山に登る人はいないらしく
完全に俺一人だけの山登りとなった

避難小屋があって、結構充実しているという情報を得ていたので、小屋泊をしてみたが誰もいなかったし、誰かいた痕跡もなかった
ひたすらさみしい
誰かしらいてしゃべるとかあると思っていたが、全くなかった

それにしても寒い
と思ったらこんなことになっていた
そら寒いわなと

ちなみにこの樹氷のつき方から風向きが分かるんだけど、どっち向きに風が吹いているかわかるかな?

正解は、左から右向きに風が吹いていたんだよ
へ~~って感じだよね

逆向きと思った人もいるかもしれないけど、旗がはためくのとは違うからね
水滴・氷がくっついてるパターンだからこうなるんだってさ


それにしても天気がいい
そのままのノリで九重連山にも足を延ばす

そしたらこんなことになってるでやんの
九州って雪降るんだという驚きと、やったぜ!という歓喜がこみ上げた

九重だったり、久住だったり、表記ゆれがすさまじい

それにしても雪をまとってるだけでなんで景色って倍くらい美しくなるんだろうね

美しすぎるでしょ

そして、この地域は大分
大分と言えば、とり天!

とり天うまいよね~と思ってふらっと入ったお店であったのがこれ

鶏の足
この地域は鶏の足を食うらしい

自分も、では、モノは試しと食べてみたが、ちょっと受け付け難いメシであった
申し訳ないが少しこれは…という感じである


後は、城をやらなかったら絶対来なかっただろう、角牟礼城
つのむれと読む難読城

景色は良いんだけど、誰がここ攻めるの?ってくらいよくわからない山奥だったので、戦国時代ってこういうところですら交通の要衝だったのかと思うと、現代との考え方のギャップにものすごく戸惑うのである


その後は湯布院で湯に浸かり、由布岳についでに登って、別府で湯に浸かる

由布岳~



その後は宇佐八幡宮に行ったり中津城を見たりして九州旅行の締めくくりとした

朱がきれい

帰り道もひたすら行きと同じようにした道を走る
帰ったら関東に行く準備だ
俺もいよいよ社会人

西は十分堪能した
仕事をしてからは東を見てみよう


#わたしの旅行記
#旅のフォトアルバム



いいなと思ったら応援しよう!