「この世界、宣伝よ」山村美紗はこうして「女王」になった #4 京都に女王と呼ばれた作家がいた
「ミステリの女王」として君臨したベストセラー作家、山村美紗。しかしその華やかさの陰には、「文学賞を獲りたい」という強烈な劣等感を抱いていたこと、公然の秘密と噂された作家・西村京太郎との関係、隠された夫の存在など、秘められた謎は多い……。
そんな文壇のタブーに挑んだ、花房観音さんのノンフィクション『京都に女王と呼ばれた作家がいた』。気になる中身を一部、ご紹介します。
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売れなければ次はない……
どうしても私は売れなければいけない。
十年がかりで初めて本を刊行することができたけれど、それでうまくいくほど甘い世界ではないのを、美紗は知っていた。
まず、自分は「江戸川乱歩賞」を受賞していないのだ。
肩書も、権威も無いところからのスタートだ、つまりハンデがある。
そのハンデを吹き飛ばすほどに、売れるために努力をしなければいけない。
ミステリー小説のファンでもあり、苦労を重ね本の刊行に至った美紗には、楽観的な見通しなどできなかった。
今も昔も、公募の新人文学賞を通して、年に数十人の「新人作家」が生まれても、三年後に残っている人は、十分の一もいない、と言われる。新人賞を受賞しても本にならない人もいれば、受賞作が本になって、その後、全く名前も聞かず本も出ない人もいる。いったいどれぐらいいるだろう。
運良く二冊目、三冊目が出ても、依頼が続かず消えてしまう人もいる。
「小説家」として生きている人間の陰には、無数の「消えた新人作家」が存在する。
理由は様々だ。本人が新人賞を受賞することにより目的を達成して、書く意欲を無くしてしまったり、自分の作品が世に出ることにより、批評や批判、または中傷などを浴びて書けなくなってしまったりする人もいる。
出版社から依頼が無く、そのままフェイドアウトしてしまう人も。
売れないと、次が無い。
賞という肩書がある作家ですら、そうなのだ。
だから、人一倍、いや、何倍も売れる努力をしなければいけない。
出版社も、「新人作家・山村美紗」の売り出しにかかった。京都に住む女性で、父は元京都大学名誉教授という名士であり、美紗自身も華やかで、多趣味で、社交性がある女性だった。何より、日本を代表する人気作家・松本清張が彼女を強く推している。
「カーレーサーのライセンスを持ち、華道は池坊准花監の免状、日本舞踊は花柳流の名取り、クレー射撃も趣味とする」と宣伝され、ノベルスの著者写真には銃を手にしたものもある。
京都のお嬢様で大和撫子だが、射撃や運転の腕も一流というギャップが注目を浴びた。
宣伝のために作られたプロフィールではなく、実際に美紗は多才で、チェスや麻雀もやれば、一時期は画家になりたいと思ったほど絵を描くのも好きだった。
いかに自分という人間を売り出すか
注目されなければ本が売れない。この世界で生き残れない。
売れるために目立たなければいけない。「山村美紗」という人間を世に知らしめねばならない。肩書が無いことを凌駕するほどに、注目されないといけない。
「この世界、宣伝よ」と、美紗は巍にも言い続けた。
いかに自分という人間を売り出すか。
作家なんて、ごまんといる。自分より才能のある人間たちが溢れている。毎年、毎年、新人賞を受賞して作家が生まれる。そんな中でどうやって自分という人間を宣伝して、人に覚えてもらえるだろうか。
父親譲りの知性と教養、そして母親から受け継いだ社交性を、美紗は存分に発揮した。ただ引きこもって書くだけではなく、様々な人と交流をし「山村美紗」の名前を知らしめようとした。
多くの日本人が憧れる、歴史と伝統のある街・京都の女だということも武器にした。花街と馴染みがあった父と祖父のおかげで、美紗は京都のしきたりにも精通し、「いちげんさんおことわり」と、よそものに厳しいがゆえに神秘さをかもしだす花街に編集者を呼びもてなしもする。
名士の娘である美紗を、京都の人たちも大事に扱ってくれた。
肩書や、生まれ育ちが大きく左右する京都の街を美紗は味方にした。
デビュー作、『マラッカの海に消えた』が講談社より刊行され、翌年一九七五年(昭和五〇)には、光文社カッパ・ノベルスより、『花の棺』が刊行される。
『花の棺』も、最初は出版社から『華道家元殺人事件』にタイトルを変えるようにと言われたのだが、美紗はどうしてもと今回は自分の意見を通した。
舞台は京都、華道の流派同士の争い、山村美紗の本分が発揮された作品だ。
京都という歴史があり、伝統文化の残る街と、異国から来た資産家の娘で知的で美しく活発なキャサリン。
『花の棺』は売れ、キャサリンシリーズは美紗の作品の中で、もっともたくさん書かれたシリーズとなる。
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