見出し画像

なぜ板谷波山の作品は白っぽいヴェールが掛かっているの?


板谷波山に出会ったのは、まったくの偶然

 先日、板谷梅樹のモザイクタイル(昭和モダーン、モザイクのいろどり展)を観に行った際に、この人物の父親が近代陶芸家の巨匠、板谷波山(いたやはざん)だということに気づいた。
 以前から普段使いの陶器を見るのは好きで、近所に陶器市が出ると時間が合えばふらりと出かけるのだが、美術品となると敷居が高い。何をどう見ればよいかわからず、作品を前にしても「ふーん」「はぁ」といった貧弱な感想しか出ない。それなりに知識を蓄えればもう少し楽しめそうなものだが、今のところほぼ皆無だ。
 しかも、波山の名を知ったのは、まったくの偶然。2024年12月をもって一時休館となる出光美術館が、休館前の最後の年として4つのテーマで開催するコレクション展「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」が開催されているというので、行ってみようと思ったにすぎなかった。

絵の上に、うすぼんやりした白さは何?

 このコレクション展のシリーズ2回目のテーマは「出光佐三、美の交感-波山・放菴・ルオー-」(2024年6月1日~7月7日まで開催された展覧会ですでに終了)だった。恥ずかしながら知っているのはルオーのみで、波山も放菴もこの時初めて知った名前だった。
 しかも、予備知識もなく、ただふらりと行ってしまった。展示室に入って「波山?誰、それ」というのが最初の感想。勉強不足どころか、まったく知らないのだから、当然、波山作品の特徴など何も知らなかった。
 だから最初に見た感想は「なぜ、こんなにうすぼんやりした色ばかりなのだろう」だった。いわゆる良く目にするような艶々ではっきりとした発色の作品もあるのだが、波山の多くの作品が絵の上に白く幕をかけたような印象で、艶もなくぼんやりしているようにしか見えない。

「葆光彩磁」がキーワードのようだが

 はっきりとした発色の絵付けを見慣れている身、しかも発色の良いほど良い作品と思い込んでいる身としては、どれも首をかしげてしまうばかり。なぜこうも白っぽいのだろうか。
 絵付けのない壺、文様があしらわれた壺については、釉薬の美しさ、形の美しさなどを少しは鑑賞できるのだが、この白っぽさはどうも良いとは思えない。白っぽい作品はいずれも作品名の最初に「葆光彩磁(ほこうさいじ)」とついていることから、これが白さを生み出しているのだろう。
 人はよく見慣れないものについては受け入れない、排除しようとする力が働くことがあると聞く。逆に言えば、見慣れればその良さがわかるのだろうか。しかし、知識もなのに、いくらじぃっと観たところで、いつか分かるものでもない。波山の作品はほかにもたくさん展示されている。とりあえず、全体を観てみよう。

フォルムや色の美しさに魅せられる

 これほど陶器に関する知識がない人間でも、波山のすごさが少しだけ分かるように感じたのは、そのフォルムの美しさや、色へのこだわりといったところか。
 たとえば「彩磁蕪小花瓶(さいじかぶらしょうかびん)」や「彩磁玉葱形花瓶(さいじたまねぎがたかびん)」といった野菜を形どった花瓶などだ。つるんとした蕪の下部からは、少しだけ根っこ(「胚軸」と呼ばれる丸い部分の下に伸びるヒゲ状の部分)が作られていたり、玉葱の幾重にも薄皮が重なっている様子やその先がわずかに外側に向かってくるんと巻かれていたりする。葉先など、焼くときに欠けてしまいそうなほどである。
 さらに玉葱の色は緑、茶、赤紫(濃いピンク)が入り混じっている。この3色をい普通に混ぜ合わせたら汚くなりそうなのに、まるで紫玉葱と玉葱の掛け合わせがあったらこんな感じになるのだろうかと思わせるような、美しくも不思議なグラデーションで表現されている。

どっしりしたデザインも

 そうかと思えば、茶色い器の上から覆うように、大きな八つ手の葉が一枚、大胆に描かれている器がある。葉の横にはちょこんと一輪、八つ手の花が咲いているのも愛らしい。まるでザルの網目のように横に線が入った、男性的にも思える茶色の背景。大きくグワッと開いた八つ手の葉はいかにも野性的、ポンと一輪だけ置かれた花は女性的で器全体に温かみを添えている。勢いと可憐さ。相反する2つがどっしりとしたフォルムにいかにも自然体といった感じで描かれている。
 同じ形をした壺も、釉色の違いや文様の違いなどさまざまな作品がある。すぅっとした首から美しい曲線でふっくら描かれている胴部を持つ花瓶、胴部から足にかけてすぅっと突起のある直線が入っている香炉、出光佐三が日頃から喫茶のために使っていたという茶碗は、美しい夕暮れのようなグラデーションが施されている。

あの白さは「葆光彩磁」

 説明のパネルによると「波山は当時流行していたアール・ヌーヴォーやアール・デコなどの意匠を日本陶磁へ導入することを試み」ていたそうだ。左右対称の文様や絵、花や草木などのモチーフが組み合わされた美しいデザインに魅せられたのは、どこかヨーロッパの流行を取り入れていたからか。アール・ヌーヴォーやアール・デコであれば、多少なりとも美術展などで見知っていたから、少し親しみを持てたのかもしれない。
 だがいったい、あの白い幕がかかったかのような感じは何なのだろうか。帰宅後、購入した図録を改めて見返していたところ、「波山独自の『葆光彩磁(ほこうさいじ)』というマット調の新たな作風を完成させ」たとある。やはり「葆光彩磁」というのが、艶消しと白さを出していたというわけだ。この「葆光彩磁」は「波山を代表する作風のひとつ」なのだそう。

釉薬以外にも様々なこだわりと挑戦心

 マット調の「葆光彩磁(ほこうさいじ)」の他にも、釉薬にはそれなりにこだわりがあったようだ。図録を見ていると「茶釉と緑釉は、透明釉の下に施した異なる二つの色釉の掛け分けによるもの」とか「施釉方法は『釉薬を吹き掛ける技法』(エイログラフ<液体顔料の噴霧器>)」で行っているとなど、いろいろな技法に挑戦している。
 それは、アール・デコ様式を意識した意匠や、「アール・ヌーヴォーのデザインを伝統的な茶道具の意匠としてリバイバル」してみたり、「中国の古陶器などを手本とした作品づくり」をするなど、独自の作風を作りだしたからといって甘んじることなく、常に新しいもの、あるいは古いものと融合させるなど、様々な挑戦をしていたことがわかる。

きっかけをもらった展覧会

 これまで美術品として陶器を見る機会は少なく、展示室で見かけたとしても何の感想もなく通り過ぎていた。知識がないと、どうしても「ふーん」しか出てこないものだ。
 しかし、器を覆う奇妙な白色を見たことで心に引っかかりができた。普段は図録を購入してもパラパラと見返す程度で、「どういうことだ?」と解説を熱心に読むことはなかった。おかげで、あのマット調が(おそらく苦心して)生み出した波山特有のものであるとわかったし、アール・ヌーヴォーやアール・デコを意識したり、古典と近代を融合させようと試みたりしていたことなどもわかった。
 まだ釉薬のこと、陶器のことなど知らないことが多い。だが、もう少し陶器について知識を得れば、次は楽しく作品を観られるかもしれない。今度といっても、いつその機会が来るかわからないが、少しずつ知識を深めたいという、きっかけをもらった展覧会だった。


 
 

 


いいなと思ったら応援しよう!