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小説、修理を通じて繋いでいくもの「第四章」

物に込められた想い


 梅雨が明けて本格的な夏がやって来た。外を歩く人も、この暑さに顔をしかめている。

 そして私は店の中でエアコンがついているのだが、カウンターの上に突っ伏し、仕事どころではなかった。

「あーづーいー」

 そんな私の言葉に返ってくる声はない。作業部屋を見ると、一哉さんは扇風機の修理をしていた。

 私は外に視線を戻し、ぼーっとしていると、昔、おばあちゃんが家の前に水を撒いていたことを思い出す。ちょっとは気温が変わるかもしれないと思い、私はバケツに水を入れて外に出た。

「うわっ」

 あまりの暑さに思わず声が出る。店の前で打ち水をしていると、隣の店の呉服屋の壁に花火大会のポスターが貼ってあることに気付く。

「へぇ、二日間やるんだ」

「桜花ちゃん」

 そのポスターをじっくり見ていると、店から出てきた純平さんに声をかけられる。

「こんにちは。暑いですね」

「こんにちは。もしかして打ち水してた?それって朝とか夕方にした方がいいよ。昼に撒いたら水が蒸発して湿度が上がっちゃうんだ」

「え」

 残りの水どうしようとバケツを見つめていると、頭上から声がした。

「ねぇ、桜花ちゃん。さっきこれ見てたよね?」

 純平さんは花火大会のポスターを指差して言った。

「はい。これ、すぐそこで開催するんですよね」

「そう。ここからでも見えるよ。ちなみにこの日何か予定ある?」

「特に何も。仕事ぐらいですかね」

 首を傾げて答えると、純平さんはぱっと笑顔になる。

「じゃあさ、一緒に花火見に行こうよ!」

「それって商店街の人達とですか?すごい大人数になりません?」

 皆でぞろぞろと行く想像をして、苦笑いをする。

「……そうじゃなくて。まあいいか。確かに大人数になっちゃうね。うんうん」

 戸惑ったような表情をしたかと思うと、すぐに苦笑いになった純平さんに首を傾げると、呉服屋さんのドアが開いた。

「こんにちは。こんなに暑いのに若い子は元気ね」

 六十代ぐらいの女性が暑い中着物姿で出てきた。

嶋野しまのさん、こんにちは。すみません店の前で」

 ドアの前に居ると営業妨害だと言われかねない。私はさっと離れた。そんな私を見て嶋野さんは笑う。

「大丈夫よ。文句言いに出てきたわけじゃないから」

「はい……」

 私の気の抜けた返しにも嶋野さんは上品に笑う。そして、何かを思い出したように手を叩いた。

「そうそう。一哉くん店に居る?」

「居ますよ。扇風機と格闘してます」

「そう。それじゃあ、夕方頃に伺うって伝えてくれる?お願いしたいことがあるの」

「夕方頃ですね。分かりました」

 頷くと彼女は微笑み、ポスターに視線を移した。

「花火大会の話をしてたわよね?これ毎年凄い人が来るけど、梨香子りかこちゃんのビルで集まるから、わざわざ行かなくていいのが、ここの特権よね」

「え、ビル?集まる?どういうことですか?」

 私が分かるのは中野さんの下の名前が梨香子さんだということ。それ以外の疑問は純平さんが答えてくれた。

「実は、中野さんがオーナーのビルがあって、毎年皆で集まってビルの屋上から花火見てるんだ」

「へぇ、いいですね。もしかしてさっき誘ったのって、このことですか?」

「うーん。違うんだけど、違わないかな」

 苦笑いして答える純平さんと首を傾げる私に、嶋野さんはニコニコしていた。

「純平くん、頑張ってね」

「あはは。はい、頑張ります」

 二人だけで話が進みそうだ。そろそろ暑さに限界がきている私はバケツを抱えた。

「すみません。店に戻ってもいいですか?熱中症で倒れて迷惑かけたくないので」

「うん、そうだね。戻ろっか」

「そうね。それじゃあ、また後で店に伺うわね」

「はい。一哉さんに伝えておきます」

 解散すると私は急いで店の中に避難した。エアコンの涼しさにほっとしていると、グラスを持った一哉さんと目が合う。

「どこ行ってたんだ?」

「店の前で打ち水を。そのまま純平さんと嶋野さんと立ち話してしまって」

「打ち水は、夕方にしたほうがいいぞ」

 純平さんと全く同じことを指摘され、何も言えない。私は無言でバケツの水をシンクに流し、嶋野さんからの依頼を一哉さんに伝えようと横を向くと、彼は眉間にシワを寄せ、私を見ていた。

