映画「PIG ピッグ」:君はリアルか?
noteをはじめてから、なんだか映画のことばかり書いているけど、本当はそれ以外のことも書こうとはしていて(もちろん他のこともしていて)、じつは下書きには、いくつかそうした文章が入っている。
でも、いずれも最近の自分の状況に関して自己憐憫的にダラダラと書き連ねた、まったくもって貧しい文章なので、書いている本人(つまり私)さえ鼻白むほどだ。
自分のことをキチンと書くというのは、難しいなぁ。
というわけで、今の私にとって書きやすいのは、やはり好きなことについてである。そして、その一つが映画なので、ここ最近はそれほど見まくっているわけではないのだけど、こうして映画の話ばかりが続いている。
で、今回は、最近、ケーブルTVで目にして、とっても好きになった映画について書いてみたい。
それは、「PIG ピッグ」というニコラス・ケイジ主演の映画である。
なお今回は、ストーリーに触れるので、あしからず。
ニコラス・ケイジ
ニコラス・ケイジ、一部ファンからはニコケイとも呼ばれ、誰もが知っている(と思うが・・)有名俳優の一人だ。
かつては演技派と言われ、アカデミー賞もとったのに、いつの間にか借金がかさんで、その返済のためにB級映画に出まくり、かつての面影はスッカリ無くなったと言われた。しかしながらも、一部ファンからは愛され続けている(と思われる)俳優でもある。
じつは、かくいう私も、その一人。
私がニコケイにはまったのは、「赤ちゃん泥棒」だった。以降、「フェイス・オフ」などの大作にも出て、ニコケイが出る映画は、それだけで見に行ったりレンタル(古い!)したりしていた。
そしてB級路線が濃厚になると、途中から少し足が遠のいたものの、それでも2本に1本くらいの割合では見ていたような気がする。中には「ドライブ・アングリー」などのお気に入りの映画もあった。
なぜニコケイが好きなのか・・・・それはそれで考えるべき(と、私が勝手に思っている)課題なのだが、今回はその話はさておき、彼の最近の映画の「PIG ピッグ」(2021年)である。
これは、最近、借金の返済が終わって、B級路線から脱却し、ようやくニコケイの「復活」が囁かれるようになった映画の一つである。評価もとても高かったという。
概要と第一印象:あれ、いつもと違う?
映画の概要は以下の通り。
じつは、この映画のチラシには「俺のブタを返せ」という文字が、ニコケイのヒゲも髪もボサボサでヨレヨレの横顔とともに書かれている。
ニコケイ演ずるロブは、トリュフをとる豚と暮らす世捨て人のような男という設定だ。
そしてその横には、「ニコラス・ケイジが愛するブタを奪還する、慟哭のリベンジスリラー!」という煽り文句!!
そのため私は、今回のニコケイもやはりB級のノリかぁ、と思って見始めた。特に初めは、その先入観からどうしても離れられず、静かなシーンが続いても、いつ、あのニコケイの調子になるのかとドキドキして見ていた。
だか、次第に、あれ、なんだか違うと気づき・・・・最終的には、なんと、すごくまっとうな映画であることに感動(!)したのである。正直、心が洗われるような思いもした。
こうした、いい意味で裏切られた映画って、ニコケイ物(そんなモンないけど)に限らず、なかなかないんじゃないかなぁ。その意味でもとても希有な作品だと思う。
たしかに、その感動は決してポジティブで明るいものではなかった。
むしろ、寂しさや悲しさも大きかったのだが、それゆえ単に絵空事ではなく、逆にリアルで、これからの人生に前向きに立ち向かっていけそうな気分をじわっと与えてくれた。
その意味でも私にとっては、もう一度見たい映画になったのだが、何よりもまず、一言、どうしても言っておきたいことがある・・・・
私も、あのニコケイに説教されたい!!(見てない人は分からないけど、見た人は分かるよね)
ちょっと非現実的?
さてさて、この映画の主軸は、トリュフをとるために飼っている豚を奪われたロブ(ニコケイ)が、その豚を取り戻すために町に出かけて、同時にその過去が明らかになっていくという筋である。
そしてそこに、ロブからトリュフを買っている縁で、彼をいやいやながらも手助けする羽目になる若造のアミールが、その旅のなかで自分の父との関係を真正面から見直すようになっていくという筋が絡まって動いていく。
このアミール役の俳優、アレックス・ウルフもなかなか良かったんだよねぇ。
そもそもこの映画、丁寧な説明がなく進んでいくだけでなく、しばしば、かなり現実離れしている話も挟まされる。
たとえば、地下で、殴られるゲームが行われているシーン。これもちゃんとした説明がないので、見ている側は本当にこうしたことがあるのか、ちょっと戸惑ってしまう。
ただし、その一方で、なんだかすごい説得力があって、その違和感は決してノイズにならないんだよね。
映画として凄いバワーだ。
リアルと見かけ
それって、なんだろうと、つらつら考えたのだけど、一つには、この映画が「リアル」をトコトン追求しているからかもしれない。
ここでいう「リアル」とは、目に見えるそれではなく、本当に自分にとってのリアルとは何か、目に見えるものがリアルなのか、を考えぬいた上でのリアルだ。
よって、それは日本語の「現実」とも違う。
ロブは、あるシーンで、トレンディな有名シェフの料理を一口食べて、お前は何をしたかったのか、思い出せと説教を始める。そして、この料理も、お前も、リアルではない、と畳み込む。
(前にも書いたけど、この説教シーンがいい!良く考えるとちょっと非現実な設定だが、これこそまさにリアルだ!!)
