『百花』との出会い
昨年の夏、その日の私は「何か」を強く求めていた。心の隅にある空白。それを埋めるものが何なのか街を彷徨う。雑貨店、文房具店、食料品店、花屋。大好きなコーヒーショップから漂う薫りに心惹かれたのも一瞬。私の答えが見つかったのは本屋の前に立った時だった。
「そうか、本との出会いを求めていたのか。」
日々追われ忘れていた、「読みたい」感覚が甦ってくる。店内で歩みを進める度に、夢中で本を読んでいた昔の自分に一歩また一歩と帰っていく。何冊の本を手にし、棚に戻しただろうか。運命の出会いを渇望し、探し求めて小一時間がたっていた。
『百花』
平積みされていた黄色っぽい表紙のタイトルが目に飛び込む。「ついに出会えたのだ。」 そして、家に帰り一息で読む。あと何年、今の日常が続けられるのかしらと思いながら、本の中に引き込まれた。読み終えてまた読み返しつつ、まるで闇に落ちていくように『百花』と共に眠りについた。
なぜか息苦しく夜中に目が覚めると高熱にうなされる自分。
コロナに感染していた。
自宅療養になり、ひとつ屋根のした同じように熱で苦しむ母を思うと、死への恐怖に襲われていた。「母がこの世からいなくなってしまったら…。」と。
次第に忘れていく母とその息子。『百花』のストーリーが頭の中を廻る。何年か後の自分たち親子の姿を重ねながら。しかし、何年か後はやってこないのかもしれない。
熱で朦朧とした頭の中に、「生まれてこなければ良かったのに。」と、感情的にぶつけた言葉がぐるぐると響く。幼い自分の記憶と共に、母へのわだかまりが押し寄せてくる。寄せては返す記憶の情景が、物語とうねり合いながら浄化されていくのを感じた。
母も私と同じ "ただの人" で、正しくも迷ったり間違えたり、周りに理解されたりすれ違ったりしながら生きている。
『許し』
ふっと心に言葉が浮かぶ。今まで許されてきた。母から私へ、そして私から私の子ども達へと繋がっていく。受け継いできた命。
電話が鳴った。「辛い時はいつでもかけつけるから。」と、スマホから看護職の友人の声。知り合えた出会い、ご縁にありがたく思う。私を包む目には見えない大きな力。「生かされ、生きている。」
ふと肩の力が抜け、静かな深い眠りについた。
今、私は電車に乗り仕事に向かっている。こうして元の生活に戻ったが、以前と同じようで、全く違って見える車窓からの景色。
絶妙なタイミングでの『百花』との出会いが、私の心の霧を晴らすきっかけとなったのだ。仕事の後で、『百花』の映画でも見に行こうかしら。
駅を降り、青く澄んだ高い空を見上げ、今日も新しい自分が歩きだしている。