「……何ですか」

「汗かいてる。また倒れたらどうするんだ」

 と言うと、一哉さんは険しい顔のままハンカチを取り出し私の額に押し当てた。心配されるのはありがたいが、過保護すぎるのは気のせいだろうか。これ以上心配をかけないように私はグラスを手に取り、氷を入れてお茶を注いだ。そして一気に飲む。

「すみません、心配かけて。水分補給したのでもう大丈夫ですよ」

 空になったグラスを一哉さんに見せて、安心させようと微笑んだ。それを見た彼は、よろしいと言うように深く頷いた。私はほっとして嶋野さんの話題に移す。

「そうだ。さっき嶋野さんがお願いしたいことがあるって言ってました。夕方頃に来るそうです」

「そうか。分かった」

 一哉さんはアイスティーを入れながらそう答えた。私ももう一杯お茶を入れる。

「あと仕事の話じゃないんですけど、花火大会あるじゃないですか。純平さんに誘われたので行こうと思うんですけど、一哉さんも行きます?」

「はあ!?」

 聞いたことのない一哉さんの大声に驚く。その間に彼はグラスをカウンターの上に乱暴に置き、ドアに向かってスタスタと歩き始めた。

「ちょっと純平と話してくる」

「待ってください!誘われたのって中野さんがオーナーのビルの屋上で、皆で見ようって話ですよ!」

「……それか。その大事な一文を省くな」

 そう言うと、一哉さんは私を睨んだ。

 昼間の一騒動が嘘みたいな静かな夕方。そして、嶋野さんが店に来る時間になった。

「こんにちは」

「こんにちは。どうぞこちらへ」

 応対する一哉さんは、カウンター前の椅子を勧める。嶋野さんに飲み物を聞くと、お茶がいいということで私はグラスに氷を入れて差し出した。嶋野さんがお茶を飲み一息つくと、一哉さんも丸椅子に座って尋ねた。

「俺に何かお願いがあると聞きましたが」

「これなんだけど」

 と、嶋野さんがカウンターに置いたのはアンティークな懐中時計だった。

「わぁ、いいな。懐中時計って憧れるんですよね。それにこれ、すごくおしゃれです」

 そんな感想を言う私に、嶋野さんは嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。これ、夫が私にくれた物なの」

「プレゼントですか、素敵ですね!」

「いいえ。プレゼントじゃなくてプロポーズのときに渡されたの。指輪じゃなくてこれをね」

 指輪じゃなくて懐中時計を渡したの?プロポーズなのに?それもあるのかな?頭の中が疑問符でいっぱいになる私に構わず、一哉さんは懐中時計を手に取り、じっくりと見ていた。

「私もこれを渡されたとき、疑問に思ったんだけどね、夫が『僕の気持ちです』って言ったの。でもあとで指輪も貰ったわ」

 と、嶋野さんは左手薬指を見せてくれた。キラッとダイヤモンドが輝く。

「素敵ですね。ところで、僕の気持ちですって何なんでしょうね?」

「私も最近知ったんだけどね、実は意味があるらしいの。それがね、」

「嶋野さん」

 嶋野さんが言いかけた途中、一哉さんが遮った。

「お話中すみません。こちら、針は動いているので今回はオーバーホールということでよろしいでしょうか?」

「えぇ。お願いできるかしら?」

「はい」

 オーバーホールって何だろう?聞き慣れない言葉に私は手を挙げた。

「勉強不足ですみません。オーバーホールって何ですか?」

「オーバーホールは機械のメンテナンスで、分解や掃除をして新品と同じぐらいに綺麗にすることだ」

「なるほど。もし、オーバーホールをしなかったらどうなるんですか?」

「パーツが摩耗して、最終的には動かなくなってしまう」

「へぇ、じゃあこれは大事な作業なんですね」

 一つ勉強になった。私が頷くと、一哉さんは嶋野さんの方に向き直り、修理完了まで二週間待ってほしいと伝えていた。

「分かったわ。今回もよろしくね」

「はい」

 私は懐中時計を贈った意味が知りたくなり、一哉さんから懐中時計を受け取って細かく調べ始めた。まずはさっきまで見ていた外側。文字らしきものはない。今度は嶋野さんに断りを入れ、蓋を開けて文字盤を見るが、ここにも何も刻まれていなかった。

