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ラップ・ハント

こんにちは、架空書店「鹿書房」店主、伍月鹿です
北海道は雪も降って一気に冷え込みました。今年も風邪を引くことなく乗り越えたいものです

さて、本日11月8日はラップ将軍の命日です

昨年のnoteはこちら

ラップ将軍の情報は昨年まとめさせていただいたので、
今年はいつもお世話になっているwebサイトなどから「ナポレオンハント」ならぬ「ラップハント」をしてみようと思います



◇ Napoleon.org

こちらはナポレオン関連のあらゆる情報やトピックスをまとめたウェブサイトです
出版物や博物館の情報などもまとまっているので、ナポレオンに興味を持った方や少し調べたい方の味方にもなる素晴らしいサイトです。2024年現在でも更新があります

こちらではラップ将軍の詳細なバイオグラフィーを読むことができます

・リゲンフィールドで顔と腕に多数の切り傷
・ケールの砦で右膝を銃撃
・サマフードの戦いで負傷
・アウステルリッツで負傷(額の傷、サーベルが折れた)
・ボルコヴォで負傷(腕?)
・エスリンクで馬車事故(助骨3本骨折、肩を脱臼)
・ボロジノの戦いで4カ所負傷(軽い擦り傷と腰に怪我)
・ゴロディナでコサックの攻撃からナポレオンを守って負傷
・ベレジナで負傷

※()内は別資料からの補足

という怪我の多さが丁寧に書かれているのが嬉しいポイント
エピソードの多くは彼の自伝がベースになっているようです

また、あまり語られることのない「ストラブスブール近郊で軍隊と遭遇し、ラ・スッフェルの戦い(6月28日)でこれを破った。これはナポレオン戦争におけるフランス最後の決戦勝利であった。」こともしっかり書かれています。ペーパーバック版のラップ将軍の自伝タイトルにもなっている大好きなエピソードです

◇ History Of War.org

こちらは軍事史百科事典として、さまざまな情報を見つけることができるサイトです
ナポレオン戦争についても多くの資料を有している有り難い場所

こちらでもバイオグラフィーを見ることができます
ここに限らず、英語で書かれたサイトではわたしの中で物議を醸す内容が書かれていることが多いのでそちらを引用

Rapp and Desaix returned to France in May 1800 and were sent to join Napoleon's army in Italy. Desaix arrived just in time to save Napoleon from defeat at Marengo (14 June 1800), but he was mortally wounded and died in Rapp's arms.

History Of War.org

「ラップとドゼーは1800年5月にフランスに戻り、イタリアのナポレオン軍に加わるために派遣された。ドゼーはマレンゴ(1800年6月14日)で敗北からナポレオンの命を救うために間に合ったが、致命傷を負い、ラップの腕の中で息を引き取った。

ラップの腕の中で息を引き取った。」????

そんな、いたいけな少年少女が目にしたら美談に出来てしまいそうなとんでもシチュエーション。ソースが一体どこにあるのか。謎すぎる。しかもこれ、本当あちこちに書かれているんですよ。どこ情報だ。

ちなみにサヴァリの自伝ではラップは「病気で軍から離れていた」との記載があり、マレンゴの戦いに参加していたのどうかはわかりません
(自身の自伝でひどい頭痛がたまにあったことに触れています。それでナポレオンの結婚式を欠席しているので、ナポレオンには仮病と思われていた模様。その影響かはっきり「仮病」と書いているバイオグラフィーもあります。このHOWもそうですね)

サヴァリの記載についてはこちらのnoteでも触れています

ラップ将軍が不倫していたことが書いているのも面白いポイント。不倫相手との間に二人のお子様がいたそうです。当時の軍人はそんな話ばっかなのでいまさら驚きません

ちなみにこちらのサイト、サヴァリのバイオグラフィーが詳しいのが嬉しい。警察大臣としての側面が印象強い彼も、かなりの戦闘に参加していたことを知ることができます


◇ Napoleon & Empire

こちらはナポレオンと帝国、ナポレオンにまつわる話や当時のフランス、ヨーロッパなどのトピックスが詳しく記載されています
革命歴から共和歴へ変換できる機能や、政治の組織図、それぞれの戦いについての解説などを、豊富な写真や図と共に紹介している、わたしの知る中で一番詳しいのではないかと思われるサイトです
関係者の略歴等もかなり詳しく、ここにしか書いていないような情報や表現がたまに見つかるのも面白い
当時の軍事報告なども読むことができるのが素晴らしい。こうしてデジタル化して世界に発信してくださるかたのおかげでいろいろはかどっています(すべてを理解できない勉強不足さがつらい)

ここでもアウステルリッツの活躍や、バイオグラフィーでラップ将軍の名前を見つけることができます
フランス語で名前の発音が聞けるのも嬉しい。どっちかというとジョン

中でもわたしの大好きな一文はこちら

Bonaparte se l'adjoint alors comme aide de camp, titre que Rapp gardera jusqu'en 1814. Le premier Consul s'attache à ce garçon placide dont la liberté de ton s'accompagne d'un solide bon sens.

