古墳の研究者なりたいかもしれない
だいぶ先の話すぎて全く具体的な考えは持っていないが、老後の趣味は古墳の研究と決めている
まとまった時間で考古学をやっている教室に入って考古学の基礎から入念に学びたい
特に自分は理系出身なので科学的な分析から歴史を紐解くアプローチをとっていきたいと思う
有名なのは炭素年代測定とかだろう
炭素に限らず、考古学でよく使われる科学的手法は、同位体測定である
自分は地質学系だったが、こちらでも同位体測定は良く行われていた
というより、地学系でよく使われていたものが考古学に持ち込まれたという歴史がある
地質学で測定される同位体測定の結果は過去の地球史を反映したものである
有名なもので言えば、恐竜絶滅時の隕石衝突に起因するイリジウムの濃縮であろう
恐竜絶滅は巨大隕石の衝突だと、さも当たり前のように、世の中で語られているが、これはしっかりと根拠あってのものである
チチュルブクレータの発見というのも大きな証拠であるが、それ以上に大きな証拠が恐竜絶滅の瞬間にだけイリジウムの濃縮された地層があるというものである
これは同位体測定による地球史の解明で最も面白い事例である
この発見が自分にもできるなら、地学の同位体測定は”楽しい”と思って、自分もこのような地球史の研究を今頃やっていただろうと思う
しかし、これは極めて珍しい研究成果である
地学をやっている人ならわかると思うが、地学で扱っている同位体測定はもっと地味である
一番よくつかわれる同位体測定の事例は、この地層、何千万年前に出来たものである、というものである
これによって、古第三紀の地層であることが分かったとしよう
これを聞いて、何を思うだろうか
多分、こうだろう
「ふ~ん、そうなんだ、よかったね、で、それがどうしたの?」
おそらく、感動はないだろう
地球科学を紐解くために非常に重要なデータを提供してくれるのだが、あまりにも基礎的なデータすぎて、そこに感動がないものが多いのである
これ、結構しんどい
地学で使われる同位体測定の分野は年代測定だけだと、”感動”という観点でインパクトが弱いので、実際の研究では発展形で利用される
例えば、よく使われるのが造山運動である
例えば、山を見ると本能的に感動を覚えるだろう
なんでこんな美しい山が出来たのだろうか?と気になって夜も眠れなくなるはずである
この疑問に一つの解を与えてくれるのが、同位体年代測定だったりする
詳しいことは述べないが、同位体年代測定を行うと、この山が毎年平均何mmで上昇しているのかというのを割り出すことができる
隆起速度という
年間数ミリの上昇と言っても侮るなかれ
1000年経てば数センチ
100万ねん経てば数千メートルである
つまり、山の完成である
「おお~~~~」となるだろう
いや、正確に言うと
「おお~~~~~~~ぉぉおお……????? すごい……気がするよ?」
だろう
確かにすごいだろう
山って鉛直方向ににょきにょき伸びているなんて想像できないから、そのことを知ったらそれだけで確かになんかすごいことを知った気になると思う
しかし、どうだろう?
素直になってみよう
「で?」という気分にならないだろうか?
いや、もっとさ、もっとなんかない?
という手ごたえが薄い感じがするだろう
そうなのである
悲しいかな、
地学でわかるものの数々は、手ごたえがことごとく薄いのである
滅茶苦茶なことを言えば、心の底から分かりやすくバチコーン!と、感動できるテーマが滅茶苦茶少ないのである
大抵、ふ~んで終わってしまうのだ
なんと悲しいことだろう
対して、考古学はどうだろうか?
