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エルソナシンドローム制作記(前編)

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2019年2月、『エルソナシンドローム』は電子単行本3巻を発売しました。物語は道半ば、これから後半に突入するという辺りです。しかし連載期間が長くなるにつれ、これまでの制作経緯とか、制作しながら学んだことなど、いろいろ忘れていってしまいそうな気がしています。

そこで、作者自身の備忘録も兼ねて、本作のこれまでを「制作記」として記録しておこうと思います。この制作記を作者以外の皆さんが読んで、楽しいものかどうか、正直わかりません。でもまぁ一人の漫画家志望オッサンの、漫画奮闘記として御覧いただければ幸いです。

【1.SFが描きたい!!】

エルソナシンドロームの制作に取り掛かる前、2010年に僕は『とんかつ屋ひでの案件』という現代物の読切り作品で、某月刊商業誌新人賞の準入選をいただきました。脱サラして5年、その間プロ漫画家のアシスタントをすることもなく、一人でコツコツ読切りを描いては、年に1、2度新人賞に応募する生活でした。先の見えない状態でしたが、この受賞でようやく担当編集者がつき、ネームを見てもらえるようになりました。しかし、この時も雑誌に受賞作が掲載されることはなく、いわゆるメジャー商業誌でのプロデビューはできませんでした。僕は未だにその経験がありません。

それでも担当編集者がついたのは大きな進歩でした。そして受賞後初めての担当編集者との顔合わせで、次回作について「連載に向けたネームを描いてきて。好きなものを描いていい。」と言われました。受賞作は現代の人情物だったので、好きなものとは言っても担当編集者は同様の路線のものを期待していたのかもしれません。

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しかし、この時僕が選んだのはSF作品でした。現代物を描いた後は、なぜかムショーに未来SFが描きたくなるのです。何でだろ?
僕はそもそもSFが大好きで、SF映画も好んでよく観ていました(僕は漫画よりも映画をよく観ます。漫画はあまり読まないと言ってもいいかも)。そこで次はSFを描こうと決め、アイディアを考えることにしました。

ちょうどこの2年前の2008年に、クリストファー・ノーラン監督が、アメコミヒーローのバットマンを新解釈で描いた映画『ダークナイト』が大ヒットし、僕もそれを見ていました。[アメコミのスーパーヒーローで、こういうシリアスな物語が作れるんだな]と、少し驚かされたのを覚えています。
そんなことを考えているうちに、[日本人がシリアスなスーパーヒーロー物を描いたら、どうなるんだろう? アメコミは根っこに善悪やその葛藤がある気がするけど、日本人が描いたらまた違った切り口になるんじゃないか?]という考えがふと浮かびました。そして、そういう物語を自分で描いてみたいという欲求がふつふつと湧いてきました。

【2.初めての連載用ネーム】

僕は早速、「シリアスSFスーパーヒーロー漫画」の構想に取りかかりました。僕はこれまでずっと、自分の欠点を絵ではなく物語だと考えてきました。絵は中学生の頃から好きでよく描いていましたが、物語を初めて作ったのは高校生の頃。以来、周囲から絵を褒められることはあっても、物語を褒められた経験はあまりなかったのです。『とんかつ屋~』準入選で多少の自信はついたものの、話づくりは未だ手探りな感じ。本格的な連載用のネームを作るのも、この時が初めてです。

最初の連載用ネームは、近未来の東京を舞台にした物語で、タイトルは『ペルセナ・シンドローム』。主人公は精神科医で、日々人々の心の病を癒しながら、街に自殺しようとする人がいるとスーパーヒーローになって彼らを救う、みたいな話だった気がします(あんまり覚えてませんw)。

3話分くらいまでネームを描いて、これは面白いぞと意気込んで担当編集者に見せに行きました。編集者がネームを読んでいる間、待つ時間の長いこと長いこと。僕は窓の外を見たり、出されたアイスコーヒーをチビチビ飲んだりしながら、編集者が今どの辺を読んでいるか、どの辺で手が止まったり読み返したりしているか、チラチラ横目で観察します。

ようやく読み終わった編集者の第一声は、僕にとっては意外なものでした。「医療漫画なのかアクション物なのか、どこにフォーカスしたマンガなのかわからない」というようなコメントだったと思います。その他にも何点か指摘されました。[ああ、ダメなのか、、、]編集者の指摘は概ね納得出来るものでしたが、心は裏腹にショックを隠せません。僕は作り笑顔の挨拶もそこそこに、ネームをカバンにしまってそそくさと出版社を後にしました。

