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言わない優しさ


父は77歳で亡くなった。
75歳ですい臓がんが発症、2年間の闘病後だった。

数年の会社勤め(建築会社)をし独立、田舎で建築業を営んでいた父は、癌が見つかる直前まで働きづくめの人だった。近所からも「働き者」と評判になっていた。

母は田舎の雑貨店を営んでいる。
母は父よりも会社勤めが長く、結婚と同時に会社勤めを辞め父の実家の家業である雑貨店の営みを任された。

父は建築業そして母は雑貨店を経営、田舎特有の多角経営の商社らしくみえる。しかしながら実態は金銭的な面で生活は苦しかった。
家族旅行など行く余裕もない。車も建築業で使用するトラックが1台あるのみ。家族が乗る乗用車を購入する余裕さえないありさまである。

金銭管理が杜撰だったのだろうと思う。父も母も浪費家であったし、ライフプランなんてものは考えもなかっただろう。
今を生きる、そして家族を養っていくのに精いっぱいだったのだ。

今の生活資金でさえ余裕がない状態であるならば、将来の老後資金対策を考えることなどできるはずもない。
唯一、老後に向けてやっている事といえば国民の義務である国民年金保険料の支払を母は全期間(40年)支払続けていることくらいであった。
一方、父は国民年金保険料ですらまともに支払っておらず、10数年分しか保険料を支払っていなかったと母から聞いている。

当時、中学生であった自分は、まだまだ世の中の仕組みを知らないにも関わらず両親の老後資金を心配していた。
更には医者を目指していた自分は自身の将来を案じた。

「こんな状態で希望の高校(下宿しながら都市部の進学校)に行けるのか?そして大学にも行けるのか?金銭面で断念せざるを得ないのか?」

(結局、金銭面を理由に一番お金がかからない地元の高校へ進学せざるをえなかった。卒業後は収入が安定した公務員になった)

話を両親に戻す。

父親の癌が発覚、治療なしで6か月、治療しても余命1年と告知された。建築業は廃業した。母は相変わらず雑貨店を営んでいる。

当時の両親の収入源はこんな感じだった。
①父→老齢国民年金(僅か)+老齢厚生年金
②母→老齢国民年金(満額)+老齢厚生年金
   雑貨店の売上収入(事業所得)

※両親とも結婚前に会社勤めしている時に厚生年金保険の被保険者が1か月以上あったので老齢厚生年金が支払われる。(老齢厚生年金の受給要件の1つ)

両親の老後生活もあいかわらず、金銭的にギリギリの生活で余裕はなったかと思われる。

金銭面での不安と父の身体的不安、両親は二つの大きな不安を抱えて田舎で生活をしている。
私は実家に様子を伺いに定期的に帰郷することにした。
金銭面においても生活必需品の購入してあげるなどの支援をした。

ある時、父と母は談笑していた。

「Aさん(近所の親戚の叔母)は死んだ旦那の遺族年金で暮らして悠々自適・・・と近所から陰口を言われている・・・オラもこの先、父さん亡くなったら遺族年金もらっていると陰口言われてしまうんだべか?」


「すったらごと気にすんな。死んだら俺の遺族年金全部お前にやる!」

遺族年金を受給することは国の制度であって、決して卑しいことではないはず。そこは田舎特有の他者への過干渉、妬み僻みの村社会なのである。

そんな遺族年金の話題で笑いも交じりながら二人で盛り上がっている。
夫婦としてこんな風に笑いあえる時間はあと、どのくらい残されているのだろうか。
夫婦で笑いあえる時間を少しでも長く作ってあげたい。

二人に暗い現実を突きつけることはでいない・・・今それを言ってしまったらこの幸せな時間を壊してしまう。

私「母さんには遺族年金が支払われることはないよ」

母「なしてさー?旦那が亡くなったら周りの皆んなも遺族年金貰ってるよ。」

私「なぜかって?それは父さんの遺族厚生年金の受給要件を満たしていないから」

今それを言えば、束の間の笑い時間が止まり、これから起こるであろう暗くつらい現実と不安にまた二人はつつまれる…。

何でも本当の事を言えばよいわけではない。時には言わない優しさもある。
自分なりの優しさのつもり・・・今は本当の事は言えない。






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