属性によって無から有を創り出す方法(環世界論を止揚)
属性を使って無から有を作る方法
以下の前回の記事で
今回は、それにちょっと関連する
📂no+e備忘録 『色彩はリアルには存在していない』
光(可視光線)を例にして考えてみる
バランスよく均等に総ての周波数を含む光は白(もしくは透明)に感じられる
光の三原色の原理を考えるとあたりまえの様に思われるが果たしてそうか?
天動説の時代は地球が宇宙の中心の特別の星だったが、地動説の時代になると太陽系の一惑星に格下げされたことを考えると、可視光線が白い(透明)訳じゃなくて、人間の知覚がそう感じるといろいろ都合がいいのでそういうことにしている、と単なる一生物の便宜的都合に過ぎないと、すぐにわかるであろう。試しに、かなりの周波数をカットする色眼鏡をかけたとする。しばらくは、総てのものが緑っぽく見えるかもしれないが、一日もその眼鏡をしていれば慣れて二日目からは殆ど違和感なく、眼鏡した状態が白い(透明)なフィーリングとなる。
つまり、色彩は周波数に物理的に関連しているが、各人間が感じている色彩は、人間の都合に過ぎない
知覚は外界をリアルに見てるのではなく、人間の都合で各人間によって内的に作られたもの
脱線するが「世の中が上下逆さに見える眼鏡」を強制的に装着されたとしよう。二、三日もすれば全く上下が普通に見えるようになり、なんの不自由もなくなる。知覚とはそういうものだ。ちなみに、人間の網膜には世の中が上下逆さに写っている。
例えば、双眼鏡(や観光地に置いてあるコイン式望遠鏡)をみると上下が普通に見えるが、天体望遠鏡だと上下逆さにしか見えない。つまり人間の目も双眼鏡のように上下正しく見る構造にすることも出来たのに上下反転光学系を省いて天体望遠鏡のごとくシンプルに作ってある。正しく見えることを選ばず逆に知覚の方をひっくり返してシンプルな構造で作る方法論を選んだ訳だ。
話を元に戻す
色彩は人間の都合によるものだ、という事は既に述べた。
ソレを前提に光の三原色について考察していく。
RとGを混ぜれば黄色に
RとBを混ぜればピンクに
RとGとBを混ぜれば白に……等々
これを物理的法則と思っている人はいないだろうか?
実際はコレは人間の都合で勝手に作られたもので色の三原色に物理的な根拠はない。一切ない
色の発生
三原色の発祥は人間の都合だけのもの
色を認識する3種類の錐状細胞という色のセンサーみたいな細胞が目の中にあります。この錐状細胞が認識できる色は赤色・緑色・青色の3色であると言われています。そのため白色を作るためには、赤色・緑色・青色が必要となり、この三色が光の三原色と言われる理由です。https://www.sciencedays.jp/rika/three-primary-colors/#:~:text=%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E5%85%89%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%9A%97%E3%82%92%E5%88%A4%E6%96%AD%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E7%B4%B0%E8%83%9E%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&text=%E8%89%B2%E3%82%92%E8%AA%8D%E8%AD%98%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%93,%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
上が色の発祥の由来だ。
総ての周波数が揃ってるものを白として、赤、緑、青を感じるセンサーで光を分析し各要素の比率により三方向の座標軸上のどこに位置するかで色を割り振っている。
完全なるものは無属性
(完全なる光は色を持たない)
属性という拘束着を着せることによって(属性という欠落で)人間に解るようになる
真なる存在は属性を持たない、まして人格など。
故に真なる存在には名前はつけられない
『真』と言ってしまえば偽の反対物に成り下がり、属性を持ってしまう
空(くう)、無、虚、絶対なるもの、至高なるもの、といっても大差ない
精々『在りてあるもの』 としか言えない
なにを言っても言葉にしてしまった時点で属性を持ってしまう……
色には極めて物理的根拠があると思われる?
本当にそうか?
物理的三原色の根拠は全くないのです。たまたま、人間の錐状細胞が三つだっただけでそうなっているだけ。
もし、錐状細胞を四種持つ宇宙人が居れば、その宇宙人にとっては光は四原色なのは容易にわかりますよね。
あなたは「理論上はそうかもしれないけど、それってあなたの感想ですよね」って言いますか?
論理上は正しいけど、単なる思考実験に過ぎない、と思いますか
それがそうではない
単純な事実と証拠がある
『研究者は、人々の中にそれ以上を知覚する人がいるのではないかと考えています。それが4つの錐体細胞を持った人、tetrachromats(4色型色覚者)です。この4色型色覚者は1億色、色見本がないような色まで知覚可能です。』
『ある2色型色覚の男性の母や娘を調べたところ、3つの錐体細胞と1つの突然変異体錐体細胞、合計4つの錐体細胞を持っていることがわかったのです。この1つ多い錐体細胞が、3色型色覚者とは異なる色覚の原因なのではないか、と』
『 4つの錐体細胞を持った女性は多いにもかかわらず、4色型色覚者の数が圧倒的に少ないのがなぜなのか、「cDa29」さんが他の4つの錐体細胞持ちの人とどう違うのかを調べています。』
4色型色覚者にとっては色は四原色なのです。
ちなみに犬は二種類の錐状細胞しか持っていませんから、犬にとっては色は二原色なんです
さて、ここまで読んで、
「犬は沢山の色を見分けられない」
「四色型色覚者は沢山の微妙な色を見分ける事ができるんだ」
等々の理解をされた方も多いかもしれない
だが、果たしてそうか?