帰り道はただ、ボー然と電車に乗っていました。[下手なことは悪いことではない。修正課題も見つかったことだし、また手直しして持っていこう]と自分を慰める気持ちと、[賞を取ったのになぁ、また逆戻りか。何か月もかけて何度も推敲したネームなのになぁ、たった20分で没だもんなぁ、とほほ、、、]という気持ち。これまでにも落選する度に何度か経験していましたが、何度経験してもイヤなものです。結局その日、どの経路で帰ってきたのか、よく覚えていません。

【3.SFへのこだわり】

この後、僕は『ペルセナ・シンドローム』の改訂版を何度か編集者に持ち込んだように思います。しかしそのたび「主人公のキャラが印象に残らない」とか担当編集者の反応は今一つでした。

何故このネタにこだわったかというと、当時僕は連載デビューするならどうしてもSFがいいと考えていたからです。受賞前、読み切りを描いていた頃は、あまり連載を意識していなかったので、時代劇や現代物も描いていました。しかしいざ連載となると、やはり連載を維持していくだけのネタがあるか、興味が続くか、といった点も考慮する必要があります。

その点SFならネタも結構あるし連載を維持していけそうだと考えていました。『ペルセナ・シンドローム』は、シリアスSFスーパーヒーロー漫画であるというだけでなく、当時僕が興味を持っていた脳科学のネタも盛り込む予定でした。当時は脳科学ブームが一段落した頃で、僕も以前から興味を持って無料のシンポジウムに通ったり、関連書籍を読んだりしていたのです。

何度か改訂を重ねるうちに、僕はストックしておいたとっておきのアイディアを新たに盛り込むことにしました。そのアイディアというのは「亡くなった人の脳をスキャンして、精神のみをデータ化して永続させる」というものです。

後に分かったことですが、これはいわゆる「精神転送」と呼ばれるアイディアで、SF作品ではこれまでにも何度か使われてきたそうです。そうとは知らない僕は、近所の公園を歩いている時にこれをふと思いつき、[これは面白いアイディアだ!]と慌ててネタ帳にメモしておいたのです。

こうして「精神転送」とは呼ばず「精神の電子化」という設定で新たに作ったのが2012年『帰俗探偵ガモン』という作品です。これはスーパーヒーローからはちょっと離れて、帰俗者(精神を電子化された人が機械の体に再インストールされて現実社会に帰ってくる)が探偵として活躍する話でした。

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準入選から既に2年が経っていました。その間ネームばかりで一向に完成原稿が出来ない状況に不安を感じていた僕は、ここら辺で一度完成原稿を作っておきたいと、この『帰俗探偵~』を1話完結の読み切り(連載第1話)として作成しました。それを編集者に見せると、反応はやはりイマイチでしたが、一応新人賞に応募することになりました。残念ながら受賞には至りませんでしたが。

しかし、『帰俗探偵~』の制作は僕にとって無駄ではなかったと考えています。何故ならこの後、「精神の電子化」のアイディアをさらに発展させるきっかけになったからです。

また、「精神の電子化」を盛り込んだことで、作品テーマもより当時の自身の心情にマッチしたように思います。当時僕は、人生の約半分が過ぎたあたり。安定した職を捨てて、漫画業界に身を投じていました。漫画で成果も収入も得られない状況で「自分は何のために生きてるのか」といった少々青臭い疑問を、心のどこかで感じるようになっていたのでしょう。生死の概念を超越する「精神の電子化」という設定は、生きる意味を問い直すことに根底でつながっているように思えました。僕はどうしても、このテーマと物語を、皆が楽しんでくれる形に仕上げて、届けたいと思うようになっていたのです。

【4.エルソナ・シンドロームの誕生】

『帰俗探偵ガモン』の失敗後、次に僕が編集者を訪れるまで1年以上を要しました。その間別に遊んでいたわけでも落ち込んでいたわけでもなく、とにかく文句のつけようのない作品を作るべく、ネームを描いては思いつく限りあらゆる角度から推敲し、何度も何度も作り直すことを繰り返していました。

「推敲し過ぎるとかえってダメ、何度も見返してるうちに作家自身最初の新鮮な感動が分からなくなってしまうから」という作家さんもいらっしゃるでしょう。確かにその通りなのですが、僕はそれをいわゆるゲシュタルト崩壊のようなものだと考えています。

推敲過程で何度も読み返したり作り変えたりしていれば、どうしたって最初のストレートな感動は薄れ、自分でも一体今作っているのが面白いのか面白くないのかわからなくなっていきます。作家の仕事は、こうしたゲシュタルト崩壊のような”慣れ”との戦いなのかもしれません。制作の合間に時々休んだり別のことを考えて頭をリセットしながら、初めて読む人の感覚を想像しつつ作品を作っていく。ふと電車の中でこの作品を開いた人が、喫茶店で暇つぶしに読み始めた人が、どう感じるだろう?その無垢で思い入れの無い感覚に自分も何度も立ち返りつつ、作品を見直していく。

