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幸せってなんだろう?(2) | 鬱病患者が哲学と妄想で解き明かす幸福論
チバです!こんにちは!
突然ですが、皆さんにとっての幸せって何ですか?
今回は哲学の観点から妄想します。
0.はじめに
脳科学が教えてくれる幸せは、ホルモンや化学反応に基づいた話。でも、哲学は僕にこう言うんです――「それだけじゃ足りないだろう?」と。
この問いの答えを知りたくて、僕は脳内実験を始めました。
1.幸せ装置、おひとついかが?
テクノロジーが超発達した未来、誰もが幸せになれる装置が開発された未来を妄想してください。
頭に取り付ける帽子のような装置です。
家電量販店にいけば、「ボタンひとつで幸せになれますよ!一家に一台どうですか?!」なんて店員さんがアピールするんです。
あなたは買いますか?
え、値段? ...うーん、今だけの大特価9800円!ということで!
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考えた結果、僕は買わないです。
僕は、自分の回答に自分でびっくりしました。
「いやいやいやいや!さっき幸せになったら生きる気力が湧いてくるゆうてたやん」なぜか関西弁を喋るもうひとりの僕が、非難してきます。
なぜ僕は買わないのでしょうか。脳内科学研究部員たちは更なる実験を重ねました。
2.装置を着けてる僕と着けてない友達
店員に勧められるがまま、装置を買った世界線の僕を妄想してみましょう。
幸せになれるのですから、装着しない理由はありません。外す理由もありません。
外してしまったら、また鬱でつらい僕に戻ってしまうのですから。
装置を着けて日課の散歩に出かけた僕は、高校時代からの友人に思いがけず出くわしました。
あれ...そういえばなんで散歩してるんだっけ?――いや、幸せ装置の説明書に「身体の健康のために散歩してください」って書いてあったからだった。
そんなことを考えている僕に友人は話しかけてきました。
「チバちゃん久しぶり!元気してた?」
「チバちゃん流行りの幸せ装置買ったんだね!!」
そういう友人の頭部に目をやると、どうやら友人は装置を買っていないようでした。
僕はこのとき思うのです。
友人は、僕が装置で「造り上げた幸福」を感じていると認識し、こいつは「本当の幸せ」を知らぬままこの先も生きていくんだと考えるだろうな、ということを。
そう、僕の友人から見ると、ある意味僕は哀れなのです。
ここでまた、初めの問いに戻ります。
脳科学は「幸福物質をたくさん出すことが幸せ」といいます。
でも幸せ装置を着けた僕は、「本当の幸福」を味わっていないのでした。
では、結局幸せってなんだろう?
3.本当の幸せ
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どうして友人は僕のことを哀れむのでしょう?僕はこんなにも幸福物質ドバドバなのに。
友人から見た僕は、装置によって造り上げた、でっち上げられた幸せを感じていると認識するのでした。
ここに問いへの答えとなる真髄が見える気がします。
つまり、この世界線では、
僕は真実を知らない
僕は主体性がない
ということが言えないでしょうか。
3.1.真実:幸せになるために、真実を知る必要アリ?
装置を着けた僕は、いま感じている幸せが何なのか最早考えもしないでしょう。なにもしなくても幸せなのですから、考える理由、モチベーションがないのです。
装置を着けた以上、僕は今後真実を知ることはないでしょう。
ちっちゃい子って、「空が青いのなんで?海ってどうしてしょっぱいの?」
というような、「なんで?どうして?」と質問攻めにしますよね。僕もそうでしたし、今もそうかもしれません。
どうやら、DNAレベルで、人間という生き物は「知りたい!」という欲求があるようです。
「真実を知ること」が、本当の幸せに繋がるのかもしれません。
3.2.主体性:自分で手に入れた幸せじゃなきゃダメ?
幸せって、自分の行動した結果・選んだ結果得られるものが多いと思います。
勉強を頑張って学びたい学校に入ることも、
一生懸命努力して仕事で評価されることも、
パートナーのためにあれこれ考えてプレゼントを用意し、喜んでもらえることも、
全部自分の行動・選択によるものですね。
幸せ装置を着けた僕は、自分の行動・選択によらず幸せでした。受け身なんです。
そこらへんで買ってきたカレーより、自分で苦労して作ったちょっと不格好なカレーのほうが美味しく感じることありませんか?
本当の幸せを掴むには、「主体」が鍵かもしれません。
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4.終わりに
僕の「脳科学的・哲学的幸福論の妄想」いかがでしたでしょうか?
哲学の問いには答えがないものも多いですから、僕の考えが正解とは限りません。
皆さんはどのような考えをお持ちですか?
次回は「自分で選べる」と思っていた幸せが、本当に自分の選択なのかを妄想してみます!