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GENT'S STYLE LECTURE 自らのスタイルについて語る by David Retzlaff PART2 (日英対訳)

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All pictures by Marco Spola

(日本語の後に英語が続きます。An English text follows a Japanese text.)
 
 今回のジェンツスタイルのゲストは国際的モデルであるデイヴィッド・レッツラフ氏を迎える。アメリカのシカゴ北部ウィスコンシンで生まれ育ったデイヴィッドはミラノ、ニューヨークでトップブランドのショーモデルを務めるなど世界的に活躍。日本ではモデル業と同時に、Men’s EXオンラインでのブログ連載を自ら執筆するなど、メンズウェアの中でも特にクラシックスタイルに関する愛情と造詣が深いことで知られている。

 アメリカンスタイルの本質を語ってもらったPART1に続き、PART2はデイヴィッドが暮らした黄金時代のミラノ、ナポリのクラシックスタイルを経て、現在のオリジナルのスタイルが完成するまでを語ってもらった。

Y(Yoshimi):そもそもモデル業はどのように始めたのでしょう?

D(David):大学を卒業して地元企業だったランズエンドに就職したんだ。当時、アメリカでは最大のスポーツウェア企業だった。そこで、バイヤーとストアマネージャーとして3年間勤めた。オリジナルのストアはシカゴリバーに面していて、ヨットやボートが実際に登って来るのが見えた。当初、ランズエンドはヨット関連の用品やキャンバスバッグを売っていたんだ。

注釈:ランズエンド(LANDS’ END) 1963年にゲーリー・コマー(Gary Comer)によって創業。広告業界のコピーライターであり、ヨットマンだったコマーはヨット用品の販売から発展して、カジュアルウェアブランドへと成長させた。2002年にシアーズの子会社となり、日本ではランズエンドジャパンも展開している。

Y:それは私がランズエンドに対して持っている、スポーツと繋がっているアメリカのライフスタイルブランドというイメージ、そのもの。

D:レインウェアやボートシューズなんかも売っていたね。幸運にも創業当初からの一号目の店舗で働くことができた。地下には創業時からの古いアンティークもあって、夢中になって発掘しては店に飾っていた。

本社はシカゴにあって、ファクトリーは私の大学を出てすぐのところにあった。周囲も関係者が多かったから、就職の面接を受けてランズエンドに入社したのは自然な成り行きだった。ランズエンドは当時からカタログが有名で、通信販売で全米に販売することでブランドを拡大していた。

ある日、オフィスで働いていたら、カタログ製作のスタイリストがやってきて、「もし良かったら、スタジオに来て撮影させてもらえないか?」と訊かれたんだ。そこで「今すごく忙しいので、明日のランチの間の時間だったら」と答えた。そして次の日、カタログ撮影をした。そんな風に始まって、モデル業のリクエストはどんどん増えた。ある日、スタジオ撮影の方がランズエンドでデスクワークをしているより稼げることに気がついた(笑)。そんな風にモデル業が始まった。

そこからミラノへ行き、モデルの仕事をしてる時、日本からスカウトが来て契約を結んだ。ロンドン、パリ、ニューヨーク、スカウトはいつも大都市でモデルを探していた。日本に興味があったので、それもいいアイデアだと思った。それが1992年のことだ。当時の東京は今とは全く違っていた。

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