自分が考古学に関して知識が少ないだけかもしれないが、考古学は同位体年代測定だけでも、感動できるのである
地質学とはえらい違いである
例えば、ある遺跡を見つけたとしよう
このムラはいつできた、いつのものなのか、と気になるだろう
そこで活躍するのが同位体年代測定である
大体、炭素が使われるようである
そこで2000年前の集落であることが分かったとする
「おお!古い!こんなところに2000年前に人が住んでたのか~」という風に想いを馳せることができるだろう
地質学では「古第三紀である!おお古い!そんな時代にこの地層が出来たのか~」なんて思おうと思っても思えない
なんひねりも重ねて、例えば山の隆起速度を出したりしてようやくちょっとおいしいかなと思える程度である
年代だけで感動できる考古学の方が圧倒的に面白さのエッセンスまでの距離が近いのである
ひねらずともおいしいのである
このことに気づいた時、自分はなんで地学専攻だったのか、いる場所を間違えたのではないのかと思ったこともある
研究するなら自分は絶対考古学だと思った
正直地学は自分で研究しようと思えない
滅茶苦茶苦労して調理してようやく食べられる素材という感じだからである
自分は外来種のブラックバスを頑張って調理して食べるよりも、素直においしいとわかっている養殖の鯛を調理する方が好きなタイプだったのである
まあ料理のジャンルが違うので時々地学に戻りたくなる気もあるが、やはり、常食するなら間違いなく日本史である
自分はこっちの世界の人間であった
特に今は縄文時代から古墳時代にすごく興味深々である
このころの人類はどういう生活をしていたのか気になって夜も眠れない
もしタイムマシンがあるなら、自分は迷わずに縄文時代~古墳時代を見て回る
ちょっと数十年戻って自分の人生をやり直そうとかより絶対面白いでしょう
特に今最近気になって気になって夜も眠れないのは、縄文時代の色恋事情である
一説によると、人類は乱婚だそうだ
一夫一妻の結婚制度が当たり前の現代社会に生きていると、乱婚???と頭をかしげてしまうが、しかし、人類は長らく乱婚であったと仮定すると、浮気でキーーーっと怒ってる女性や、そんな女性の怒りを買うことが分かっていても、リスクよりも自分の股間を優先させる男性がいることの理由がなんとなく理解できる
何やら縄文時代は真昼間に乱交パーティすらしていたようだが、そんなのを聞いたら、その様子は一体どんなものだったのか気になって気になって夜も眠れないだろう
そういう意味で僕は昔昔の時代に非常に興味がある
縄文時代のそれらの人々の考えはタイムマシンでもない限り解明は難しそうだから、もう少し解明しやすそうな古墳時代に僕は興味のスポットを当てる
古墳は古墳で面白い
まず、意味が分からない
何あれ?って感じである
全国に16万基あるのである
狂っているだろう
どういう心境で作ってるん?
作りすぎって絶対みんなおもってたでしょと思ったりする
しかも古墳時代は長い
丸々500年くらいせっせと古墳を作っているのである
当時の平均年齢を考えたら10世代以上は古墳を作り続けている
「あそこのお墓はひいひいひいひいひいひいひいおばあちゃんのお墓なんやで、立派でしょ~、あんたも立派な古墳を作りなさい」
とかいう会話が巻き起こっているのかと思うと、どんな時代やねんと思うだろう
特に古墳を作っていた人々の心境にスポットを当てたい
どんな気持ちで作っていたのか
楽しそうに作っていたのか、しぶしぶ作っていたのか、それがもし分かったとしたらそれだけでも面白いだろう
僕はみんな楽しんで作っていたと思っている
なぜなら古墳作りが楽しくなければ、500年もの長い間作られなかっただろう
16万基も狂ったように作らなかっただろう
と思うからである
強制労働とかで古墳を作っていたとしたら、100基くらい作った時点で歪みに限界が来て為政者はぶっ倒され、そして古墳は壊されまくっていたのではないのかと思う
現実は古墳が壊されるにしても、金銭目的の盗掘くらいである
ヘイトが溜まって壊されていたのならば、もっと派手に石棺とか古墳から出されて広場で被葬者の金目の物を取ったらその辺に放置して、もっとめちゃくちゃになっていてもおかしくないはずである
実際そんなケースは皆無に近い
石棺が古墳から引きずりだされていないというだけでも割と注目するべきポイントであると思う
この辺の観点って古墳学者の常識だったりするのかしら?
意外と注目されていないのだとしたら、アマチュアでもやっていけそうな気がする
そのうちアマチュア古墳研究家ダイキっちを名乗っているかもしれない
まずは、埴輪の作り方しらべよ