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こだわり、信念、プライド…「響きのいい言葉」を疑ってみる #4 人間の本性
伊藤忠商事社長・会長、日本郵政取締役、中国大使などを歴任し、稀代の読書家としても知られる丹羽宇一郎さん。その豊富な人生経験をもとに、「人間とは何者なのか?」という根源的な問いに迫ったのが、著書『人間の本性』です。仕事、人間関係、健康、幸福、生死まで、お手軽なハウツー本には載っていない「賢人の知恵」が詰まった本書から、一部を抜粋します。
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「とらわれ」になっていないか
最近の食品の広告を見ていると、「こだわりの一品」みたいな表現でアピールしているものがよく目につきます。このように「こだわり」という言葉がとてもいい響きで使われているのですが、私はこの「こだわり」という言葉にあまりいい印象や経験はありません。
こだわりがある人は、柔軟性がなく、頑固であることが多いからです。そのこだわりがよいほうに発揮されるならいいのですが、私の経験ではどちらかというと、マイナスに働くことのほうが多い印象があります。
会議などで、これはどう見てもおかしいし、やってはいけないだろうということにこだわっている人がいるために、無駄な議論をみんなでしなくてはいけないことがよくありました。
「私がやらなくてはこの案件は成り立ちません」というものの、別にその人がわざわざやらなくても問題のないものだったり、「この進め方でやっていかないとプロジェクトは破綻します」といいながら、そのやり方以上に有望な選択肢がいくつもあったり、一つのことにこだわりすぎるあまり、視野が狭くなって全体感を欠くというケースが少なくなかったのです。
そのせいか、私は仕事で一部のことにこだわっている人を見ると、つい大局を見失うのではないか、大丈夫かなと思ってしまうのです。
音楽を演奏したり絵を描いたりする人が自分の美意識にこだわりを持つことは、いい作品を生み出す上で必要なことでしょう。そんな芸術家のこだわりならよいのですが、多くの場合、「こだわり=とらわれ」になっているように感じます。
とらわれというのは何か一つのことに偏って執着していることですから、広い視野は持てませんし、柔らかい発想もできない状態です。
こだわりといえば人によっては聞こえがいいかもしれませんが、それが「とらわれ」ともいえる内容のものであれば、当然そんなこだわりは捨ててしまったほうがいいに決まっています。
すべてよいものとは限らない
実際はとらわれのようなこだわりなのに、プラスに評価されているものは他にもあります。
たとえば、プライドもそうかもしれません。「俺にはプライドがある」なんていうと、ものすごく大層に聞こえますが、実はただのつまらないこだわりだったり、とらわれだったりするかもしれません。
矜持という言葉が持つような、自分という人間に対する根源的な誇りのような響きをはらんだプライドであればいいのですが、取るに足りないこだわりのようなプライドであれば、捨ててしまったほうがいいでしょう。
信念という言葉も、けっこう人を欺くものだと思います。
「私は何事も信念を持ってやっている」とか「これだけの信念を持ってすれば必ず目標は達成できる」というような情熱的な言葉を聞くと、誰もが反対しづらくなるのは世の常です。
しかし、問題はその信念の中身です。自分が儲かりさえすれば他人に迷惑をかけてもかまわないという信念だってあります。
信念だからすべてよいものとは限らないわけです。ですから、こだわりにしろ、信念にしろ、プライドにしろ、こうした言葉を表面的にとらえて、全体を肯定的に見てしまわないほうがいいと思います。
そういう響きのいい言葉を目にしたら、いったんはどこか疑ったほうがいいのかもしれません。
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