7 可算無限の友人
タイトルから鳥肌が立つ人もいるだろうか。可算無限とは数学用語である。『原点の振り返りと近況』でも述べたように、私は数が友人である。とりわけ自然数と仲が良い。自然数とはものを数える時に使う数で、中学校の言葉を借りれば正の整数ともよぶ。
タイトルの可算無限とは、『ものすごくたくさんある(無限)けど、まあ数えられる(可算)』という意味だ。自然数は無限に大きくなり無限に続いていくが、その個数もまあ数えられる程度なのだ。詳細な説明は割愛しよう。読者がすでに船を漕ぎ始めている光景がありありと浮かぶからだ。
解説はこの辺りにして、本題に進もう。
私は数が友人である。私が勝手に言っているのだが、きっと数もそう思ってくれているに違いない。大学の数学科を出た後も、私は仕事柄毎日数学に触れている。仕事で数を扱う以上、私は毎日友人に出会っているのだ。高校時代の友人と久しぶりに出会った、大学時代の友人と飲みに行った、というのも素敵な友人関係であり交流だと思うが、いつでも会える友人がすぐそばにいる私も、なかなかに素敵な人生を送れていると思う。
どんな数が友人なのか。真っ先に思いつくものだと、
1,4,9,16,25,…などだ。いずれも自然数の2乗の数、平方数とよばれる数である。2乗とは、3×3のように、同じ数を2つ掛け算したものと考えればよい。仕事柄25の2乗くらいまでは諳んじることができるが、数学を仕事にしている人では、何も特別なことではないと考えている。同じ理屈で、1,8,27,64,125,…のような、自然数の3乗の数も好きである。ちなみにこれは立方数とよばれている。
ちょっとした数学の話ができることから、1001や1729も好きな数の筆頭に挙がる。さらに個人的に思い出深い数だと1024があるが、その理由は断腸の思いで割愛しよう。私の興奮に着いてこられない読者が累々と重なってしまう。それだけは避けねばならない。
もちろん素数も好きである。これは当然。
すでに溢れている数への愛だが、数の何がいいのだと訝しむ人もいるだろう。だが考えてみてほしい。買い物の代金が1000円ぴったりだったり、777円のようなゾロ目だったり、ふと時計を見たら10:00ちょうどだったりと、何かと数に関して「おっ」と思う瞬間は誰しも経験したことがあるはずだ。私の数への愛もそれに近いもの、あるいはその感覚が発展したものと考えてもらえれば助かる。たまたま算数や数学が好きで得意で、たまたま数学への知識があったからだけなのであって、タイミングや出会いが違えば数学なんて見たくもないとなる可能性だってあったのだ。巡り合わせに感謝せねばなるまい。
ともかくも、私は大好きな存在を日々目にすることができ、大好きな存在に日々囲まれて生きている。これはどれほど幸せなことだろうか。特別ものを買うこともなく幸せになれるのだ、だからこそ、コロナ禍での感染者数や死亡者数を聞き続ける日々は苦痛そのものだった。大好きな友人に顔を合わせるたびに暴言を吐かれることを想像すれば、その苦しさは理解してもらえるだろう。よく嫌いにならず、立ち直りまた愛せたものだと自分でも思う。
近頃の投稿は、読んでくれる人が少しでも得るものがあればいいなというモチベーションで書いているが、今回はそのモチベーションは忘れて私の趣味全開の文章にした。本当はもっと書きたいが、終わらなくなってしまうのでここいらで。