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昭和モダーン、モザイクのいろどり展
板谷波山の息子・梅樹のモザイク展
泉屋博古館東京(せんおくはくこかんとうきょう/東京都港区)で現在開催されているのが、「昭和モダーン、モザイクタイルのいろどり 板谷梅樹の世界」(8月31日~9月29日)である。板谷という苗字に「はて、どこかで聞いたような」と思っていたのだが、近代陶芸家の板谷波山(いたやはざん)であった。板谷波山は梅樹の父である。
波山といえば、出光美術館の創設者である出光佐三に「物、ものを呼ぶ」と語った人物である。この言葉は現在同館で開催中の美術展のタイトルとして起用されているし、過去に同館で開催された「出光佐三、美の交感」では展示作品の多くが板谷波山で占められていた。
イタヅラが基礎。寄せては集め玩んだ陶器の破片
この近代陶芸家を父に持つ梅樹は、幼少の頃から父が焼き損じた破片を土に埋めるのを見ていた。その時「何か勿体ない気がし、イタヅラ半分に色々の形に砕き、又は寄せ集めて玩んだりした事があった」と述べている。また「外国の陶片モザイクの話」を父から聞いたことも、モザイクへの道を進むひとつのきっかけになったらしい。
今は解体されてしまった日本劇場(通称:日劇)の1階玄関ホールを飾っていたモザイク壁画を制作した際には「今回のモザイク壁面は、子供のイタヅラが基礎になって出来上がった様なものだ」と述べている。こうした言葉からも、子供の頃の遊びが原体験となり、その後の作家活動を支えていたことがわかる。
遊び心感じる作品ばかり
梅樹の作品で惹かれるのは、モザイク独特の美しさ、特に色である。同じ色味でも微妙に違う色の組み合わせ。時には一つの破片の中で色の深みが微妙に異なっている。それにも増して、モザイクの破片それぞれが「光があたることによって輝」き、色の深みや華やかさを演出するからかもしれない。
だがそれ以上に惹かれるのは、どの作品からも感じられる梅樹の遊び心だ。もしかしたら梅樹は、作品のデザイン微笑んでいるのではないだろうか。いい組み合わせができたときには「うん、うん、これだ、これ」と心の中で小躍りしたのでは。そんな親しみを覚えてしまうのは、作家であり作品との距離が近いからかもしれない。
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水道発祥の地・横浜市からの依頼で制作され、横浜市水道局に納められた。
横浜水道記念館1階ロビーに飾られていたが、閉館に伴い現在は板谷波山記念館が所蔵。
一緒に作品を制作しているかのような楽しさ
図録の最後に、梅樹の御息女である村田あき子さんの「父のこと」という文章が載っていた。そこには「父の作品は威圧感がない。観る人を温かく迎える、謙虚な美。」があると書かれていた。これを読んだとき、やっぱりと心の中で頷いた。
御子息の板谷駿一氏も図録に寄稿文を寄せているのだが、冒頭で「モザイクという日本では珍しい美術分野に挑んだ」とべている。だが、作品からは気負いなどは一切感じられない。また同文の中で「はるか先を行く、波山の存在は、相当に重圧だったよう」だと述べているが、そうした苦悩が作品に暗い影を落としているわけでもない。
否むしろ、観ているこちら側が梅樹氏と一緒にモザイクの破片を拾い集めながら「ここがいいかな」「いや、こちらのほうがいいだろう」「これはこっち?」「ほう、いいじゃないか」など言いながら嵌め込んでいくような、楽しい気分になってくるのである。
とにかく温かみを感じる作品
花や動物をモザイクで表現するとなると、絵画のように精密に表すことはできない。それでも美しく嵌め込まれたタイルは、北欧のデザインのように単純化された線や、独特な動物や植物の描写が似ていなくもない。
だが、布地や陶器に描かれた北欧デザインよりも親しみを感じるのは、なぜだろう。タイル一つひとつの微妙な形や色の違い、それらを寄せ集め一片一片を丁寧に嵌め込む作業をから作り手の思いが直接伝わるからだろうか。動物も人も花も、その表情がとにかく温かいのである。
と同時に非常に緻密さも感じる。小さなペンダントや箱、皿などに描かれた、パターン化されたデザインはものすごく精巧だ。また、蓋の部分が蒲鉾型になっている飾り箱には、直線で構成される幾何学模様が施されている。幾何学模様をつなぐ極細の線はまったくといっていいほど狂いがない。このあたりは、しっかり父・波山の「完璧主義」の血も受け継いでいるようだ。
器用さは疎開先でも発揮
先の村田あき子氏の「父のこと」によると、戦中戦後に約10年のブランクを余儀なくされた際に「疎開先で、父が茨城名産のサツマイモを使い、手を抜かずに作る干芋や芋餅は、まさに『完璧な作品』でした。凝り性の父は、新鮮な鰯などの魚が手に入ると、きれいに開いて丁寧に小骨を抜き、自家製の干物を作りました。東京に残っている知人達に好評でした」という。
手先の器用さはさることながら、何事にも熱中してしまう性質なのだろう。しかも食べてしまえば跡形もなくなくなってしまうという食べ物を「完璧な作品」に仕上げてしまうとは。こういうところは、陶器の破片を一つひとつ丁寧に埋め込んでいく作業とどこか相通じるものがあるのだろうか。
波山と梅樹、そして母・まるが打ち出す、それぞれの美
波山といわれても知らないし、作品を観たこともないという方にも嬉しいのが第3展示室である。ここでは 波山の作品14点と、母親の板谷まる(玉蘭)の作品が2点飾られている。ちなみに梅樹の兄である板谷菊男の花瓶も1点展示されており、板谷家の作品が集う展覧会ともいえる。
この中で特筆すべきは重要文化財となっている波山の「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもんびん)」だ。波山独特のマットな感じとヴェールで覆われたような淡い色合いを目にすることができる。
波山の完璧なまでに研ぎ澄まされた美と、梅樹の温かみのある美。それぞれの美しさがある。だが、やはり作品を通して作者と会話ができるような、梅樹の温かい作品が個人的に好きである。
<参考文献>
『昭和モダーン、モザイクのいろどり 板谷梅樹の世界』展覧会図録(公益社団法人波山先生記念会 板谷波山記念館発行)