Napoleon & Empire

「その後、ボナパルトは彼を副官に任命し、ラップは1814年までその肩書を守った。第一執政は、その自由奔放さと堅実な常識を伴つこの穏やかな青年を気に入った。

こういうことがバイオグラフィーに書いているのはわたし調べでランヌくらいです。他にもいるのかもしれませんが、少なくとも目立った元帥たちのページには書いていない
ラップ将軍が紹介されるときは「真面目で忠実」「最良の副官」などと書かれていることが多く、ナポレオンがよく褒めていたことから(本人はお世辞だと思って以下略)、このような太鼓判が押されているのだと推測できます
ナポレオン曰く、ドゼーの元にいた際は一介の兵士にすぎなかったラップを「男にした」のはナポレオンらしいので、直接指導して仕事を教え込んだのも彼の性質に気に入るところがあったのかもしれません

当時29歳、ナポレオンの2個下なんですが、当時の年齢と軍の上下関係も気になってしまう一文ですね。現代の会社だと2個差くらいは誤差ですけど、最高司令官と副官の間には結構な差があったのかしら

ところで、こちらのサイトはドゼーの経歴も詳しく掲載している貴重な場所

C’est également Desaix qui introduit l’usage des épingles à tête de couleur piquées sur des cartes cartonnées pour enregistrer les mouvements de l’ennemi (le procédé, transmis par Savary à Napoléon, sera abondamment utilisé par celui-ci).

Napoleon & Empire

「敵の動きを記録するために厚紙の地図にカラーピンを刺す方法を導入したのもドゼーでした。(この方法はサヴァリーからナポレオンに伝えられ、ナポレオンが多用することになった)。」

とかいう非常に重要なことがさらりと書いてあります

これってどんな戦争物であってもよく見る光景ですが、ナポレオンが一般化したものであるならすごいことではないですか?? いや、その前から使われていた可能性もありますけどれも……?

ちなみにこちらでは史実通り「彼の遺体は副官サヴァリーによって発見された。」とあります。膝の上云々って本当、どこから出てきた説なんでしょう……

◇Colmar Alsace France Tourist Office

こちらはアルザス地方コルマール観光案内所のサイトのようです
宿や見どころなどを調べることができます
アルザスはフランスでありながらドイツ的文化を見ることが出来、美しい街として紹介されることが多いですね
クリスマスマーケットが有名で、ラップ将軍が生まれた「コイフス」も毎年イルミネーションで彩られているようです
ラップ将軍はサイトの中で、コルマール出身の著名人として紹介されています

ここには簡単なバイオグラフィーが書かれているのですが、以下が唯一の描写

Louis XVIII made him peer of France and chamberlain of the king, but General Rapp met the emperor at the Tuileries Garden in March 1815. He will always be loyal to the Emperor whose death affected him so much that Louis XVIII himself had to comfort him: "Do not be shy, Rapp, I hope you will weep for me like this”.

Colmar Alsace France Tourist Office

ルイ18世の侍従となったが百日天下でナポレオンについたことと、ナポレオンの死に対して「ルイ18世自身が彼を慰めなければならなかったほど、その死に影響を受けた」ことが書かれています
(うまい日本語訳の文章がつくれないのですが、自分のときにも同じくらい悲しんでくれたらうれしいよみたいなことを言われたと解釈してます)

ルイ18世の人となりについては、よくわからない部分が多いんですよね
フランスに戻ってきた時点で一人で移動するのもやっとの状態で、国民にあまり好かれる様子ではなかったという話もありつつ
あまり復讐心の強い性格ではなく、白色テロにもあまり関心を持っていなかったり、
土壇場で裏切ったネイに対して寛大な言動を残していたり、
かと思ったら私情で銃殺になったとされる将軍の記録が残っていたりします

でも、わたしはこの文章を見てしまってからは、とても穏やかで公平な人だったのかな、と思いました

まあ、この話のソースがどこなのかよくわからないので、なんとも言えないですけども……わたしもまだまだです


◇ナポレオン自伝 アンドレ・マルロー編

こちらの本はナポレオンが残した手記、手紙などをもとに、編成された人間ドキュメント
わたしが最初に手にしたナポレオン資料でもあります。最近やっと手に入れることができました
他のナポレオン資料との大きな違いとしては、ナポレオンが残した言葉のみで構成されているため、編集者の解説がないところ
日本語訳等で細かいニュアンスは変えられてるであろうとはいえ、生きた言葉を知ることができるのは貴重で、ナポレオンを身近に感じることができます

