両手いっぱいの春風

きょうだい/北海道出身/海外在住/30代前半 3つ下の弟が知的障害。今は離れて暮らしているけれどいつかはやっぱり弟のために地元に戻る予定のきょうだい。似た境遇の人と繋がりたい。 好きなこと:絵を描くこと・パンを焼くこと・とんがりコーン・うちのわるねこ

両手いっぱいの春風

きょうだい/北海道出身/海外在住/30代前半 3つ下の弟が知的障害。今は離れて暮らしているけれどいつかはやっぱり弟のために地元に戻る予定のきょうだい。似た境遇の人と繋がりたい。 好きなこと:絵を描くこと・パンを焼くこと・とんがりコーン・うちのわるねこ

最近の記事

趣味をたくさん持たせることは本人も家族も救う

「○○する?」と聞けばNoとは言わない。言われたままにやる性格ではある。だけどこのままでは受け身人間である。何か自分からしたいことがあるというのは後々弟が自分らしく本人自身が安心して生きることにつながると信じている。 例えば突然何かの事情で慣れない公共交通機や宿を利用しなければならなくなった場合、読み慣れた好きな本をお守りにすることでいつもと違う環境でも心穏やかに過ごせる可能性がアップするかもしれない。 弟にはどんな趣味があるだろう。パソコンでYouTubeを見ること。音

    • 大人とは見えないものを想像できる人のこと

      「大人になっても挨拶をしても仕返さない、年相応の身だしなみをしないなどの社会の風紀の乱れが昨今目立つ。これについてあなたの意見を書きなさい。」 という課題の小論文に答える夢を見た。夢だったけどもやもやした。「大人」ってなんだろう?「年相応」ってなんだろう? 特別支援学校の中学部で働き始めた頃、こんなことがあった。音楽のピアノに合わせて体を動かす活動で「大きな栗の木の下で」を題材に扱った先生が学年主任の先生から注意を受けた。相手は中学生なんだからもう少し年相応の選曲をしなさ

      • 『きょうだい介護おやこ介護』

        本の感想メモ 重度の障害がある妹さんの介護と自身の母親の介護を綴ったお話が緊迫感があってリアルだった。エネルギーのあるお母さんなので病気を抱えた姿を見るのはかなりつらかっただろうなぁ。お母さんは障害のある末っ子の介護をきょうだいに煩わせてはならない、きょうだいはきょうだいの道を歩んで欲しいという強い方針をずっと主張していた方だったそう。だけどだからと言って生涯他人事になるわけではなくて、親がいつまでも元気とは限らないのも現実で、きょうだい自身が気持ちの準備をしているのも現実

        • 弟に障害がなかったら…

          と、空想してみたことは正直ある。周りの友達の兄弟仲とちょっと違うのは事実だ。子どもの頃、周りの友達が「週末に妹と一緒に映画を見に行った」「お姉ちゃんに好きな人の相談をした」なんて言ってたの時は不思議だった。一緒にルールの細かいカードゲームを楽しんだりもできる。一緒に住んでいるきょうだいと友達みたいに過ごせることが本当は少し羨ましかったこともある。 いくら思い描いても本当になるわけではないので空想は空想のまま。それでもうちにはうちなりのバランスがあって、それはそれで心地良かっ

          「○○君のお姉ちゃん」は私の名前?

          年を取るに連れて、ライフステージを重ねるに連れて、「○○さんの奥さん」や「○○ちゃんママ」と呼ばれることが多くなる。ごく自然なことだ。きっときょうだいたちも「○○君のお姉ちゃん」なんて呼ばれる機会は小さい頃からあっただろう。弟の通所している作業所から電話が掛かってきた時なんか「○○の姉です。いつもお世話になっております」って自分から名乗っていた。 これにちょっと違和感を感じたのは夫の故郷であるカナダに移住してからのこと。誰も彼も私のことを「○○'s wife」と呼ぶのだ。私

          「○○君のお姉ちゃん」は私の名前?

          弟さん何してる人?

          何気ない質問だけどどう答えるのが一番相手に伝わるか難しい。この質問は多くの場合職業を聞いているんだと思う。パン屋とか、看護師とか、美容師とか一言で言える名称がない。 私の弟は生活介護の事業所に通所している。「障害のある人が軽作業をする事業所で仕事をしているよ」と答えたものの、私の言葉足らずで介護員だと思われてしまったことがある。利用者の方であることを伝えるために弟が障害者であることから説明を始めなければならず、障害が弟の代名詞になってしまったみたいで弟に申し訳なくなってしま

          弟さん何してる人?