「ないなぁ。もっと小さいのかな」

 私が独り言を言っていると、嶋野さんはくすくすと笑い始めた。

「桜花ちゃん、必死ね。せっかくだから答えは、修理が終わる二週間後にしようかしら」

「ええっ!?二週間後なんて言わず今すぐ教えてくださいよ!」

 私はカウンターから身を乗り出して言うが、嶋野さんは首を横に振った。

「桜花ちゃん鈍感すぎるから、こういった謎は考えたほうがいいわよ」

「まあ、そういう恋愛系の心情に疎いことは分かってるんですけど、私、一哉さんよりは人の心は分かってるつもりですよ」

「いや、桜花さんの方が鈍い」

「え」

「懐中時計に何か刻まれていると思ったようだが、そうじゃない」

「文字が刻まれているわけじゃないんですか?もう、もったいぶらないで教えてください!」

 しかし嶋野さんは二週間後に教えると言って帰っていった。だが何週間経っても分かりそうにない。カウンターの上に伸びた私を無視して、一哉さんは作業部屋に戻っていった。

 ため息をつく。ため息の原因は嶋野さんからの謎だけじゃない。修理の話になったとき、私はオーバーホールという言葉を知らなかった。私は店番を任されている身なのに、修理について知らなさすぎるのだ。これまでも店に来る人も私に修理の話を振ってこない。私はそのさり気なさに甘えていた。このままだと、ただ店で座っている人となってしまう。

「うん。よし!」

 勢いをつけて立ち上がる。扇風機を依頼品用の棚に置いた一哉さんが、何事だと振り返った。

「一哉さん、修理の本、私に貸してください!」

「は?」

「私が部屋を貸してもらうときに移動させた本ですよ!修理の勉強です!」

「……今日はもう、閉店するか」

 前のめりで力説する私を見て、一哉さんは落ち着かせたほうがいいと考えたのか、そう言った。

「そうですね!今日は閉めましょう!その後は本、貸してくださいね!」

「……何なんだ急に」

 部屋に戻ると、一哉さんは部屋から大量の本を持ってきてくれた。

「かなりあるが……」

 本当に読むのかと言いたげな目だ。私は頷く。

「まあ、分からないことがあったら聞いて。俺、夕飯の用意してるから」

「はい、ありがとうございます」

 キッチンに立つ一哉さんに背を向け、私はローテーブルに積み重なった一番上の本に手を伸ばした。表紙を見ると、時計専門の本だった。

 ちょうど今だと思いながら本を開き、目を通す。私は仕事で重要なトレンドを見抜く力がついた。そのため、これは覚えておいたほうがいいというポイントが分かる。

 ちなみに私の本職、ファッションデザイナーの仕事は、ショーが間近に近付いているため今はこちらからアドバイスする以外はすることがない。つまり勉強に集中できるということだ。

 私はメモ帳を開き、重要な文を書き込んでいった。一哉さんが教えてくれたオーバーホールの説明も書いてあり、それもメモした。書き終えてページをめくったその時、何かが床に落ちた。何だろうと思い拾うと、四つ葉のクローバーを押し花にした栞だった。

「わぁ、可愛い」

「何が」

 そう呟いた私の隣に、いつの間にか一哉さんが立っていた。そして私の手元を見る。

「あ、それ……」

「落としてすみません」

「いや、別に。ここにあったのか」

 探していた物だったようで、私が栞を渡すと、一哉さんは大事にポケットにしまった。

「私、小さい頃、四つ葉探しの名人だったんです。と言っても三歳ぐらいなので、あまり覚えてないんですけどね。見つけては公園に来てた人に渡しまくってたそうです。今、四つ葉見て思い出しました」