ラップの名前は数回出てきます

1811年12月2日
[パリにて、ダヴー元帥宛](前略)
 私はなぜラップ(ダンツィヒの総督兼軍司令官)が自分に関係のないことに口出しをしてくるのか理解できない。どうして彼はハンガリーで起こっていることについて、また連邦やこれらの国々を駆り立てている彼にはまことに縁の遠い精神について、語ろうとするのか? 彼は自分のところの統治に閉じ込もっていればいい、自分に関係のあることにかかわっていればいい、そしてダンツィヒからとその周辺の国々について私に報告してくるだけでいいのだ。どうか私の目にこんな狂詩曲をさらさないでもらいたい。私には時間が貴重で、それをこんな愚にもつかぬことに費消してはいられぬのだ。貴官もおそらく、ハンガリーやオーストリアで起こっていることをダンツィヒからの報告で私が学び知るなどということを期待してはいまい。それもラップなどという薄弱で、何か事件のある日以外はまるで重要視もできぬ男から伝えられる報告で。すべてそれらは、私の時間を失わせるだけであり、ばかげた描写や仮定で私の想像力を濁らせるだけのものなのだ。

ナポレオン自伝

けちょんけちょん……www

おそらくこれが時折言及される「あまり評価しない節度」でナポレオンの「寵愛を失った」に繋がっていくのかな、と解釈しております
なんでダヴ―に愚痴っているのかはよくわかっていませんが、1811年はあまり大戦もなく、しかしヨーロッパに蔓延る緊張状態は継続しており、という狭間の年
鬱憤が溜まるなにかがあれこれあったのかもしれません(再結婚式に仮病で休んだと思われてましたし)

ナポレオンの考え方については、サヴァリも回想録で似たようなことを書いていました

私は名誉と熱意をもって自分の任務を果たすことしか考えられなかったが、第一執政は我々が休む暇をあまり与えてくれず、ましては自分の職務に無関係な事柄に干渉する余裕を与えるはずもなかった。

Mémoires du duc de Rovigo, pour servir à l'histoire de l'empereur Napoléon, Tome 2から意訳

だそうです

ナポレオンの性格上、人から口を出されるのに我慢ができなかったのかもしれませんし、おそらく自分がすっごく仕事ができるから周りが無能が見えるタイプ
「自分の仕事に集中しろ」「俺の言う通りにやれ」ということを言いたいのかもしれません

こんな手紙を受け取ったダヴ―が何を思うのかは気になるところです
ラップに同情するのか、あいつは信用しないようにしようと心に刻むのか、はたまた怒られてやがんのと笑うのか……ナポレオンの副官と元帥は一緒に行動する機会も多かったようなので、ダヴーなら同情してくれそうです

またこの4年後、立場が変わったナポレオンはラップにこのようなことを言います

1815年3月30日
[ラップ将軍に]
エジプトから帰還し、ドゥセも亡くなったとき、きみは一兵士にすぎなかった、私がきみを男にしてやったのだ。私はモスクワからの撤退のときの、きみの行動をこのさきもけっして忘れることはないだろう。ネイもきみも、きみらは筋金入りの魂をもつ少数の人間のうちなのだ。そのうえきみは、ダンツィヒの攻囲陣で、不可能以上のことをなしとげた。

ナポレオン自伝

百日天下でフランスに戻ってきたナポレオンは、面会にきたラップにこのような言葉を投げかけ、2分にわたるハグをします
ナポレオンはミュラの前でランヌを褒め、ランヌの前でミュラを称賛したともいいますから、本人に投げかけた言葉のどこまでが本心なのかはわかったものではありません。また副官となって共に戦うことを依頼してる状況的に、かなりお世辞が含まれていると推測ができますね
とはいえ、言われて嫌な気持ちになる言葉ではありません。むしろ名誉なことだと思ったからこそ、ラップ将軍自身が回想録にも残したやりとりなのだと思います

こういった言葉を追っているだけでも、ナポレオンがいかに人を掌握するすべに長けていたことを学ぶことができます


史実というのはやはり曖昧なもので、表現ひとつ変えただけで印象が変わってしまう可能性があるのが怖いところ
わたしもなるべく正確に書き残すようにしておりますが、何か語弊のある表現をしていたら申し訳ございません

最近は自動翻訳の精度もあがり、資料を読むのも捗っています
しかし、やはりそれぞれの因果関係や知識もないと完全には理解できない部分もあり、わたしの中で手強く面白いものとして夢中にさせ続けてくれています
生誕253年、死後203年後の2024年、少しでも興味を持っていただけるかたが増えることを祈って、筆を執らせていただきました

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