You are not real. ・・・・このシーンでニコケイがいう一言が、まだ心のなかにしみこんでいる。
私たちは、生きていく中で、どうしても虚勢をはってしまう。それって、まさに見かけであり、どう見えるかということだろう。また、だからこそ、その基準はドンドン自分自身から離れて他人(とおもっている想像上の他人だろうが)の基準になっていく。
この対比は、流行のハイソを気取っているシェフのこぎれいな格好と、森の中でヨレヨレで小汚いロブの格好という、二人の外見の差異にも(ちょっと露骨というか非現実なほどに)表れている。
ロブは、他人にちやほやされることばっかり考えているシェフと違って、周囲の目は一切気にしない姿だが、どちらが自分のリアルを追求しようとしているかは一目瞭然だ。
そして、ロブのトリュフを買っているアミールもまた、父に認められたくて自分なりに背伸びをしようと、仕事で有能なところを見せつけようとしたり、クラシックの音楽理論をラジオで聞いたりと、軽薄ながらも、涙ぐましい努力をしている。彼もまた、リアルから目を背けて他人(父)を目を引こうとしている者の一人だ。
だからアミールが、ロブとの旅の中で自分なりにリアルを取り戻していく過程は、じ~んと胸にくる。
また、同じことは、じつはロブにも当てはまるのかもしれない。
彼はもまた、妻の死だけは乗り越えられずにいたが、映画の最後でそれを受け入れる。
このシーン、限りなく悲しいのだけど、なぜか何かに包み込まれるような優しさと、それでいてずっしりくるような安定感もあって忘れられない。
正直、涙が出た・・・・
リアルは、自分自身で見い出してこそ、そう感じられるものなのだろう。
そして、そう感じることができれば、それがたとえ悲しくつらいことであっても、自分は生きているということが十分に感じられ、生きていくことができるのである。きっと・・・・
そして、この役を演じたのが、ニコラス・ケイジであるのは、ある意味、僥倖というか、監督の慧眼というか・・・。
これまでB級映画に出まくって色々と言われ続けていたニコケイが、リアルにこだわるロブという役を演ずるのは、ものすごい説得力があった。私は、いつの間にかロブという人間を、現実離れした設定にもかかわらず、とてもリアルに感じて、映画の中に没入してしまった。
じつはグルメ映画?:食べることの力
そうそう、この映画、もう一つ、特徴があるので、それについても書いておく。
映画は3つのパートに分かれていて、そのタイトルが、料理名になっているのだ!
パート1は、「田舎風マッシュルーム・タルト」
パート2は、「ママのフレンチトーストとホタテ貝の創作料理」
パート3は、「鳥料理、ワイン、塩味のバゲット」
パート1は、ロブが豚を奪われて奪還のために町に行き、首謀者の目星を付けるまでの部分だ。
このタルトは、その前半で、ロブが森での静謐な生活を送る中、小麦粉を練り、マッシュルームを切って作り、豚と一緒に食べていた料理だ。シンプルで、ロブの生活の象徴ともいえようか。
パート2は、首謀者がアミールの父らしいと分かり、その過程でロブの正体が少しずつ明らかになるだけでなく、アミールはロブとぶつかりながら自身の悩みに向き合わざる得なくなる部分だ。
フレンチトーストは、そのアミールが「自分は料理しない」と言って作ったもので、ホタテ貝の創作料理とは、例のシェフが作ったもの。そう、例の説教シーンで出される料理だ。
そして感動のパート3の料理は、首謀者がアミールの父であることが分かり、彼から豚の居所を聞き出すために、ロブが作ったものである。
この料理のメニューがなぜ選ばれたのかという理由も、ちょっと感動もので、それゆえにアミールの父もリアルな感情をあらわにするのだが(もう大分ネタバレしているけど、これは書かないので、是非見てほしい)、ロブがアミールに教えながら二人で調理をしているシーンはとても美しかった!
ロブは映画の最初から着替えていないので、こんな格好で料理かよ、と思ってしまうのだが、それでも美しかったんだよねぇ~。
つまり、料理がこの映画の底流ともいえる存在になっているわけだが、それは、食べることが人が生きるためには最も基本的で不可欠なことの一つであり、それゆえ、自分のリアルに最もストレートにつながることができる手段の一つであることを示しているのかもしれない。
少なくとも私は、この映画で、料理のもつ力を教えられた。
そして、じつは映画の冒頭で、ロブが土を口にするんだよね。
これは、後にロブが、トリュフの場所は豚ではなく土が教えてくれると言っていることに符合するのだが、そのことが分かった途端、このシーンもまた食べることのリアルを感じさせるシーンかもしれないと思って、ずしっときた。
最後に:この映画が好きだ!
この映画、90分ほどで短いのだけど、映像や言葉の隅々まで丁寧に無駄なく作られていて、一つたりとも見落とせない。
音楽もとても良かったのだけど、私にはそれを表現する言葉がなくて、残念至極だ。
ともかくも、長編映画は初めてだという、マイケル・サルノスキ監督、恐るべしである。
ああ、もう一度、見たい映画である! そして、もう一度言う、あのニコケイに説教されたい!
でも、こうして手放しで褒めてしまったのも、ニコケイ・ファンの欲目かもしれないので、その場合はあしからず。