「ふーん」

 まあ、こんな話興味無いだろうなと思っていたらやっぱりその通りで、一哉さんはキッチンに戻っていった。

「あ、夕飯出来たけど食べるか?」

「食べます!」

 夕飯の用意が終わったことを伝えに、こっちに来たようだ。全く関係のない話をしたため、どうやら伝えることを忘れてしまったらしい。

 修理の勉強を始めて一週間。つまり、嶋野さんからの謎に答えを出す期間まで、あと一週間をきったということだ。勉強は順調だが、嶋野さんの謎は謎のままだ。

 最近、日課となった朝の打ち水をしていると、純平さんとお客さんが出てきた。お客さんの手には一本の赤いバラを持っていた。

「一輪の赤いバラの花言葉は『私にはあなただけ』なんです。だからぜひ、告白頑張ってくださいね!応援してます!」

 両手に握りこぶしを作り笑顔を見せる純平さんに、お客さんも強張っていた表情を緩めた。私は去っていくお客さんの背中を見て、告白が成功してほしいと祈った。

「バラって、本数によって意味が変わるから面白いよね」

 純平さんに声をかけられ、私は視線を彼に戻した。

「私、一輪のバラの花言葉は知りませんでした。百八本なら知ってますけど」

「百八本はプロポーズに使われるから有名だよね」

 純平さんの言葉に頷く。確か語呂合わせで十と八で永遠とわにって意味だった気がする。

「花そのものに意味があるから、思いを伝えるためによく使われるよね。だから花言葉の意味を知ってて損はないよ」

 私は純平さんの言葉にはっとなる。

「花そのものに意味がある。もしかして物そのものにも……。すみません、ちょっと調べたいことができたので失礼します」

「え、なに?どうしたの?」

 私は純平さんに頭を下げ、急ぎ足で店へ戻る。

 タブレットで懐中時計を贈る意味を調べよう。私は椅子に座り、タブレットを起動させた。急に勢いづいた私に、一哉さんは手を止めて見ていた。

「どうした」

「私、旦那さんが嶋野さんに懐中時計を渡した理由分かった気がします。意味は今から調べます」

 私は『懐中時計を贈る意味』で検索すると、表示されたのは『同じ時間を共有したい』と出てきた。プロポーズにぴったりな贈り物だ。私は、旦那さんの嶋野さんへの思いと愛を知ることができて心が温かくなった。

 更に一週間が過ぎて、懐中時計の修理が終わった。夕方、嶋野さんが店に来て、一通り一哉さんからの説明が終わると早速聞いてきた。

「桜花ちゃん。あの謎、解けた?」

「はい!懐中時計そのものに意味があって、同じ時間を共有したいってことだったんですよね」

「えぇ、その通りよ。大正解」

 無事に正解を導き出せたことにほっとしていると、嶋野さんは立ち上がり私の腕を掴んだ。

「無事に正解したことだし、ご褒美あげるわ。ちょっと桜花ちゃん借りていくわね」

 と、私は嶋野さんに引っ張られて、そのまま隣の呉服屋さんへと入っていった。

「ごめんなさいね。急に」

「いえ。あの、何を……」

 嶋野さんは浴衣を私の体に次々とあてていく。

「やっぱり、何でも似合うわね。でも赤が一番ね。桜花ちゃんは浴衣一人で着られる?」

「高校時代に一度だけ着たことがあるので。というかこれ着ていいんですか?」

「もちろんよ。ほら、早く着てみて」

 嶋野さんに急かされ、私は浴衣を着る。鏡の前に立ち改めて浴衣の柄を見ると、金魚が描かれた可愛らしいデザインだった。顔だけ出し、嶋野さんがいることを確認すると、私は浴衣姿を見せた。

「凄く似合ってる。それじゃあ、行きましょうか」

「ありがとうございます。で、どこに行くんですか?」

「ふふっ。着いてからのお楽しみ」

 可愛らしく片目を瞑った嶋野さんに、首を傾げた。

 呉服屋を出て、私は修理屋の掃除をまだしていなかったことを思い出し店の中を覗くが、一哉さんの姿はなかった。もう部屋に戻ってしまったのか。

「一哉くん、居ないわね。もう行っちゃったのかしら」

 何処にと聞いても多分はぐらかされるだろう。私はあえて聞かなかった。人気ひとけが少ない商店街を嶋野さんと歩く。しんと静かだと、ちょっと寂しい。

「それにしても、一哉くん明るくなって嬉しいわ」

「え、あれでですか」

 一哉さんは毎日無愛想で、私はまだ彼の笑顔を見たことがない。

「そうよ。ここに来たとき目も合わせないし、純平くん以外と交流することを一哉くんは拒んでたの」

「そうなんですか……」

「本当に。桜花ちゃんが来る前まで、家族のことをずっと引きずっていたの。特に妹がいたらしくて“ハルちゃん”って名前の子らしいのだけど」

「ハルちゃん……」

 何だろう。ハルちゃんというワードが引っかかるが、何かは思い出せない。もやもやする。

「三つ年の離れた妹で、そのハルちゃんがどうしているのか気になってるって言ってたわ。それ以上は話してくれなかったけど」

 会話はそこで終わり、嶋野さんはビルを見上げた。私も見上げると夕焼けは沈み、辺りは暗くなっていた。ビルを見た瞬間、もしかしたらと思うことがあり、ワクワクしながら階段を上って行く。するとガヤガヤした声が聞こえ始めた。

「あの、嶋野さん。ここって」

「えぇ、そうよ。梨香子ちゃんのビルよ」

 やっぱり。中野さんがオーナーのビルだ。そういえば今日、花火大会の日だった。そこでは大勢の人が集まって、食べ物を分け合ったり談笑して楽しんでいた。屋台まで出ている。

