過去は変えられないけど、未来はいくらでも変えられるの本当の意味
過去は変えられないけど、未来はいくらでも変えられる、この言葉よく聞くと思うんですけど、本当の意味って、
変えることのできない過去を肯定するために、未来を変えられるように頑張る
ってことだと思います。
過去の失敗や、後悔って誰しも持っていると思うんです。過去の出来事は変えられません。タイムマシーンなんてないし。だから変えられない過去はもう深く考えないで、帰られる未来のことに目を向けようって、私はちょっと違うと思うんですよね。
大事なのは今現在で。今現在できる限りの努力をして、できる限り自分の納得する未来に近づく。
未来の自分に満足できていたら、過去の苦い経験全部肯定してあげられると思いませんか?
例えば、受験。死ぬほど勉強を頑張ったのに、当日受験票を忘れて受験できず、滑り止めの学校に進学することになった。とんでもなく苦しい体験ですし、一生後悔が残りそうです。しかし、ここで腐ってしまったら、そこまでだと思うんです。
その進学先の学校で自分ができる最大限の努力をする。この努力の形っていっぱいあります。
学部内一番の成績を取る努力、もあるだろうし、その大学のよさを見つける努力も一種の努力です。最寄り駅から近い、とか、意外と学食がおいしいとか、この大学に来なかったらこの友達と出会えてないんだなとか、色々努力の形があると思います。大学を卒業するとき、この大学来てよかったって心から思えていれば、あの時受験票を忘れたことも絶対認めてあげられると思いませんか?あの時受験票忘れなかったら今こんなに幸せじゃなかったかもって。こう思えるかどうかどうかって自分の努力次第。
自分の努力で未来を明るいものにすることで過去の自分を丸ごと認めてあげたいです。