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機会を増やすこととコーディネートの狭間

久しぶりです。筆不精です。元気です。

今日は、ボランティアコーディネートと、ボランティアプラットフォームの狭間について思うことがあったので書きます。

学生人材バンクは上記の写真にあるような、農山村へのボランティア派遣を数多く行っています。これは前も書いたかもしれませんが、鳥取県の委託事業として結果的に10年以上続いているものです。

ボランティアコーディネートの師匠から「ボランティアのその先に何を見るのか」ということを叩き込まれている僕と我が組織は、地域の要望を100%聞くわけではなく、学生にとって継続的に関わってみたいかという部分については事前にヒアリングをしたりして、「学生は暇だからタダの労働力をいくらでも投入してくれるだろう」という都合の良いボランティア依頼は断っています。

鳥取県にもありがたいことに、継続性のポイントですよということで、この姿勢については承認してもらっていて、一緒にご飯を食べる時間とかを組み込んでもらっています。学生と地域の関係性が世代を交代しても続いている秘訣はそこかなと思っています。

ただ、先日学生から聞いたのですが、地域の人が大学生と何かをしたい(これは農村に限ったことではない)と思った時に、「学生人材バンクへ依頼すると、お金がかかったり、要求あったりとなんかめんどくさいんだよね」という話があったそうです(しかも複数)。僕らは農村以外のボランティアは学生へのメール配信料金(広告料)はいただきます。場合によってはコーディネート料をいただくときもあります。その分、学生たちがリピーターになるような仕掛けや申込みが増えそうなアドバイスをしています。

これ一択で良いのかなと、ふと思ったわけです。
「学生にとって良くない体験」がすべての学生にとって良くないというわけでもないと思いますし、地域の無茶ぶりに答えた先に何かある場合もあるかなと(自分の活動を振り返ってもそういうことはある)

例えば、タダの労働力欲しいぜと地域が思ったボランティア活動も、達成感が得れて体力を使いたい人にとっては、やりがいは起きる可能性はあるわけです。僕からしたら、無茶ぶりのおじちゃんも、ある学生にとっては素敵なメンターになり得るのかもしれない。そう考えると、僕らがフィルターにすべてなる必要があるのかなと思ったのです。

ノーコーディネートの案件、募集情報だけ載せますというプラットフォームとしての機能を一部切り出して、地域との接点、機会を増やすという発想も一つあるのではないかと。逆に、コーディネート案件をとがらせることもできるんじゃないかなと思ったわけです。

最近は、僕らと同じ世代の活動者(20代~30代)もFacebookなどを通じて見えるようになってきたので、コーディネートをしなくても、いい機会もあるような気もします。

リスクもあるわけで、学生人材バンクのボランティアとか地域への接点、雑だぜって話にもなりえるわけで、そこにプラットフォームの責任の所在の難しさはあるなと。

そんなことが悩ましく感じたので、ここに記しておきます。何かいいアイデアとかご意見とかもらえたら喜びます。

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中川玄洋@NPO法人bankup
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