稼ぐことから学べること
鳥取県でNPOを経営するゲンヨウです。茨城県の農業高校の販売を止める決定を止める話が出ていますね。知事の決定を議会がNGというのも、議会が機能していて良いことだと思います。
1.お金を稼ぐことに対する印象
みんな社会人になれば、何らかの形で収入を得て暮らすのですが、学生期間では、その辺から遠ざけようという動きが良くあります。動いて正当な対価を得ること、対価を得るためには工夫が必要なこと。実は重要な経験ではないかと考えます。
中学生までは労働基準法で働けないようになっています(児童労働をさけるためかな)。また18歳までは夜の遅い時間の労働が禁止されていたり、危険な業務など業界として禁止な部分もあります。
働くこと=学業へ支障をきたす可能性がある。そんな整理で、本業である学業について影響がおこらないような形で進めていくのが求められています。これは、学べる環境があるなかでは必然のことでもあり働かなくても義務教育期間は学びに全ブリできるのは良いことだと思います。
記事にあるような学業としての活動の延長線としての、稼ぐ行為について考えてみましょう。これは学業としてやっていることなので、従来のNGの枠組みには入らないのかなとも思います。なぜ最初にNGの判断をしたのか。
おそらく、公の仕事(公務員だったり教員)は、稼ぐという動きに対してポジティブではない印象を持つ場合が多いと感じます。あとは、何か起きたらそれを防ぐためにそもそも禁止にしてしまう(確実であり、一番簡単)。今回も商品の品質管理の問題が発端ではあります。「じゃ、辞めちゃえば起きないでしょ」。そんな発想で今回の決定が決まったのかなと思います。
2.稼ぐことは悪なのか?
では、稼ぐことは悪なのでしょうか。冒頭にも書いたように、社会がお互いを支えあう仕組みで動いている以上、誰しもが何らかの仕事をして稼いで生きていきます。公務員であろうが、教員であろうが税金は原資ですが、労働対価は発生します。
もちろん、人を騙して稼ぐ、犯罪を犯すなど法律に触れての稼ぎ方はいけません。しかし、自分たちが活動した結果として稼げたことは悪いことじゃない。そうなると、すべての仕事が悪になってしまう。
使い方はいろいろあるとは思いますが、それで経済が周り、他の人の役割となるわけなので、そもそも稼いで使うということを体感することはまともな体験だと考えます。自分は無償で動き、できたものをただで提供するのではなく、自分で値段をつけて体感する、有償・無償の判断することも大事。
3.むしろ稼ぐ機会を増やしていく
シゴトで複業のコーディネートもやっているのですが、本業がありながら別の方法で収入も創れる時代になっています。自分の提供価値を考えながらキャリアを選択するのが当たり前になってきています。大人になって、稼ぐ視点を学ぶくらいなら、中学生くらいから稼ぐプロジェクトに関わるのは必須化と。
稼いだことがない先生が多いと感じるので、地域の商売人に協力してもらって授業を組み立てていくのが良いと思います。商業高校などでやっている地域商社みたいな感じで、地域の産品を仕入れて売るのもアリだと思います。技術提供をするフリマだって良いと思います。そういう探究授業もありだと思います。コミュニティスクールっぽい。
子どもの頃から、そういう視点で暮らすことが結果として、養ってくれている家族と仕事の関係性も考えるようになるだろうし、自分自身の仕事についての考え方も深められると思うんですね。
4.稼ぐ経験は自己投資を考える機会にもなる
うちの学生たちも米を作って販売したり、農村からもらってきたものを加工して売ったりしています。人件費を考えたら、全然商売にはなっていませんが、自分たちのプロジェクトに対して持ち出しなしの仕組みを作っています。
そんな中で、稼いだお金をどう使うのかについて考える機会が訪れます。人数が少なければ、やまわけだーとなることもあるのですが、ある程度自分たちや組織に還元する方法を考えると、東京にマルシェ販売に行く旅費にあてるとか、未経験の一年生には旅費補助を売上から出そうという話になってます。自己投資として、何が将来的にリターンが大きくなりそうかを判断しています。この経験、視点も大事だと思います。
打上げに使って、活動をねぎらうのも良いですし、一部は次へのお金の使い方として考える、次世代を育てる視点もいれる。自分たちで稼いだお金だからこそ、しっかりと考えています。
こういう機会にもなるのです。そういう意味でもグループとしてお金を稼ぐプロジェクトをやるのは面白いなと思います。
今日はここまで。おまけページは、4月から具体的な動きになっている不真面目商店の近況について、気にせずつらつらと書きます。
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