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#3 平成ネット史 永遠のベータ版

① ウィンドウズ95の衝撃

インターネット前夜の夢「パソコン通信」

平成が幕を開けたばかりの頃、日本でインターネットを使っている人はごくわずかで、一部の大学や、研究機関に勤める人くらいでした。

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当時のパソコンユーザーが利用していたのが、「パソコン通信」です。「パソコン通信」は、世界中が縦横無尽につながるインターネットとは違い、基本ひとつのサーバーを通して会員だけがアクセスできる限られたネットワーク。世界中とはつながっていませんでした。

主な使い道は、掲示板やチャットでの、テキストによる趣味の情報のやり取り。というと、現在のインターネットと変わらないように見えるかもしれませんが、当時はごくごく限られた先駆者だけが集まる、なんとも〝濃密な世界〟でした。

こうした世界では、古くからいる人たちによる多少のローカルルールなどはありましたが、ある程度の知識を持っていれば、年齢や性別問わず存在を認めてもらえる空気がありました。

ちなみに、パソコン通信というと、「ニフティサーブ」や「アスキーネット」といった大手サービスが有名ですが、「草の根BBS」と呼ばれる個人運営の小規模なコミュニティーも全国各地で作られました。

インターネット利用者は人口の1%以下だった

そんな中、平成7年(1995年)に、「インターネット」が日本で初めて注目を浴びる出来事が起こりました。1月17日に起こった、阪神・淡路大震災です。

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電話をはじめ、通信手段が失われた被災地で、国内、そして世界へ向けて情報を発信したのが「インターネット」でした。被害地域の地図や避難所一覧など、さまざまな情報を他の地域で得ることができ、ネットの力が広く知られるようになったのです。

この年、NHKの『クローズアップ現代』でもインターネットを特集し、次のように紹介しました。

「日本ではいま100万人が、そして、世界168か国、7000万人がインターネットを活用しています」(平成7年〈1995年〉11月13日放送『クローズアップ現代〝7000万人市場をねらえ~ここまできたインターネット~〟』)。

スタジオの中央に置かれたデスクトップパソコンで、国谷裕子キャスターが仰々しく開いてみせたのは、アメリカのホワイトハウスのホームページ。当時は、初めてインターネットを使う人が、まずホワイトハウスやNASAのホームページにアクセスしてみるのが、いわば〝お約束〟でした。家にいながら海外の情報が手に入る。いまでは当たり前のことが、当時は画期的だったのです。
 とはいえ、この頃の日本のインターネット利用者は「人口の1%以下」とごくわずかでした。しかし、この番組が放送された10日後、この状況が激変するのです……。

インターネットへの〝窓〟を開いた「ウィンドウズ95」

平成7年(1995年)11月23日、インターネットが一般のユーザーにも使われるようになる、大きなターニングポイントが訪れます。

「ウィンドウズ95」の発売です。

深夜0時。カウントダウンを経て発売が始まると、ウィンドウズ95をいち早く手にしようと集まった人たちで、全国のパソコンショップはどこも、押すな押すなのお祭り騒ぎになりました。

キャッチコピーは「使いやすさと性能を向上させたコンシューマ向けOS」

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スタートボタンを押すだけで直感的に使え、なんといってもいちばんの魅力が、充実したネットワーク接続機能でした。このおかげで、誰でも簡単にインターネットを楽しめるようになったのです。

いまに比べて当時のパソコンはとても高価でしたが、日本中でインターネットの世界へ飛び込む人が続出しました。このブームを受け、企業や自治体も続々とホームページを開設するようになりました。

平成7年(1995年)は、インターネットへの〝窓〟が開いた、まさに「ネット元年」といえる一年でした。

「チャット」や「Eメール」という〝魔法〟

平成8年(1996年)には、「ヤフー」が日本で検索サービスを開始します。当時は、〝エンタテインメント〟〝ニュース〟など、カテゴリをたどってホームページを探す、「ディレクトリ型」の検索エンジンでした。これにより、ホームページを次々に探して回る「ネットサーフィン」が大流行します。

そんな中、ネット初体験のユーザーが特に衝撃を受けたのが、「チャット」や「Eメール」でした。ネットで知り合った人とテキストで会話をするチャットに、一瞬で文章が送れるEメール。いまでは当たり前のことが、当時はまるで〝魔法〟のようだったのです。

ピンクのクマがメールを配達してくれる「ポストペット」というメールソフトも、女性ユーザーを中心に大流行しました。

「生まれて初めて歴史の転換点にいると思えた」

宇野常寛(以下、宇野) 僕がちょうど高校の頃に「ウィンドウズ95」が出たんですよね。

当時は東西の冷戦が終わったばかりで「歴史の終わり」なんて言われたりもしていました。僕もたぶんそれまで、世の中ってこれ以上劇的には変わらないだろうなって思っていたんですよ。このままそのうち景気も良くなると思っていたし、ずっと同じような社会が続いていくんだろうなと漠然と思っていた。

だから生まれて初めて「歴史の転換点」にいるというか、世の中が大きく変わっていくんだと思えたのがインターネットの登場だったんです。

世界の中心はこのまま昭和のものづくり企業と大銀行だと思っていたし、テレビを中心に社会の空気は作られ続けていくと思っていました。

たとえていうなら、クラスの真ん中にいて、飲み会を「石橋貴明」的なノリで仕切るようなやつが世界の中心にいるような世の中が、ずっとずっと続いていくのかなと思っていたのが、インターネットが普及することでだんだんと変わってきた。インターネットがあって初めて、陰キャやオタクといわれる「俺たち側」の人間が世に出られるようになったんです。

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平成ネット史 NHK『平成ネット史(仮)』取材班

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