特にこの時の推敲で難しかったのは、「設定と感情の融合」です。僕は、フィクション漫画は基本的に”心”を表現するものだと考えています。読者が登場人物を通して物語を疑似体験することで、その感情を味わって楽しむ娯楽だと。ですが難しいのは、作る時に感情面から考えると、状況設定の方が後付けになって、今一つ魅力的にならなかったりする。逆に状況設定の方から考えると、今度は感情面が後回しになり、ついでっぽくなったり。(感情が物語を読み進めるエンジンだとすると、設定はハンドルみたいな感じ?)

この時は「精神の電子化」等設定側から物語を考え始めたのですが、そこに感情面をしっかり乗せるには、どんなドラマを描けばいいのか、その試行錯誤でした。散歩しながら、スーパーで買い物しながら、あーでもない、こーでもないと考え続け、頭がパンクしそうだったり、もうダメだとあきらめかけたりもしました。でも、「生きる意味」という普遍的で生々しいテーマを強く実感してもらうためには、設定だけでなく作品の強力なエンジンとなる生き生きとした人間模様や感情劇が、どうしても必要だったのです。

こうして修正を重ねた結果、2013年暮れ頃に、僕は出来上がった最新作のネームを持って編集者に会いに行きました。作品タイトルは『エルソナ・シンドローム』。「シリアスSFスーパーヒーロー漫画」と「精神の電子化」に、新たに「安楽死薬エスコート」のアイディアも加えた150ページの連載用ネームです。「もうこれ以上、今の自分にはどうしようもない」という位、推敲を重ねた末のネームでした。

【5.何のために作るのか】

この時、2010年の準入選から、実に3年半の歳月が経っていました。
久々に会った担当編集者とテーブルをはさんで向き合いながら、僕は彼が読み終わるのをじっと待っていました。一応自信はありましたが、以前没になった時の落胆と痛みが胸をよぎります。[まだ見落としがあるかもしれない。また没になるかもしれない。]過大な期待をしないように身構えながら、僕は彼のコメントを待っていました。

そして読み終わった編集者の評価は・・・・一言「面白いです」だったのです!

僕はちょっと意外で、「以前に指摘された点とか、直ってますか?」と聞いたりしましたが、編集者はそれも直ってると言っていました。
僕はもう、この時点で満足していました。物語的には何も具体的な欠点の指摘もなく、面白いなら、もうそれでいい、と。

しかし、その後編集者が言ったのは、物語のことではなく、絵柄の事でした。絵柄が物語と合ってない、SFに向いてないと言うのです。ハッキリ言って君はSFはもうやめた方がいいと。

3年前受賞した直後から、ずっとこの絵柄とSFをやって来て、それを今言うのかよ、、、物語は面白いのに、最初からわかってた絵柄のダメ出しを今するのかよ、と正直思いました。もしかしたら担当編集者も、もっと早く言いたかったけど、気を遣ってなかなか言えなかったのかもしれません。(今にして思えば、当時のアナログ制作時と現在のデジタル制作では、絵柄は確かに違うのですが汗)でも、この時僕にとってはもう、そういうことは大した問題ではありませんでした。

絵柄については、確かに流行りの絵柄ではないものの、自分ではSF向きでないとは思っていませんでした。僕にとっては漫画を描き始めた当初からの課題であった物語についても、欠点が特になく「面白い」との感想。ならば作らない理由は僕にはない。
[きっと担当編集者は、準入選受賞時のような現代物を僕に期待していたのだろう。そこがクライアントの期待と違ってるのが却下の本当の理由なら、もうここに作品を出していても無理だ。]
それが僕の結論でした。

「エルソナ・シンドローム」は、これまで3年半以上の時間とエネルギーをかけて粘りに粘ってどうしても描こうとしてきた作品です。僕にとってはもう我が子同然、これを描かないで、今さらSFを捨てて、その先に進める気が全くしませんでした。

僕は「エルソナ・シンドローム」のネームをそっと自分のカバンにしまって、編集者の言葉をじっと聞いていました。そして最後に「僕はきっと、究極的には、商業誌でデビューしてプロになりたいのではなく、自分の良いと思う漫画を思いっきり描きたいのだと思います。やりたい事が出来ないのであれば、安定した職を捨ててまで漫画を描いたりはしません」とか何とか、結構な捨て台詞を吐いた気がします。

「エルソナシンドローム制作記 中編」へ続く)

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