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湘南電車75年(3)
●石原慎太郎の湘南電車
石原慎太郎の小説第一作に、次のような一節があります。
「大磯の小高い山から日に輝いた湘南の平野を眺めた折に、その上を安手な朱と緑に塗りたくられた長い湘南電車が、何か毒々しい爬虫類のように走っていく」(「灰色の教室」1954年12月)
湘南電車の特徴は、まず「長い」こと。80系は最大16両編成で走りました。
それにしても、登場後4年以上を経てなお、学生の小説にまで「安手な朱と緑」と書かれては、80系の方こそが「災難電車」ではなかったでしょうか。
一橋大在学中の55年に芥川賞を受賞し、一躍時代の寵児となった石原は、時に絵筆も振るい、自画像の佳作もあります。絵画のセンスを持たぬ人ではありませんでした。
ところで、「長い/毒々しい爬虫類」とは、即ち蛇のことでしょう。
ならばなぜ直截にそう書かず、持って回った言い方をしたのか。それが気にかかります。
三島由紀夫は蟹が嫌いで、その字を見ることさえ避けた、と何かで読んだ記憶があります。
石原もまた、「蛇」という字を書くのを嫌うほどの、ヘビ嫌いだったのでしょうか。
或いはまた、単に長い列車を「蛇のように」と例える凡庸さに耐えられなかったためでしょうか。
「灰色の教室」には、高校から帰宅途中の主人公が、乗り換えの横浜駅で二等車(現在のグリーン車)の車内に父の姿を認め、一緒に「幅広のシート」に腰かける場面があります。
拳闘の練習帰りで疲れ果てた主人公は、夕食後に「ああ参った。でもやはり二等の方が楽だな。練習のある間は二等のパスを買おうかな」と口を滑らし、甘ったれた心根を父親からこっぴどく叱られます。
二等車のメリットを、シートピッチにではなく、座席の幅の広さに認める点が面白い、と思います。
作家と登場人物とを混同してはいけませんが、石原家は逗子に長く住んだことから、この二等車は、湘南電車ではなくスカ線(横須賀線)の二等と見る方がしっくりくるかも知れません。
80系の弟分70系が、「湘南二枚窓」でスカ線に新製投入されたのは1951年のことです。
白砂青松にちなんだクリーム色と青の塗り分けは「スカ色」と呼ばれました。
この塗色は70系の完成を待たずして、どころか湘南電車の就役より2か月早い1950年1月から旧車に施された、と「電車のアルバム」(交友社、1962年)にあります。
先行したこのスカ色の方を大々的に喧伝すれば、湘南色への非難をやわらげることができたかも知れません。
70系にも二等車が新製されました。
ただし、当時のスカ線は、戦前からの古株あり、関西からの転入組ありと、新旧さまざまな電車の寄せ集めで、二等車も数種類が存在したため、小説に登場する車両の形式を特定するのは困難です。
●倉橋由美子のこだま型特急
電車の発展史をみると、湘南電車(80系)が脱皮してこだま型(151系)になり、もう一度脱皮して新幹線に進化した、そう考えることができます。
いずれも10両編成以上の電車ばかりですから、ヘビのように長い、と形容して差し支えないでしょう。「こだま」のみ、デビュー後約1年間は8両編成でしたが、それだって蛇の資格充分。
蛇つながりで、倉橋由美子の長編小説「暗い旅」(1961年)に触れます。
「暗い旅」には、こだま型電車が登場します。
八時半、まだ「第一つばめ」は入線していない。(中略)
「第一つばめ」がはいってくる。ベージュと赤の車体、蛇の頭をおもわせるあのふくれあがった運転室のある頭部…あなたの座席は八号車4Dだ、椅子の背に座席番号をしめすプレートがついている、まちがえてはいけない、番号をよくたしかめること……あなたの席は進行方向にむかって右側、窓ぎわの席だ。」
主人公は、東大仏文の大学院生である女性の「あなた」。
婚約者の失踪に端を発する暗い旅の途中で、子供時代からつい先日までの、「彼」との回想が繰り返し挟み込まれ、作品の時空は、「今・ここ」と、「複数の過去のシーン」との間を目まぐるしく往き来します。
二人称を主語とする書き方や、読点の連続を多用する手法などからも窺えるように、当時のアバンギャルドな作風の小説です。
しかし、決して小難しいばかりの作品ではなく、鉄道ファンにも、電車化されて間もない「第一つばめ」東京・京都間乗車のディテールがふんだんに盛り込まれていて、十分楽しめます。
「あなた」は時刻表を携えています。
蜂谷あす美さんの手引き書もなかった時代に、もしかして、乗り鉄さんでしょうか?
湘南電車の段階では、構想図すら描かれなかった電車の食堂車が、こだま型では1958年のビュッフェ、1960年の本格的食堂車と二段階で実現しました。
蛇足ながら、ビュッフェ車はモハシ150、食堂車はサシ151です。(いえ、なに、電車の形式名など実はどうでもよく、私は蛇にまつわるこの連載の中で一度「蛇足」と書いておきたかったのです。)
「暗い旅」の「あなた」は、ビュッフェでビールを飲み、やや時間をおいて予約した食堂車でステーキにナイフを入れます。
「あなた」は大喰らいではなさそうですが、暗い旅のさなかだというのに、2両の食堂車に別々に足を運び、大いにエンジョイしているかのように見えます。
趣こそガラリと異なりますが、同じ頃に書かれた、人気作家獅子文六のスラプスティック小説「七時間半」との読み比べも一興です。
「七時間半」の舞台は、電車特急の人気が沸騰し、まもなく自身も電車化の波に飲み込まれる直前の、客車特急の車内です。
「あなた」は、車中で、かつて講義を受講した教授に遭遇し、誘われて、京都で関係を持ったりします。
作家25歳の時の作品ですが、「彼」との会話の中には「ejaculate」、「Fellatio」などの言葉が現れ、新鮮というか、驚きを与えます。繰り返しますが1961年の刊行です。
特急電車は、作中もう一度登場します。
京都だ、「第一つばめ」は電車らしい軽快さでぴたりと止り、ホームのスピーカーが、京都、京都とゆるやかにくりかえしている。(中略)
京都駅の中央出口を求めて首をめぐらしたとき、一番線にいまはいってきた上りの特急が止った。それはあなたの乗ってきたのとおなじ色、おなじ型の車輌だ、大阪発の「第二こだま」だろう。その高く膨れた蛇の頭部に似た運転台のしたで、ドアがひらき、夏姿のような軽装のウエイトレスが、あなたにむかってはげしく手を振る、その肘を中心にして裸の腕を自動車のワイパーのように振りつづけ、叫んでいる。
「第二こだま」とあるのは、当時の時刻表をみると、「第二つばめ」の誤りのようです。
また、運転台の下のあたりに客用ドアはないから、そこでウエイトレスが手を振る、という描写は、作り話にしても明らかにおかしいと思います。謎を解くには、心理学的アプローチが有効なのかどうか。
当時の特急電車は、「つばめ」も「こだま」もすべて12両編成でした。
長さがあってこその蛇という比喩でしょう。
しかし、意外なことに、作家の筆は、なんと二度にわたり、長さについては一顧だにせず、
「蛇の頭をおもわせるあのふくれあがった運転室のある頭部」
「高く膨れた蛇の頭部に似た運転台」
と、もっぱら頭部の膨らみを描くことに固執します。
あたかも、掌に蛇の頭部を慈しんでいるかのようです。
失踪した「彼」を探している「あなた」にとって、蛇の頭の膨らみがオブセッションであることの暗示に読めます。