ゴッホは自殺、それとも他殺? 1
麦畑での拳銃自殺ではない?
最近、編集者でタレントの山田五郎氏の動画を視聴することが多い。個人的に美術、とくに絵画の興味があるわりには、あまり絵画のことや画家のことを知らない。そのため教養を少しでも増やそうと視聴しているのだが、とにかく美術愛が溢れていてこちらまで楽しい気分になってくる。
西洋や日本の様々な画家を紹介しているのだが、かなり知られている画家でも個人的に知らなかったことなども含まれていて勉強になる。その中でも最近視聴してへえと思ったのが、ゴッホの死の真相である。ゴッホの死といえば麦畑での拳銃自殺だと信じて疑わなかったのだが、どうやら他殺説もあるというのだ。
他殺とするこれだけの理由
今回の動画で使われていたのは、2016年に発行された『ファン・ゴッホの生涯』(上下巻、国書刊行会発行)で、スティーヴン・ネイフ とグレゴリー・ホワイト・スミスというピューリッツァー賞受賞コンビによるゴッホ伝である。
それによると、
・自殺だったら腹ではなく頭(こめかみ)か心臓では?
・そもそも拳銃はどこで入手したか?(購入するお金があったか)
・事件後に拳銃はどこへいったのか(出てきていない⇒1960年代に自殺に使ったと見られる拳銃が農民により発見された/日経新聞)
・持っていったはずの画材なども見つかっていない
・自分で撃ったのなら至近距離からになるはずなので、体を貫通するのでは?
といった疑問があることが紹介されていた。
お人好しのゴッホと近所の悪ガキ、ルネ・スクレタン
また、ゴッホがいたオーヴェルは避暑地のような場所で、そこにパリから来ていた薬剤師の息子で、ルネ・スクレタンという少年がいた。悪ガキのリーダー格で、よくゴッホをからかって遊んでいた。
ゴッホは嫌がる風もなく、むしろ悪ガキと遊んだり絵を教えたり(同じ悪ガキ仲間でも、ルネの兄ガストンのほうは芸術に興味がありゴッホと親しかったとされている)していたという。
そのルネが後年『炎の人ゴッホ』(1956年)を見て、「僕の拳銃だが、撃ったのはゴッホだ」とインタビューに答えているのだそう。そしてまた、ゴッホ自身も警察が来たときに「誰も責めないでください」と言っている。誰かを庇って言ったのではないか、ということから、死の真相を他殺としているのである。
たまたま弾が当たってしまった?
そこで手元にあるゴッホ関連の本を調べてみた。しかし、他殺説は見当たらず、いずれも自殺説だったが、銃の入手方法や自殺の動機はさまざまだ。
宿屋の主人から拳銃を借りた説、購入した説、入手方法不明とする説があり、自殺の理由にしても、精神の不安定さとする説や、弟テオやその息子の行く末を慮って自らの死後に絵が高値で売れることを願ってとする説がある。
果たしてゴッホの死は自ら選んだものだったのか、それもと悪ガキがふざけて撃った弾が、たまたまあたってしまったことによるものだったのか。
手持ち書籍は発行から動画で紹介されている書籍より古いものばかりではあるが、もう少しこれらから検証してみたい。 ⇒2へ続く(参考文献は2の文末に記載)