          自分を表す形容詞を5つ挙げなさい。

          きょうだいであることをアイデンティティにしても良い。しなくても良い。きょうだいであることはある種のコミュニティの一部であるようでほっとする。だけど、きょうだいであることを抜きにして自分のことをどう一言紹介するか、考えたことがある? これを考えたのは仕事をやめて専業主婦になった時。それまで私のアイデンティティは職業だった。何度も試験を受けて強い思いを抱いて手に入れた職業、プライドがあった。簡単な自己紹介をするような場面で迷いもなく職業を述べていた。そんな自分は輝いていた。でも

          自分を表す形容詞を5つ挙げなさい。

          他人の過ちに行動を起こす

          他人の偏見に立ち向かおうという思いはいつどこから沸いて来るのだろう。私が中学生の頃、家庭科の先生が授業の中で家庭の大切さについて語った時の出来事をふと思い出した。ざっくりとこんな内容だったと思う。「ある母子がアパートで一緒に暮らしていた。ある日母親が問題を起こして勾留されてしまった。子はその間母親との繋がりを絶たれた経験から自閉症になってしまった。家族の愛情は影響力がある。」 帰宅して何気なく母に聞いてみた。「自閉症って後天的になるものだっけ?環境によってなったりならなかっ

          他人の過ちに行動を起こす

          海外に自閉症の弟を連れて来ること

          「海外に連れて来る」と言うのは少しエゴな言い方かもしれない。一時的な旅行として自分の住んでいる場所を紹介できる日があるか、とふと考えたことがある。もちろん弟が同意するのであれば。でも乗り越えるべき壁の数々が多すぎて踏みとどまってしまう。 まず、飛行機に乗った経験がない。生活経験が乏しい弟にとってはまずは国内線を経験して空港の雰囲気、飛行機の音、気圧の変化等の感覚を掴ませる必要がある。搭乗するまでの長い待ち時間、10時間座りっぱなしも初めての人には体にこたえるだろう。 いつ

          海外に自閉症の弟を連れて来ること

          後見人のこと。もっと学んでみたい!https://hokkaido-kyodainokai.net/event-seminar-20190630/

          後見人のこと。もっと学んでみたい!https://hokkaido-kyodainokai.net/event-seminar-20190630/

          사이코지만 괜찮아 サイコだけど大丈夫

          なかなかないきょうだいをテーマにしたNetflixのドラマ "사이코지만 괜찮아 (サイコだけど大丈夫)"について。主人公は成人でASDのムン・サンテ、サンテの弟で精神病棟で看護師として勤務するムン・カンテと、絵本作家コ・ムニョン。 このドラマは、障害がゆえ周囲の理解を得られずに本人や家族が苦しい思いをする典型的なストーリーでないのが心地良い。誰一人としてサンテをいじめない。サンテのキャラクターを周囲の登場人物が可哀想な人物としてではなく一人の人間として自然に受け入れている

          사이코지만 괜찮아 サイコだけど大丈夫

          きょうだいの職業 - 対人援助職

          今日は私自身の職業選択の話。「きょうだいは福祉職を選びがち」これを聞いた時は図星だと思った。私の日本での職業は特別支援学校教員。どちらかというと教育職だけど福祉と繋がりの深い職業。もともと英語の教員になりたかったけど特別支援教育の分野に切り替えた。 きっかけは英語の勉強がうまく行かなかったこと。大学生の頃、英語の教員になるべく一生懸命だった。しかし、あるアメリカ人講師の授業を取っていたとき、教室でスモールトークを交わす中で「あなたの英語は意味がわからないよ。」と日本語で言わ

          きょうだいの職業 - 対人援助職

          友達や恋人に打ち明けること

          友達や恋人に打ち明けるのが怖いっていうきょうだいが多いみたい。私の母も弟の障害がわかった時、「この子のせいで娘の縁談が台無しになったらどうしよう」と相当悩んだそう。当の私は、弟が障害者っていう理由で否定されるならこっちから願い下げ、と気にもしていなかったけど。 でも「知らない」っていうのは相当怖いことなんだと思う。知らないから恐れる。よくわからないからとりあえず障害者ってカテゴライズして遠ざける。身近じゃない人にとってはそんなものなんじゃないかな。自分もやったことあるかもし

          友達や恋人に打ち明けること

          シブコト私も入会した!

          シブコト私も入会した!

          『自分のために生きる』

          本の感想メモ わたしは、高校生の頃、社会福祉やボランティアという言葉が大嫌いでした。 ボランティア、私も苦手だったなぁ。障害者をかわいそうな相手として見てるようで。「かわいそう」って言葉は知らず知らずに本人の心をむしばんでいくもの。自分の体で自分の心を持って生きてるだけなのに、全身全霊自分なのに「私、かわいそうなんだ」って。 「ありのままでいい」とアドバイスされたが、将来わたしが家族の面倒を見なければならない不安なんて、きっと誰にも想像できないだろう。 福祉職を選びが

          『自分のために生きる』

          noteに表示される画像は横長なんだな。ふむふむ。

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