「着たい服を着る」教員時代から変わったこと
最近、私が考えていることは着たい服を着ようということです。
どうしてこのように思ったかというと、いつも自分の買う服に満足が行かず、買っては手放すを繰り返していたからです。
買い物をする時には「いいかも!」と思ってもちろん買うのですが、その後家で着てみるとなんか思ったような仕上がりじゃないと感じてしまうのです。
着たい服を着るのは勇気がいることです。
最近、この考え方に踏み切れたのはだんだん自分も変わってきているからだと思います。
教員としてどう見られるかを気にしていた
これまでの私は「教員としてどう見られるか」を特に気にしていました。
大学生の頃は好きな服装をしていました。あまり見られ方などは考えていなかったような気がします。
でも、教員になると「先生として」休みの日も見られるという気持ちが強くありました。
休日に誰かと外を歩いている時に、児童や保護者に出会うこともじゅうぶん考えられます。
だから、自分の好きな服というよりは「無難」「落ち着いた」服を選ぶようになりました。
流行りのデザイン、色、模様などは選択肢から外され、どんどんそぎ落とされとてもシンプルな服装になりました。今思うと、考えすぎている部分もあったように思います。
そして「これからもずっと教員としてやっていくんだろう」と思っていました。
そんななか心身のバランスを崩してしまい、最終的には教員を退職することを選びました。
人生どうなるか分からないものです。
これまでは自分が満足できる服を買うことができていなかった
教員を退職した後も、あまり洋服の系統は変わらず、購入の仕方も変わらず来ていました。
私は年に一度、ときめきを大切にするこんまりさん流の片付けをします。
今年も夏にやって気づいたこととして、私は自分が満足できる洋服を買うことができていなかったということでした。
自分に似合うことを第一に考えていた時もあって、骨格診断を参考にしたり、自分のパーソナルカラーを参考にしたりしていました。
あとは、誰かのコーディネートを参考にすることもありました。
でも、様々な診断や流行りのコーディネートを参考にしても、結局は満足ができませんでした。
自分の着たい服を着る、満足感
自分に似合わない服について考えてみたこともあったのですが、そもそもそういうことじゃないんじゃないかなという考えに至ったんです。
自分が着たい服を着ていなかったということに気づきました。
何かの意見を参考にして、似合う服だと思っても、別に誰かがいい・悪いと判定してくれるわけではありませんでした。
私からすると、たまに会う誰かに「似合うね」と言われるよりも、自分が気に入って好きで着ている方が気持ちが上がるので、そちらの方がいいという結論にいたりました。
洋服は自分を表現できるものでもありますが、それは人それぞれで別に服にこだわらなくてもいいと思っています。
現に私も、あまり服のことを考えない時もありました。
だけど、今は自分が着たい服を着て、自分がの気持ちが満たされるということを大切にしたいと思いました。
これから、考え方が変わるかもしれませんが、もう少し着たいものを着るという考え方を貫いてみたいと思います。
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