「おばばさま」の死…戦国最後の覇者を描き切った「大河歴史小説」 #2 家康(一)信長との同盟
桶狭間の敗戦を機に、松平元康(のちの家康)は葛藤の末、信長と同盟を結ぶ。単なる領地争いの時代が終わったことを知った元康は、三河一国を領し、欣求浄土の理想を掲げ、平安の世を目指すが……。信長でも秀吉でもなく、なぜ家康が戦国最後の覇者となれたのか? その真実に迫った、安部龍太郎さんの大河歴史小説『家康』(全6巻)。その記念すべき幕開けとなる『家康(一) 信長との同盟』のためし読みをお楽しみください。
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源応院(お富)は於大の母で、元康の祖母にあたる。
初めは緒川城主水野忠政の妻になり、忠守、忠重、於大を産んだが、やがて松平清康の後室になった。
清康は岡崎城主で、元康の祖父にあたる。
すでに正室との間に嫡男広忠(元康の父)が生まれていたが、水野家との合戦に勝った時、和議の条件として源応院を差し出すように求めたのである。
その複雑な関係は、巻頭の系図に示した通りである。
この時、清康は二十歳ばかり。源応院はそれより十九歳も上だが、清康がこれほど強く執着したのは、彼女の美しさと豪気な人柄に惚れ込んだからだった。
二人の仲はむつまじく、ほどなく一男一女に恵まれたが、天文四年(一五三五)に清康が二十五歳の若さで不慮の死をとげると、源応院は石もて追われるように松平家を去った。
ところが元康が今川家の人質になったと聞くと、身の回りの世話をしようと駿府に駆けつけたのだった。
元康が瀬名をめとってからは、源応院は娘の碓井の方(松平清康との娘)のもとに身を寄せ、おだやかな老後を送っていた。
(それなのに、なぜ自害など……)
思い当たることはひとつしかない。半月ほど前、元康が源応院に水野信元を説得してほしいと頼んだことだった。
碓井の夫である松平政忠の屋敷につくと、元康は袴の裾が泥だらけになっているのもかまわず上がり込んだ。
源応院は仏間に横たえられ、白い布で顔をおおわれていた。側には碓井と政忠が沈痛な面もちでうなだれていた。
「おばばさま」
元康は衝撃のあまり立ちすくみ、力の失せた頼りない足取りで歩み寄った。
白布をめくると、眠っているようなおだやかな表情をしていた。
髪は白くなっているが、丸くふっくらとした顔は六十九歳とは思えないほど若々しい。
傷はどこにも見当たらないし、苦悶の色も浮かべていなかった。
「ご自害と聞きましたが」
本当だろうかと政忠にたずねた。
「さよう。鎧通しで胸を貫かれたのでござる」
政忠は思いがけない不幸に当惑し、腹を立てたような仏頂面をしていた。
元康は白装束の合わせを開いた。
若い頃の色香を残す乳房が左右にたれている。左の乳房の下からひと筋の血が流れ落ちているが、傷跡は見当たらなかった。
「その下の、お乳に隠れたところでございます」
碓井に教えられて乳房を押し上げてみた。
小指の先ほどの刺し傷があり、血がしみ出している。
日頃から身だしなみに気を使っていた源応院は、傷跡が目立たないように先のとがった鎧通しを用い、乳房の下から心臓をひと突きしたのだった。
「着物の裾が乱れては見苦しいと思ったのでしょう。太股を細帯で縛っておりました」
「水野家との和議に力を貸してほしいと、おばばさまに頼みました。それが重荷になったのでしょうか」
その懸念が、元康の頭を去らなかった。
「母がそれを引き受けたのは、元康さまのためばかりではありません。おなかを痛めた忠守さま、忠重さまを水野家に残しておりますので、自分の力で守りたかったのでございましょう」
「それでは、なぜご自害など」
「詳しいことは存じませぬが、太守さまは降伏を認めるかわりに刈谷城を差し出せと求められたそうでございますね」
ところが信元がこれを拒んだために交渉は頓挫した。
そこで源応院は死をもって信元の非礼をわび、寛容な計らいをしてもらいたいと今川義元に嘆願書を出したのだ。
碓井はか細い声でそう打ち明け、着物の袖で目頭を押さえた。
「見せていただけますか、その嘆願書を」
「中を改めずに、太守さまにお渡しいたしました。そうするように、母が遺言状を添えておりましたので」
「昨日お目にかかった時には、そんな話はひと言もなされませんでした……」
交渉の行き詰まりを案じる元康に、源応院は心を大きく持って時を待てと励ましてくれた。
あるいはこの時すでに、自決の覚悟を定めていたのかもしれない。それに気が付けば死なせることもなかったと、元康は自分のうかつさに臍をかんだ。
「元康さまにはこれをお渡しするようにと、おおせつかっております」
碓井が差し出した立て文には、流れるような美しい文字で歌が記してあった。
