たった1つのエピソードしか覚えていないブログ

好きなオーディオメーカーはROLAND、玄徳です。

皆さんはあるコンテンツの、タイトルすら覚えてないけれど、その中の1つのエピソードを鮮明に覚えている、といったことはありませんか?
今回はそういうお話です。

もういつ見たのかさえ覚えてないくらい覚えてないのですが、自分がそれなりに病んでいて、というかネガティブだった頃の話です。

そのブログを一目見た時、当時の自分にとって非常に知的な文章が集っている印象を受けました。まあ文章量が多い記事がよく目についたこともありますし、扱う中身が結構特殊だったこともそう思った理由な気がします。どんな中身だったかはおぼろげにしか覚えてませんが。

その「自分が鮮明に覚えているエピソード」とは、ブログ主の過去について語る、回想のような記事でした。確か、その方は高校卒業後だったか、ニートになり、毎日を暗い部屋で、1日のほとんどを寝た体勢で過ごしていたそうです。で、ある時ふと「勉強して大学に行こう」って思ったんだったかな・・・。ともかく、自らに「勉学」を課すことを決めたのです。

途中で自分の感想を挟んでしまいます。
ここまで読んで自分が驚いたのは、他の記事を見た上で考えた時に、明らかにそのような過去を持つ方の文章には感じられなかったということです。
この時点で、ニート脱却のための勉強は、相当なレベルで現在(自身のブログ購読時)も続いているのだろうと思いました。

当時の自分もそう思いながら本文に戻っていた記憶があります。
しかし、徹底したニート生活から抜け出すのは、容易なことではなかった。
なんと、勉強するための「机に向かう」姿勢が保てない。異常なほどの体力の低下に気づかされ、衝撃を受けたそうです。
その中で彼がとった行動は、非常にロジカルなもので、まず1日目は「椅子に座る」というミッションを達成する。それを達成したら今日はおしまい。またベッドに戻って寝る。
2日目は椅子に座って・・・ここは覚えてないので、例えば3分間耐えてみる。その次の日は座って何か教科書を探してみる、また次の日は教科書を開いて何ページか読んでみる・・・。
みたいな感じで、これまた異常なほどゆっくりと、できることを積み重ね直して勉強を始めたというのです。

最終的にこのブログ主が大学にいくことができたのか。
その辺りをはっきり読んだ記憶はありませんが、きっと達成したのだと思います。というか文章がもう読書家のそれって感じで、当時の自分にとっては、頭の良さに疑うところがない、といった感じで見ていました。

さて、自分はこれを読んで、複数のことを学んだと思っていて。
それは
・自身にできないことを認め、できない自分に合わせた目標を設定し、少しずつ前進を続ける大切さ(スモールステップ
・「勉強ができない」と思っていた自分ですら、想像ができなかったほどに「『真に』勉強ができない」人が自分の知らないところにいるかもしれない、という視野

この記事は当時でこそ自身のネガティブさに光を与えるような存在だったかもしれません。が、ここで挙げた2つの学びは後の自分に大きな影響を与えたと自信を持って言えます。「継続の大切さ」という学びの重要性はもちろん、ここで得られた「視野」という学びは、そのまま「自分には見えない社会を知る」という意味で自分にとっての「社会学への招待」のようなものでした。自分が社会学というものに溶け込んでいく、たくさんのルーツとなった経験の1つだと思います。

本当に、あの衝撃を今でも思い出せるというのは、興味深いことだと思います。別に自分の身に降りかかったことでもないのに。
そのような、周りには見えないけれど、自分にとって大切だった経験とか、その感覚を描き残すのは、とても大きな意義があると思っています。

自分にとっても、誰かにとっても・・・?
・・・こればっかりは、反応聞かないとわかんないですけどね。

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