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明治神宮で概念を覆される


もうすぐ落ち葉の季節

 つい先日まで秋が来るのだろうかと思えるような夏日が続いていたというのに、あっという間に朝晩は冷え込むようになり、ようやく秋らしくなってきた。
 秋晴れだった文化の日、明治神宮ミュージアムへ行ってきた。参道は多くの人でごった返していたが、幸いミュージアム内はそれほどでもなく、ゆっくり鑑賞することができた。
 企画展「明治を描く―壁画に挑んだ画家たち―」を観に行ったのだが、それ以上に興味を持ったのが、常設展で展示されていた明治神宮の鬱蒼とした緑の成り立ちと管理方法であった。さらにこの日は宝物殿も見学することができ、そこで改めて明治神宮創建について学ぶ機会を得られた。

隈研吾氏の設計の明治神宮ミュージアム。
休憩スペースからガラス越しに望む緑は、まるで日本画を観ているよう。

自然の森?人工の杜?

 明治神宮に行かれたことがある方はおわかりだと思うが、鬱蒼とした木々中にある。人や車の往来が激しい原宿がすぐそばにあるというのに、鳥居をくぐれば大自然の中にいると錯覚するような深い緑に包まれる。
 それが人工の森であることはなんとなく知っていたのだが、武蔵野の雑木林が広がっているところに、更に手をいれて今のような形にしたのだとばかり思っていた。
 ところが、当時の代々木あたりは荒れ地で木もほとんどなかったという。映像も表示されていたが場所によっては土がむき出しになっている所もあり、木もまばらにある程度で今の姿などとても想像できない。
 明治神宮にある木々は「神聖な雰囲気を醸し出す神社林を形成するためには、大量の木を受ける必要があり(中略)そのための木々の大半は献木によりまかなわれ」たという。ここに「本多静六、本郷高徳、上原啓二といった当時の林学、造園学の専門家の知見も加わることにより、神社にふさわしい『永遠の杜』を造ることが目指された」のだそう。
 余談だが、本多静六といえば『私の財産の告白』など質素に暮らしつつ億万長者になったイメージが強く、貯蓄や生活スタイルについての著者だとばかり思っていたのだが、林学者であり明治神宮創設にも関わっていたとは知らなかった。

明治神宮といわれなければ、もやはどこかの山の中にいるよう。

10万人を超える青年達が奉仕

 全国からの献木によって集まった樹々。この樹々を植えるには当然ながら人手が必要になるが、ちょうど第一次世界大戦の影響で空前の好況で人件費が急騰していた時だった。
 普通に雇うには費用があまりにかかりすぎたのであろう。この時、明治神宮造営局総務課長に就任した田辺義鋪なる人物が、全国青年団による造営奉仕を発案した。これには反対もあったようだが、田辺氏が勤労青年と寝食を共にしながら指導するなどした結果、全国から集まった10万人を超える青年達によって、土木工事から杜の造営まで奉仕するに至ったそうだ。
 全国からの献木、そして全国から集まった青年達によって大切に植えられた樹々。当時の写真を見ると、樹々の高さは鳥居よりはるかにひくい。今のような緑のトンネルなど考えられないほど、枝ぶりも短く貧弱だ。
 それから100年以上経った今。鳥居よりも高く伸びた木々が大きく枝を伸ばし、鬱蒼とした緑が参道を覆っている。間もなく始まる紅葉の季節も終わりに近づいてくれば、落ち葉の量も相当なものになるだろう。

法物殿に展示されていたパネルより、現在の代々木(上)と鎮座前の代々木(下)。
以前は樹々もかなりまばらだったことがわかる。
法物殿「明治神宮 その歴史と建築」展(令和6年10月26日から11月4日迄開催)より

落ち葉は杜へお還し

 日々、掃き清められている境内。集められた落ち葉は当然ゴミ袋に入れられ、可燃ごみとして捨てられているものだとばかり思っていた。ところが、違うのだ。
 まず箒からして違う。市販の竹ぼうきを使っているのかと思いきや、神社にある竹で箒を手作りしているのだという。その様子が映像で流れていたのだが、市販されているような硬い穂先の竹ぼうきとはまったく違う。ちょうど幼稚園児が七夕で使うような、細く柔らかい笹といったらいいだろうか。その笹(竹?)から葉だけを落としたようなものを何本か束ねて1本の箒にする。これで穂先が長くやわらかい竹ぼうきの完成だ。
 こうして手作りされた竹ぼうきで掃くと、神社に敷かれた玉砂利はそのままに落ち葉だけを掃き集めることができるのだそうだ。そうして集められた落ち葉はゴミとして捨てるのではなく、杜に還すのだという。こうすることで土の栄養分となり、また次の生命を生む。こうしたサイクルが生まれるようにし、常に森が育つようにしているのだそうだ。

木造の明神鳥居としては日本一という大鳥居。
鳥居の高さは12mというが、その鳥居が小さく見えるほど高く大きく育った樹々。

創建者の、森が森を造るシステムを受け継ぐ

 この映像を見たとき、明治神宮には創建に携わった人たちの、100年後、200年後も常に木々が成長し、森が育つ環境を造る、永遠の杜を造るのだといった理念が今も大切に守られているーーそう感じた。
 何でもかんでも、古くなったから、邪魔になったからと法を都合よく解釈したりルールを改正したりして、伐採してしまうのではない。静かに地道に、大切に守る人たちがいて、はじめて元からそこにあったかのような緑が生まれる。100年後を見据え、木々の成長サイクルを考え造営した人々の理念にも頭が下がるが、それを守る人たちにも頭が下がる。
 落ち葉を捨てるのではなく、すべて森に還す。そのような概念はなかった。自然が好き、緑が好き、だから大切にしなくてはと思いながら、落ち葉はゴミだとばかり思っていた概念を、覆された文化の日だった。

まだ季節ではないとはいえ、夕方になっても参道にはほぼ落ち葉がない。
よく見ると、木々のそばにたくさんの落ち葉が。おそらく森に「おかえし」したのだろう。

<参考URL他>
・明治神宮

・法物殿 常設展「明治神宮 その歴史と建築」展(令和6年10月26日から11月4日迄開催)
・明治神宮ミュージアム 企画展「明治を描く―壁画に挑んだ画家たち―」(令和6年10月12日~12月1日迄)および「杜の展示室」

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