他人の過ちに行動を起こす
他人の偏見に立ち向かおうという思いはいつどこから沸いて来るのだろう。私が中学生の頃、家庭科の先生が授業の中で家庭の大切さについて語った時の出来事をふと思い出した。ざっくりとこんな内容だったと思う。「ある母子がアパートで一緒に暮らしていた。ある日母親が問題を起こして勾留されてしまった。子はその間母親との繋がりを絶たれた経験から自閉症になってしまった。家族の愛情は影響力がある。」
帰宅して何気なく母に聞いてみた。「自閉症って後天的になるものだっけ?環境によってなったりならなかったりするんだっけ?」と。学校で先生が話した内容も添えて。その時は「あら、それは違うよね。」と、軽い返事だったけれども、翌日「その先生名前何て言うの?」と尋ねてきた。後からふつふつと煮え切らない感情が沸いてきたのだろう。
その後の行動は速かった。自身の所属する障害者親の会の会長に電話を掛け、学校宛に手紙を書いてもらった。手紙の内容は先生を責めるものではなく、自閉症に関する正しい知識を伝え、授業で話した内容に関して訂正をお願いするものだった。自閉症に関わるパンフレットも同封された。一週間後、先生から授業の中で謝罪と訂正があった。
普段あまり主張の強い母ではないけれど、偏見は今この場で断ち切らなければいけないという思いが原動力になったのかもしれない。障害者を持つ家族の仲間、きょうだいの将来を守るために立ち上がらずにはいられなかったのだろう。
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