世の中はきつねとたぬきの化かしあい
欲ばしかいて罠にはまるな
和歌というより戯歌である。
源応院がこうした諧謔の持ち主だとは知っていたが、今際のきわにどうしてこんなものを残したのか、元康は真意をはかりかねていた。
「殿、水野どのが参られました」
政忠の家臣が取り次いだ。
「お通しせよ。丁重にな」
許しを得て、水野信近が入ってきた。
信元の弟で、元康が二ヶ月以上も和議の交渉をつづけた相手だった。
「お知らせをいただき、かたじけのうございました」
政忠に挨拶をしてから、信近は源応院の遺体に手を合わせた。
於大の異母兄だから、元康にとっては伯父に当たる。頭が切れる冷静沈着な男で、沢瀉紋の入った裃を上品に着こなしていた。
「自らお命を絶たれるとは、残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます」
信近は政忠と碓井に丁重に頭を下げた。
「かたじけない。このような仕儀になり、我らも途方にくれております」
「ご生害は、いつ?」
「確かなことは分かり申さぬ。巳の刻(午前十時)すぎに侍女が部屋にお茶を持って行き、異変に気付いたのでござる」
「初めはうたた寝をしておられると思ったそうでございます。ところが太股を細帯でしばっておられるのを見て」
自害だと気付いたそうだと、碓井が横から言葉をそえた。
「そうですか。実は昨日、源応院さまから菖蒲をとどけていただきました」
「そういえば昨日は、端午の節句でございましたね」
「さよう。菖蒲の包みに文がそえられておりましてな。和議の件は案ずるな、やがて今川公の了解を得られるだろう。そう記しておられました。それなのに、どうして」
「母は一命をささげることで、太守さまのお許しを得ようとしたのでございます」
「馬鹿な。そんなことで何とかなるような話ではありますまい」
信近の取りすました顔を見ていると、元康は猛然と腹が立ってきた。
和議に応じなければ戦になると何度言っても、信近は兄の意向には逆らえないとくり返すばかりだったのである。
「それなら伯父上にお伺いしますが、どうすれば今川家との和議が成るのでございますか」
「刈谷城の領有さえお認め下さるなら、我らは二千の兵をひきいて先陣をつとめる。何度もそう申しておる」
「しかし水野家は十六年もの間、織田と結んで今川家に敵対して参りました。何の咎めも受けずに身方に参じようとは、虫が良すぎるのではありませんか」
水野さえ裏切らなければ、母と引き離されることもなかったのだ。元康はそう叫びたい気持ちをおさえて冷静になろうとした。
「織田家と結んだのは、よんどころない事情があってのことだ。今川家に咎められる筋合いはない」
「父上と母上の婚礼は、今川どのの許しを得て行われたと聞きました。この時、水野家も今川家への忠誠を誓ったはずです」
「むろんその通りだが、それは先代の頃の話だ。兄信元が当主になってからは、武家の作法に従って今川家と手切れをしている。広忠公が於大を水野家に返されたのは、義元公もそれをお認めになったからじゃ」
それ以後、今川家と水野家は対等の間柄になっている。それを身方にしたいのなら、咎めではなく褒美をもって遇するのが筋ではないか。
それが信元の言い分であり、信近も同じ主張をくり返していた。
「一度裏切った者を咎めもなく許しては、身方の士気にかかわります。どんな事情があろうと立場を変えないのが、真の忠義というものではありませんか」
「甥っ子のお前と、そんな青臭い議論をするつもりはない」
「な、何ですと」
「そちにはこの和議を仲介する力量はない。それが分かっていながら、義元公はなぜそちに命じられたと思う」
「……」
「本心では和議など望んでおられないからだ。それより朝廷に三河守に任じてもらい、その威によって我らを従わせた方が話が早い。そちの役目は、それまでの時間かせぎなのだ」
「おのれ、言わせておけば」
元康は激高し、我を忘れて信近の胸倉をつかんだ。
「分かった風なことを言いやがって。おばばさまを殺したのは、お前たちだろうが」
「無礼な。それが伯父に対する態度か」
「やかましい。表に出ろ」
元康はあらがう信近を庭に引きずり出し、地面に叩きつけて馬乗りになった。
「口で言っても分からねぇなら、こうしてやる、こうしてやる、こうしてやる」
そう叫びながら拳を固めて殴りつけた。
腕力に劣る信近は顔や頭をかばおうとする。
元康はいっそう激高し、両手を喉首にあてて締め上げた。
「殿、おやめ下され」
源七郎が後ろから飛びかからなければ、そのまま首をねじ切っていたかもしれなかった。
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