【読書日記】比嘉豊光・西谷 修編『フォト・ドキュメント 骨の戦世(イクサユ)』
比嘉豊光・西谷 修編(2010):『フォト・ドキュメント 骨の戦世(イクサユ)――65年目の沖縄戦』岩波書店,79p.,800円.
先日『骨を掘る男』というドキュメンタリー映画を観た。本書にも登場する具志堅隆松さんの最近の姿を追ったものだ。具志堅氏は現在70歳の1954年生まれ。28歳の頃から遺骨収集を始めたというのでもう40年もやられている。みずから「ガマフヤー=壕を掘る人」と呼ぶように,この映画で描かれているような,人里離れた場所で発掘作業をおこなってきたようだが,本書は少し異なっている。「那覇市内を走るモノレールのおもろまち駅から徒歩五分,こんもりと樹木が生い茂った大道森と呼ばれる小さな丘が,その現場である。」(p.56)と説明されるが,住宅地のまんなかの再開発地区で多数の人骨が発見されたということで,具志堅氏が先頭に立ってボランティアを集め(ボランティアだけでなく,お金を募りそれを就業の場にもしている),考古学的な遺構発掘のような作業が始まった。そしてそれを写真家として比嘉氏が撮影するという,そんな記録である。
骨に呼ばれて:比嘉豊光
珊瑚のカケラをして糺しめよ:仲里 効
熱狂の夏の足下に:新城和博
ある“一兵卒”女性の戦中・戦後:宮城晴美
65年目の黄泉がえり:西谷 修
「戦死」を掘る――沖縄いおける遺骨収集の現在的展開:北村 毅
無数の罅割れと襞に向かって:小森陽一
写真撮影地一覧・沖縄本島中部の主な日本軍陣地,住民避難壕地図
とはいえ,目次からもわかるように本書は薄いながら多くの著者によって執筆がなされているし,帯には「沖縄の地にいまも 埋もれているもの,それは戦死者の骨と不発弾」とあるように,遺骨収集の話だけではない。私が本書で衝撃を受けた記述は,沖縄では2003年まで,地中から白骨が発見されても捜査の対象にはならなかったという話。沖縄以外では,地中から遺骨が発見されれば,事件性が疑われ,遺骨の身元判明と事件の捜査が始まる。いたって当たり前のことだ。しかし,沖縄では頻繁に地中から遺骨が出て,その多くが第二次世界大戦時の戦死者の遺骨であるため,基本的に捜査対象にはならなかったという。そして,私は上述した映画を観たこともあり,今戦死者の遺骨が発見されるのは,人里離れた場所だけかと思っていたらそうではないということ。むしろ数としては現在の市街地の方が多そうだ。那覇都市モノレールの開業は2003年となっていて,具志堅さんの下で大道森の遺骨収集運動が開始されたのが2007年というから,1945年に亡くなった方々の骨が,1972年までは米国の統治下にあったとはいえ,長年放置されていたことになる。そもそも,日本政府は戦後処理というものをほとんどしていないと思う。戦時中にアジア諸国にしたひどいことをほとんど謝罪をしていないし,賠償もしていない。国内についても戦死した兵士については補償しているようだが,負傷した兵士や民間人についてはどうなのだろうか。最近でも原爆被害者(黒い雨なども含めて)に対する補償についてまだ議論されている(訴訟などで)。戦死者の遺骨を遺族に返すということも同じである。本国ですらこの状態なので,当然民間人ではなく兵士であっても国外で亡くなられ,地中に骨が埋まっているという人々も相当数いるだろう。
宮城晴美さんの文章はこの大道森の件とは異なるが非常に興味深い。宮城さんは最近『しんぶん赤旗』にも登場していて,今沖縄で問題となっている米兵による少女への性暴力の件で声を上げているようだ。沖縄に限られたことではないが,こうして長年声を上げ続けている人はとても多く,こういう人の存在によって日本という国はかろうじて正気を保っているように思う。それはともかく,宮城さんの母親は本文にも「軍国女性」(p.26)と表現されているように,当時は戦争に直接参加するのは男性に限定されていたが,女性でありながら積極的に戦争に参加したいと願った人だったという。なんだかんだで沖縄戦の時は兵士たちの近くで行動を共にしたわけだが,最終的には兵士たちのほとんどは死に,宮城さんの母親は生き残った。戦後,戦時の経験を手記として発表してから亡くなった兵士たちの遺族から連絡があり交流が続いたという。そういえば,冒頭に触れた映画『骨を掘る男』の監督の親戚にも同じような女性がいて,映画のなかでは彼女の足跡をたどる試みもなされていて興味深い。第二次世界大戦はまさに総力戦として一般市民の多くも戦争にさまざまな形でかかわったということは忘れるべきではない。
さて,最後になるが,この「フォト・ドキュメント」と題された本書には当然多くの写真が掲載されているのだが,そのなかでも衝撃的なのが,65年後に発掘された遺体の頭蓋骨から,原形をとどめた脳みそが発見されたということで,その写真も掲載されていることだ(p.40)。脳みそが出てきたというのは偶然によるところが大きいと思うが,『骨を掘る男』でも描かれていたように,具志堅さんたちの遺骨収集は,考古学の遺跡発掘や恐竜の化石発掘さながらの丁寧な作業は,単に人骨を掘り起こすだけでなく,その人がどのような形で亡くなったのかまでを推察するような,遺物や体の形,骨の損傷状態なども含めての作業であるということは特筆しなくてはならないだろう。