上記の理解の仕方は「人間はリアルを視覚をもって認識している」と言う感覚であり、そういう世界観だ
いやいや、そうではなく、リアルには色などというものは元来もともとない。色というものは存在していない。色というものは各生物が便宜上勝手に恣意的に脳内で作りだしているだけ、と
いう可能性に想いを馳せてほしい。
TVでアメダスの画面を見てほしい
降水量大→赤(警告色)
降水量小→青(安全色)
だが、これって便宜上の色分けであって物理に由来する根拠はまったくない
例えば
降水量大→青(水が沢山だから水イメージのブルー)
降水量小→赤(乾燥した赤茶けた土のイメージ)
で、あってもとくにおかしくもない
じゃあ、錐状細胞の感じる色も勝手に割り振られていると考えるのは不当ではないだろう。
錐状細胞は色を感じている訳ではないからだ。受け取った光の中で各周波数の光の「量」を測定しているだけで、色を感じる能力はないからだ。錐状細胞は色を感知しない。三次元マップの位置に各周波数の割合によって落とし込んで、初めて脳内で色が発生する。
デジカメで説明すると、色を感じるセンサーなどというものはない(発明されてない)各モノクロのセンサーにR担当、G担当とフィルターをかけて各周波数の量を測らせている。
(Rが100パーセントの場合ですら赤とその時点で決定しない。他のセンサーの数値がわかるまで色は決定しない[判らない])
で、全体に対しての周波数の比率により、マップに置いてそこに色を割り振っている。そこで初めて色が発生(確定)する。
各周波数に応じてマッピングするところまでは問題ないが、マッピング先の属性の選択に根拠ない
周波数低→赤
周波数中→緑
周波数高→青
となっているが
上の割り振りに根拠なく、アメダスのごとく割当を反対にしても問題ない
外の風景が色きらびやかに見えても、それは脳内で人間が勝手に作り出したもの。貴方にとって赤い太陽は隣の人には全然違う色(例えば青)に見えてる可能性が、ある
存在していない色というものを、人間が赤、緑、青という属性を作りだして、それを比率によって脳内でマッピングすることで無から有を作り出している
色即是空である
例えば、コウモリに目はなく、超音波の反射を手がかりに飛行している。
反射データを基にコウモリの脳内で三次元画像(動画)が作られている可能性は否定できないように思う。
左右の耳で位相差を感知すれば距離はわかる。
仮に三次元画像を作っているならば、さらに脳内で
近いもの→赤(衝突注意)
遠いもの→青(ぶつからない、安全色)
と色分けしてるかもしれない
色とはその程度のもの。物理的根拠はない
じゃあ、近いもので赤だったのが遠ざかると青に変化するのは色の概念と随分違う、といわれるかも。だが、生物によって色の概念が違うのは自然なこと
遠いものが青という感覚は人間にも馴染みがある。遠い空は青いが、いざそこに行ってみると、更に遠いところは青いが、自分のたどり着いたところに青は無い。青く見える渓流に飛び込んでも同じだ
(赤方偏移等の現象もあるし)
もう少し、わかりやすい例えを考えてみる
例えば、男性が車の外観を見る
・カッコいい(好みースキ)
・カッコ悪い(好みじゃないーキライ)
外観は物理的実在かもしれないが、スキ、キライは内部的に生成されたもので、外的なものじゃない
色彩もスキ、キライに近い内部的な価値観に近いもの。
ただし、光の周波数とは完全にリンクしているので、外部的に存在してるかのごとく感じられる。ただしAさんが赤と感じているものをBさんが脳内のクオリアとして青と感じていることは否定しきれない。関連はあるが周波数と感じる色に物理的絶対同一性は全くないので
以上
📁no+e 備忘録『色彩はリアルには存在していない』
最後までお付き合いいただきありがとうございました
若い頃から、色彩は外部に存在するのではなく、内的に脳内で生成されるものではないか……という思索をしていた。大人になり上記ギガジンの記事を発見し読んで確信に変わった。つっても、素人の思いつきの妄想なので、どうしようもない。ギガジンの記事さえもすっかり忘れていた。久しぶりに思い出したので、とりあえず外部化してみた。
上記の思考を進めていけば、
人間にとって外部と内部とは何か?、
宇宙には自分しか存在していないのではないか?
宇宙とは実は存在していないのではないか?
という思考に当然なる
いずれ、機会があって、書く意欲があれば書くかもしれない
以下は関連web記事
↑記事では鳥の目は世の中を魚眼レンズのように見ている……みたいな記述があるがナンセンスとしか言いようがない。網膜内でいくら歪んでいても、知覚で幾らでも補正できるんだ。そもそも上下逆の画像すら人間でもひっくり返しの補正掛けているのに、魚眼歪みを補正しない訳がない。小さな網膜内で広い範囲を映し出そうとすると、魚眼歪み、は必然の事情がある。