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“漢(おとこ)”には事情がある
““漢(おとこ)”とは
■滅びることのない魂を持つ
■今日の敵は明日の友である
■朋友とともに
■咲いて散る運命であるゆえ
■口で語らず背中で示せ
■「明日」へ何を残すかが大事
■蒼天の果てに
【蒼天の拳】の 話 で あ る !
このアニメ版を観終わった。上はほぼ主題歌の抜粋なんだけどテーマそのものをストレートに言っちゃっている。全話見た感想を残したい。
まず「蒼天」とは「北斗」のファンに向けて作られたご褒美と大雑把に定義する。80年代を楽しんだ男向けだと思っている。
ここからは批判的になってしまうけど決して否定はしないつもりで書きたい。俺は1987年生まれ。80年代はほぼ知らないけれどそこを生きた人達は自分とは違う世界の人だと思っている。・・・ごめんなさいやっぱり正直にいうとあまり良い印象を持っていない世代だ。間違えないように言っておきたいけど全話追ったってことは俺は蒼天の拳を楽しんだ。
「俺の蒼天の拳を壊すな」って人は読まないで下さい。安易に喧嘩売ってるわけじゃありません。
逆に結果的に、50代の父親を持つキッズにあの人はどんな価値観なんだろうって思考の補助線になるかも。いうてこの文章は宇野常寛さんのハイパー劣化版なので、宇野さんの本を読む方がリターンがいいよ。
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蒼天の拳を思えば思うほど、80年代を生きた男たちのナルシシズムを満たす装置なんだなと思った。80年代を謳歌していた男たちはいま50代。大体が家庭をもって子どもが大学生でやっと家を出るなり出ないなり。
これは50代のある男本人に聞いた話なんだけど、それまでは上の世代に従っていればよかったのに平成不況やインターネットやら価値観がどんどん変わってどうしていいのかわからなくなったらしい。ただそれでも不器用にひたすら働いて家族を養うしかなかったそうだ。で、以下の通りになる。
・やせ我慢して仕事する
・ゆえにコミュ力が減る
・でもすべては家族のために
・ちょっとカッコつけてもいいだろ
主題歌まんまやんか!
俺はそう思ってしまった。蒼天の拳はそうならざるを得なかったサラリーマンを全肯定しているのではと予想。するとなるほどやせ我慢ってキーワードでヒップホップもイメージに合う気がしてきた。うまいな!
80年代のヤンキーブームは自信の美学と友情を重んじるアウトローのブームだったとすると、発展して「仁義」を重んじる作品はかっこいい。その残り香を嗅ぎつつ育った俺もここの魅力はわかる。
ただし、それでもなお俺はここの価値観にいないんだなと感じている。主人公・拳志郎は絶大な力を持っていながら「俺は周りの人間関係を守ることしかできない」と世界を変える視点を持っていない。対照的に最後の敵・拳心は北斗神拳で世界を変えようともがいている。ああ、これは50代の男の葛藤だったのか。でも
お前らもっと色々頑張れよ!と思ってしまう。そしてここに俺の居場所はないなと。
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いまプレイ中のゲーム【ウォッチドッグス2】の方が俺がもっと知りたい世界だ。20代前半の主人公の彼らはあくまでチームで、ゆるく繋がっている。ファッションやヴィジュアルの方向性もバラバラだけど否定しない。
ダサいハッカーのイメージを描く映画制作を懲らしめてやろうと大人たちの世界の嘘(スキャンダル)を獲ろうとして、でも撮影用のスマートカーを盗んで改造して逆に本物のハッカーのイメージを植え付ける方向に(楽しいから)転換する。
このシェイプがどんどんシフトする感じが恐ろしいし魅力的。素敵だ。
いい対比を考えさせてもらった。