「皆さん、ここに来ていたから、商店街は閑散としていたんですね」

「この時期、早く閉めることは常連さんは知ってるから、皆のびのびと楽しめるのよ」

 と、嶋野さんが笑ったとき、拓海くんとココちゃんコンビが近付いてきた。

「お姉さん、こんばんは!浴衣着てる!」

「こんばんは。拓海くんとココちゃんも浴衣姿だね。お揃い?」

 私の質問に拓海くんは頷いた。同じ青色の浴衣姿で可愛らしい。そして手にはりんご飴が握られている。私の視線に気付いたようで拓海くんは後ろを指さして説明してくれた。

「パパがりんご飴作ったんだよ。お姉さんも食べる?」

「うん。後で行くね」

 後でと言ったのは拓海くんと会話中に肩を叩かれたからだ。

「やあ、桜花ちゃん」

河邊かわべさん、成海《なるみ》さん、こんばんは」

 私の肩を叩いたのは、河邊さん夫婦の旦那さんの方。隣には奥さんの成海さんが優しく微笑んでいた。ちなみに、河邊さんは和菓子屋さんで一哉さんが一番好きなのはクッキーだと教えてくれた人だ。

 私が挨拶を返すと、河邉さんは私と拓海くんの手に、焼きそばが入ったパックを乗せた。

「あれ?おじさん。和菓子じゃないの?」

 拓海くんは首を傾げて聞く。うん、私も気になった。拓海くんの疑問に苦笑いする河邊さんに代わって、成海さんが答えてくれた。

「この人、安売りしてたからって焼きそばの麺を大量に買ったのよ。ほんと、花火大会なかったらどうするつもりだったのよ」

「だ、大丈夫だって。俺はミスしないから!」

 誤魔化すように豪快に笑う河邊さんに成海さんはため息をついた。

 
 少し離れたところで一哉さんと純平さんが座っていた。二人と目が合うと手招きしてきた。

「二人の騎士ナイトから呼ばれたら行くしかないよな。是非二人にも焼きそばを渡してくれ」

 余っているのだろうか、河邊さんに二人分の焼きそばを追加で乗せてきた。

「あ、お姉さん!りんご飴も持ってって!」

 拓海くんに腕を引っ張られ、拓海くんの両親の元へ行くと三人分渡された。そして他にも声をかけられ、私の手にはたくさんの食べ物で溢れかえった。やっと二人の元に辿り着くと、私の手元を見て純平さんは笑った。

「流石、桜花ちゃん。人気者だね」

「あはは。本当にありがたいです」

 私が頂いたものを置くと、テーブルの上は食べ物で一杯になった。一息ついて椅子に座ると、純平さんは私を見て微笑んだ。

「浴衣、似合ってる。可愛いよ」

「……ありがとうございます」

 可愛いのは浴衣だということは分かっている。だが照れて赤くなっていると、それが移ったのか純平さんも耳を赤くした。無言の時間が続いたが、彼は急に焼きそばに手を伸ばした。

「……あー、お腹空いた。僕、焼きそば貰おうかな」

「じゃあ、私はりんご飴」

 私がりんご飴を取ると、一哉さんは無言でベビーカステラに手を伸ばした。

「やっほー、三人共。どう?楽しんでる?」

 中野さんが私達のテーブルにやって来た。

「はい!皆さんが屋台を出していて、たくさん頂いちゃいました」

「毎年皆、楽しみにしてるからね。わたしもビル管理しててよかったって思える日だよ」

 中野さんが誇らしげな表情を見せたその時、

「あ!」

 誰かの声が聞こえたと同時に、花火が思っていたよりも近くで上がった。しばらく見惚れ、そして最後の花火が上がり終わると嶋野さんがやって来て、私の隣に椅子を持ってきて座った。

「花火、綺麗だったでしょう?」

「はい。すごく綺麗で感動しました」

 私がそう感想を述べると、嶋野さんは嬉しそうに微笑んだ。

「実は私の夫、花火職人なの。もう還暦を超えているけど今も現役よ」

「そうなんですか。じゃあ、今上がった中にも?」

「えぇ、もちろん」

 自分が作ったかのように胸を張る嶋野さんに、私は夫婦の絆を感じた。

「さて!」

 急に声を出した河邊さんにビクッとなる。

「花火も終わったことだし、ここからは飲んで食べまくりましょう!」

「何であなたが仕切ってるのよ」

 成海さんのツッコミで会場は笑いに包まる。私はこの時間を心から楽しんだ。

第五章に続く

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