保育士であり、親であること
我が子への「ごめんね。」「ありがとう。」
昨日、朝から電話が鳴った。
「うんうん。そっか分かった。無理しないで休んでね。早めに行ってフォローするね。」
同僚が体調不良で、急遽のお休みとのこと。
もともと外部研修と有給休暇が重なり、さらに休みが入るとギリギリの体制の日。少し早めに行かないと…などと考えていると、起きてきて電話を聞いていた娘が一言。
「お母さん、もう行っちゃうの?私も具合が良くないのに…。」
頭痛と目の痛みで熱はなし。これならば、眼科に行ってから登校ができる。目が弱い娘は、時おり目の痛みを訴えるが、点眼薬で良くなることが多い。
「ばあばに頼んだから、眼科に一緒に行って、頭痛がなくなったら学校行けるね。」と、声を掛けた。
しかし、「一緒に病院行って、学校にも送ってほしい…。」との事。出勤に1時間はかかる。何だかんだと話をしているうちに、勤務に間に合いそうになくなっている。時間が迫る。
頭の中でグルグルと考えをまとめながら、とりあえず職場に電話を入れた。
「はい、そういうわけで遅れそうなんです。時間ですか…。できるだけ早く着くようにしますけど…。」
電話を切った私に娘が言った。
「もういいよ。ばあばと病院行くから…。仕事に行けばいいじゃん。」「人がいない日なんでしょ。」と。
娘は全部分かっていたのだ。最初の電話で人が足りなくなってしまうことを。
それでも、私に一緒に病院に行って、学校まで送って欲しいと言ったのだ。
私の仕事と娘の習い事ですれ違い、平日はゆっくりと関わる時間が全く無いに等しい。
自分でできることが増え、甘えることも少なくはなったが、時に母を求める気持ちはあるのだ。
後ろ髪を引かれながらも、「 (一緒にいられなくて) ごめんね。」「 (分かってくれて) ありがとう。」と声を掛け、家を出ると急いで駅に向かった。
電車に乗りながら、娘とのやり取りが頭から離れない。
何で私は、私を求めている我が子を置いて、他の子どもを見るのだろう。もちろん、それが仕事だからなのは分かっているが、やりきれない思いがこみあげてくる。
「子どもが求めている時には、しっかりと応じてあげてくださいね。」と、保護者に話すことがある。人に言っているのに、全くできていないではないかと。
職場に着き、娘を案じてくれた先生と、保育士だからこそのあるある話になった。
家で我が子を園児の名前で呼び「保育園の子の方が好きなんでしょ。」
子どもに何をしたかと聞かれ、保育園で氷鬼をしたと言ったら「僕とは氷鬼してくれたことないのに…。」
5歳児に鉄棒の指導を懸命に行っている時期に、ふと気が付くと、同じ年齢の我が子は保育園でできるようになっていた。
家に帰りが少し遅くなる連絡をすると「 (保育園の子たち)いいなぁ。ママといっぱい一緒にいられて…ぼくのママなのに。」などなど。
「切ないよね~。」と、2人で大きく頷いていた。共感し合える仲間がいるって、本当にありがたい。
保育士でなくても、働いている子育て中の親や、事情があって子どもを預けなくてはならなくなった親は、必ず「ごめんね。」「ありがとう。」という気持ちを持つことだろう。子どもは親のことをよく見ている。よく分かっている。よく理解してくれている。
だからこそ、大人の事情や都合ばかりを押し付けてはいけないのだ。
私も含めて、子どもの優しさを受け取っている親は (保育士も)、その優しさに感謝するしかない。
そして、それを上回る優しさや、倍返しの愛情で包み込んで、「大好き」「大切なあなた」「かけがえのない存在」である気持ちをしっかりと伝えなくっちゃ。